ややこしい家族の形
かたん、かたん。と小気味よいリズムで馬車が走っていく。
隣に流れる川が映すのは、突き抜けるような青空と羊の毛みたいに浮かぶ雲。泳ぐ鴨と跳ねる魚が水面をさざめかす。反対に広がるのは麦畑。力強く実る麦はまだ青々としていて、風が吹くたびに揺れる様は音も相まってまるで波だ。遠くの風車小屋の羽が回るのもよく見える。景色通りに香る水の匂いと若い穂の匂い、変化といえばたまに牛や鶏を飼う匂いがするくらい。
ああ、なんて牧歌的な風景!
ベルザスの紋章である、蔦と梟のタペストリーを下げた馬車を襲う酔狂な盗賊なんて出るはずもなく、同乗している護衛はうつらうつらしている。ああ、長閑すぎる!
しかし、治水工事と共に整備を行った──ベルザスが領主に就任してから取りかかった政策の一つである──くねくねと曲がる川沿いの道を確認したい。とわざわざ通常なら使わない道を走っているのに、当のベルザスは渋い表情をしていた。
「酔いました?」
「……確かにカーブは多いが、車幅広げてきちんと舗装した道を選んでいるから違う。マイヤこそ酔わないのか?」
ベルザスがマイヤの膝元に視線を落としながら言う。膝の上にはマイヤの仕事道具が収められた革のケース。マイヤは手持ち無沙汰なこの時間に、銀のカトラリーを磨いているのだ。
「酔いませんよぉ」
「……一点に集中していると酔いやすいぞ。だから私も、移動中に書類は読まないようにしている」
「んんー。でもやっぱり、こういう時間にこの子達を綺麗にしてあげたいんですよねぇ」
「こ、この子達」
「この子達ですよぉ! ねえ見て下さいベルザス様。ホラこのサーブスプーン、掬う部分は貝みたいな形にしてあって、柄の部分は透かし彫りなんですよ~! さすがオブディン社製! この造形の細かさ、本っ当に美しいと思いません? 見つけた時にうれしくなっちゃって、これは運命だって思ってすぐに買っちゃいましたもんね! あぁー、いつ見てもうっとりしちゃう!」
「わかったわかった。存分に磨いてくれ。そのカトラリー達がひいては私の命を救うことになるかもしれないからな」
マイやの熱量に引き気味のベルザスは、馬を宥めるようにどうどうと言いながらマイヤが押し付けたスプーンを返した。馬車の中にきらきらと白い反射光が踊る。
そうしてベルザスは無言に戻ったのであるが、やはり渋い表情のままだ。目の前でそんな表情をされて、さすがのマイヤも無視してカトラリーを磨き続ける気概はない。だから。
「じゃあ……暑いです?」
「清々しいくらいに爽やかな気候だよ。この国で耐えられないほど暑い日なんてせいぜい五日くらいだ。わかってるくせに」
「あたらないでくださいよ」
「なんでよりにもよって忙しい夏の時期に帰らなきゃならないんだろうな」
「……雪の中、馬車でなんて進めないからです」
「あーあークラーナ川の護岸工事、書簡でやりとりしなければならないなんてつまらないなあああぁぁぁぁぁ」
向かいに座るベルザスが、頬杖をつきながら眉間に皺を寄せ口をへの字に曲げ外を眺めている理由。それは十年に一度行われる、建国記念式典に出席するために実家に帰らなければならないからだった。
この国の中枢でありベルザスの実家である、シデオス城に。
「……まだルーデロイでやらなければならないことも多いのに」
「ぐちぐち言う殿方はモテませんよ?それに、中央で行われる社交だなんだって『忙しいから』って言い訳して、お帰りになる日取りをぎりぎりまで遅らせていたんですから。もう限界です。ダージャさんにだって『そろそろ城にお帰りになった方がよろしい』とせっつかれていたじゃないですか」
「食事に塩入れた犯人を、ダージャが見つけてからにしようかと……」
「そーれーはー! ダージャ様が即日で見つけて執務室まで連れてきたじゃないですか! 厨房の下働きで、『勤務態度があまりによくない』って注意されたの逆恨みして塩盛ったって! 背後にきな臭い関係も無し! 即刻解雇!」
「あーそうだったそうだった忘れてた。あまりに忙しくって。大したことない罪状だったから忘却の彼方だった」
「ダージャ様すごい頑張ってたのにかわいそうですよ。もう」
そう言って留守の屋敷を任した執事の顔を思い出す。
折り合いはあまり良くないが、ダージャの努力を無下にしてはならないことは当然わきまえている。
