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締めきった馬車の中

 くったくたになるまで追いかけて追い回されて、髪は乱れるしスカートは砂まみれだし。それでもマイヤは充実した顔で再びベルザスと馬車に乗り込んだ。護衛は支度があるとかで、外にはいるがまだ乗ってこない。

 新たに用意されていた水筒は、いつもの様に舌の上で転がして味わい、こくんと少量嚥下して、それから勢いよくごくごくごくごくーっと喉に流し込んだ。淑女らしくと窘められてもおかしくなさそうな振る舞いだが別に気にしない。見ているのもベルザスだけだし。


「私の分の水、残っているだろうな?」


 ベルザスにとってもいい気分転換になったようで、街に到着する前よりも顔が晴れやかである。


「もちろん。これ、ベルザス様用ですから」

「その当人である私に断りなく、しかも遠慮なく口にしたのに?」

「えー。結局、先に口するのはわたしですもん」

「言ってみただけだ。水筒貸してくれ」


 悪びれることなくひょいと手渡すと、ベルザスも勢いよく傾け……。


「殆ど残ってない」

「失礼しました」


 新しい水筒に手を伸ばし、再度水を口に含んで確認してからまたベルザスに渡す。胡乱げな視線をよこしてきたが、それはきれいに無視をした。

 街中のさざめきが心地よい。吹き込む風は牧草と馬の匂いで洒落っ気などないというのに、目の前の金色の髪の一本一本を光らせて、常に仕えて側にいるはずのその姿は見飽きることがないのだなぁ。と、マイヤは意識ごと吸い寄せられてしまう。

 窓の外は変わり映えのしない街中であるのに、額縁の中に風に遊ぶ髪のその一瞬を、瞬きで落ちる睫毛の影の一瞬を、上下に動く喉の一瞬を、閉じ込めてしまいたいと思うほどに。


「……何?」

「なんでもないです。綺麗だなぁって」

「それほどでも」


 豪奢な微笑みの返事は、自意識過剰ですねなんて冗談が霧消してしまうほどの力を持っていた。どんなに絶景を前にしたって、この人の美しさの前では霞んでしまうと思えるくらいの力だ。

 尊大な笑みのままベルザスが腕を伸ばした。最初に扉の鍵に。次に窓の横に行儀よく畳まれていたカーテンに。夏の若枝みたいにしなやかな指がタッセルを外し、窓を覆うように広がる。車内が一瞬で暗くなったが、入りこむ風がスカートを揺らすみたいに大きく広がって足元だけを明るく照らす。


「マイヤ」


 湛えた笑みはそのままに、甘い甘い蜂蜜みたいな声が響く。

 狭い車内にはその甘さが滞留するばかりで、マイヤは魔法にかけられたみたいに動きを縫い止められてしまう。ネックレスのチェーンを指で引っ掛けられ、びっくりするほど軽い力で引き寄せてられて、重なる。わずかに開いていた唇が、豪奢な笑みを浮かべる唇に。甘い肌の香りが鼻先で揺れる。


「……見られますよ」

「鍵もカーテンも閉めたし護衛もまだ来ない。これくらいは」

「それでも」

「マイヤ」


 咎めたら、再び唇が触れた。今度は角度を変えて深く。すぐに離れることはなく、ゆっくりと、三回瞬きをする間ずっと。


「城に着くまで宿屋生活だからマイヤと寝所を共にする事もできないし、これくらいは許されるべきだろう?」

「……仕方ないですね。でもこれ以上は怒りますからね?」

「恩に着るよ」


 薄暗い馬車の中でもなお輝く金の目が、いたずらそうに細まった。

 ネックレスのチェーンをくいっとまた引かれ、今度は頭ごと抱えられる。首もとのロケットペンダントがちゃりり、と揺れる音がやけに耳についた。既に乱れていた髪に指が入れられ掻きむしる様に動き、さらに崩れていく。舌が、割り入れられて絡めとられた。


「っ……はぁ……!」


 息継ぎのタイミングがいつもと違う。苦しくて、顔が離れた瞬間に大きく酸素を求めた。それでも足りない。苦しさが解消されないまま、また再び口づけされる。お互いの歯が当たってかつんといっても止むことはない。


「ベルザス様……」


 名前を呼べば唇を離してこちらを見てくれたが、金眼の射抜くような視線を寄越されれば抵抗なんてできない。所在なく胸の前で組んでいた腕をそっとベルザスの体に回すと、上機嫌な猫のように目の前の喉が鳴った。ふふふ、と笑いで空気を揺らし鼻をかぷりと噛んで、また唇が重なる。

 ひひんと外からの馬の声がした瞬間にはっと正気に戻り窓を見たが、やはり翻るカーテンが外界と車内とを遮ってくれていた。


「気になる?」


 口づけから逃げるかのように窓を見たのがお気に召さなかったようで、顎を掴まれて軽い力で向き合わされる。口調は軽いのに、金眼は鋭い。こういう時のベルザスは少し強引だ。


「当たり前です。誰かに見られるかもしれないし」

「つまらないなぁ」

「つまらなくないです。見られたら大変な火遊びは、ここまでにしておいてくださいね?」

「……火遊び?」

「【銀の匙(毒味役)】に手を出すなんて、周囲から見れば火遊びでしょう。ベルザス様のご縁が先が私が死ぬのが先かって感じでしょうしバレたら面ど……あたッ」


 途中で額を指で弾かれて、マイヤは言葉を途中で遮られる。でも額よりも唇のほうがじんじんと熱い。


「ご縁とか死ぬとか縁起でもないこと言わない。……が、すまない。その『火遊び』を本気だと周囲に知らしめるのは時期尚早なんだ。今知られたら、間違いなくマイヤは城に戻されてしまう。だからもう少し、待っていてくれ」

「別に私は火遊びって思われてもいいですけど、だったら時と場所をわきまえて……」

「マイヤは私に本気ではないのか?」


 衝撃を受けた額を掌で抑えながら見れば、すうっと冷えた飴みたいな固さの金眼。


「……どうでしょう?」


 ベルザスの金眼は相変わらず鋭いままで、しかし馬車の扉の鍵を指でいじった。かちゃりと鳴って、外界とほんの少しだけ空間が繋がる。


「もう少し、待っていてくれ」


 美しい主の顔が近づいて、音を立てて口づけてマイヤの言葉を途中で奪って離れていった。しかしやはり、本気でも火遊びでも先が短いことがわかりきっているから、待つなんていつになるかわからない不確定な話を考えることなんて到底できない。

 だから「言ってるそばから!扉の鍵開けてますし、軽率なことしない!」と冗談めいて咎めて、話については触れることを避けた。

 


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