公爵様の実家のお城
「おかえりなさいませ!」
「お疲れさまでございました!!」
馬車ではるばる一週間。跳ね上げ橋を渡って城門をくぐるや否や、城勤めの者の歓声がシデオス城に響いた。
「マランタ、出迎えご苦労! ……カービットも元気そうだな! 細君も息災かな?」
馬車の中から手を振り続け、次々に集まってくる者たちの歓声を浴びながらベルザスが馬車を降りる。護衛達はベルザスを守るように囲むが、それも何のそので集った人々が一斉に走り寄っていく。ベルザスはベルザスで、見知った顔の者に片手を上げて応え、たまに女性の手を取り甲にキスさえしている。なんでもない挨拶のはずなのに少しだけ胸がちりついて、マイヤも馬車から下りてもみくちゃにされながらもこっそり後ろから囁いた。
「来たらなんだかんだで楽しそうじゃないですか」
「……馴染みの者に迎えられたら悪い気はしないさ」
ベルザスもこっそり、少し照れた様に答えた。茶化したものの笑顔でいてくれた方が断然いい。なんたってこの場所は彼の実家であるのだから。
「にいさま!」
城の出入り口の奥からピッコロみたいに軽やかな声が飛んだ。天井は高く、空間も広くとられているから音がよく響く。声の主はぱたぱたと高い足音も響かせながら走り、声の主に気づいた全員が一斉にその場で膝をついた。
「にいさま!!」
足音は止まることなくどんどんと近づき、最後はベルザスの回りでおかっぱに切られた金色の髪を振り乱しながらぴょんぴょん跳ねた。ベルザスよりも頭二つ分は小さくて、ベルザスよりも濃い色の瞳で喜色満面に見つめている姿はまるで猟犬みたいだ。──とか思ったら不敬罪で捕まってしまうだろうか。
そんな様子でベルザスの回りをはしゃいでいるのは御歳九歳のサリクス・キルシフ・シデオス。
ベルザスよりも十五も年下の弟で、いずれこの国を統べることとなる王子様だ。
「にいさま!! おかえりなさいませ!!」
「サリクス! 見ない間に随分大きくなったんじゃないか?」
「でしょ?! この前にいさまに会った時よりね、三センチばかり伸びたんだよ!」
「そうかー、すごいな! 一年で一センチってところだな! 立派じゃないか!!」
割に適当な誉められ方をされているのにも気づかず幼い王子はベルザスにしがみついてはしゃいでいて、その光景はちょっと周囲の方が気を使ってしまう。だって、ベルザスは王家の血を引いているのに王になれない不運な子ども。もしサリクスが生まれていなければ王位に就けたであろう王の血を引く子どもであるのだから。
──兄弟間に確執はないそうなのだが、周囲のこういう空気や無駄な気遣いだったりがベルザスの登城を憂鬱にさせている原因の一つだったりする。
「ベルザス!」
また階段の上から声が飛ぶ。優美に響くが芯のあるハープの様な声。
声が聞こえると同時に、今までは膝をつきつつも口元は少し緩かった、ホールにいた人間達をとりまく空気が変わった。水を打ったように静けさが満ちる。そうしないのはサリクスだけで、ベルザスは立ったままなものの口を噤む。
「お帰りなさい!」
「皆の者、面を上げよ。ここは公式の場ではないからな。さあ、皆自分達の仕事に戻れ」
ハープの声は王妃であるノルナ・カニン様。その後に続いた、ゆったりと低いバスクラリネットのような声はなんと王であるレハイス・グラウサヴァー・シデオス様。
確かに彼らの息子であるベルザスが帰ってきたわけだけれど、まさかのロイヤルが城の入り口という場所で会してしまった。
「レハイス様、ノルナ様。またしばらくの間こちらでお世話になります」
「あらやだベルザス、お世話になるだなんて」
「爵位を賜っております故、本来ならば城の中でも臣下用の棟を使うのが相応しいかと思いますが、この城を出る前に使っていた王族棟の部屋を使わせて頂くことに……」
「あー、細かいことはいいから。よく帰ってきたなベルザス。ルーデロイからここまで来るのも遠かったろう」
王族とはいえ家族は家族。ホールの人間などいないかのように会話が繰り広げられている。五歳の時分から王様をやっているという現王は、その経歴を考えると随分と親しみやすい話し方をする。
顔を上げた城勤めの者達は指示された通り、各々自分の役目を果たすべくまた動き始めて、さざめくように音が広がっていく。それでも小声や足音が王族の団欒を邪魔しないように。
「マイヤちゃんも久しぶりね。どうしましょ、先お部屋に行ってましょうか疲れてるでしょう? もう準備してあるわよ」
「あ、お久しぶりです。ありがとうございます。そうさせていただきます」
城勤めの者と違ってマイヤはどう動くべきかわからず、所在なげにきょろきょろしながら立ちすくんでいると後ろからこっそり声をかけられた。ベルザスがこの城にいた時からいる、ベテランの侍女さんだ。ウインクしながらの優しい言葉に、まさか名前を覚えていてもらっていたとは思わずはにかみながらぺこりとお辞儀をする。
そうしてマイヤは、侍女に連れられるままに用意された一室へと向かった。