「忙しいのは事実だし、今はルーデロイの地盤固めがしたいんだ。それにマイヤがいるから嫁探しの必要もない」
「ベルザス様。冗談もほどほどにしてください」
「冗談など」
どんな顔をしていてもベルザスが端正な顔立ちである事には変わらず、伏せった瞼の際から伸びる金のまつ毛が影を落とす様が美しくて眺めていた所に、急に風景からこちらに視線を移して手を握られたものだからマイヤは思わず声を詰まらせてしまった。少しだけ頬が熱い。
「城にお帰りになるのが億劫なのはわかってますし、愚痴にもお付き合いしますけど。──でも、わたしは城自体は好きですよ。……あの城でベルザス様と出会いましたから」
「そう言われたら、何にも言えないなぁ」
暗褐色の頭に優しく手を置かれ、くしゃりと撫でて。ふわりと両の口角を上げてからベルザスはまた視線を外に移した。
車窓を流れる景色は麦畑と川から牧草地へと変わっていて、本物の羊が遠くに雲みたいに固まっている。
確かに精緻な彫刻めいた造りを持つ主の姿は、この地を治め始めた三年前から今の今までそれらとどうにも馴染まない。華々しい社交界にポンと置いた方がよっぽど似合う。しかしそれを言えるはずもなくマイヤはベルザスの頬に落ちるまつ毛の影を見つめ続け、手を握った。
王族の血縁関係というものはとかくややこしいものである。そしてベルザスもその御多分に漏れず、である。
ベルザスは間違いなく王家の血が流れている。現王であるレハイス・グラウサヴァー・シデオスと王妃であるノルナ・カニンの間に生まれた子。しかしその立場は庶子である。王子ではなく。
現王が舞踏会にて男爵家のご令嬢であったノルナ様を見初めたそうなのだが、王太妃とシデオスの殆どの人間が信奉している国教会が二人の仲を猛反対。あらゆる働きかけも空しく婚姻は認められないまま二人の間に子どもが生まれてしまう。王太妃が崩御されたのをきっかけに国教会側も折れ、現王夫妻の婚姻が認められたのだが「こちらも不本意ながら婚姻を受理するからお前らも折れろ」とばかりに二人の間の子どもを王子とは認めなかった。
そんな不運な子どもがベルザス・グラウサヴァーだ。
加えて、現王夫妻が正式なものと認められた後に、新たに産まれた男児の方が正当なる王位継承者と認められたこともまた不運。
養子に出されることなく現王夫妻の元で養育され、国の名であるシデオスと名乗ることは許されなかったが現王の名の一部であるグラウサヴァーの名をもらい、若くして王領地の一部であったルーデロイを拝領すると共に公爵という位を叙勲したのであるから、決して愛を注がれなかったわけではない。
ただベルザスが、本来ならば第一王子であるのに庶子という扱いづらい立場であることは否定できず、故に苦労も多かったようで実家である王城に帰るのは憂鬱らしいのであった。実際、城に帰るのは公爵となってルーデロイに来てから初めてのことであるので、三年ぶりである。
「もうすぐ休憩か」
ベルザスの言葉に外を見れば、道の先に町が見えてきた。ルーデロイ領の中でも大きい方ではないが、人も馬も休憩するには良さそうな賑わいがある町だ。
「名物なんでしたっけ」
「干し羊肉と羊の内臓料理」
「すごい、即答」
「私のルーデロイなのだから、当然のことだよ」
ぱちぱち、と軽く拍手をすると少しだけ楽しそうな顔をしてくれたからなんだか安堵した。ベルザスの家族関係についてマイヤは励ます言葉を持たない。簡単な言葉で励ませるほど生半可な境遇ではないはずだから。
「でも干し肉と内臓かぁ……。普通の羊肉料理はないんですかね」
「干した肉は保存しやすいし流通も楽だから、とりあえずほとんど干しとけって話らしい。それで残りの内臓を食べるんだとさ」
「あ、なるほど」
「あまり惹かれないって顔だな」
「毒味だから食べますけど、個人的な好みとしては」
「慣れればなかなかだが。ま、私もこっちに来て散々食べさせられてから好きになったから。そういう系統の料理だな」
「……召し上がられます?」
「予定ではその次の町、宿泊地が『生肉を使った』羊料理で有名な地だし、そのつもりはないよ。それよりあの町にはメレヴァイク院があるらしいから行こうか?」
「本当に?! ではぜひ!」
「――マイヤは本当にあの場所が好きだな」
「えぇ、あそこには家族がおりますから」
しまった。恐らく家族関係でナーバスになっている主の前で『家族』だなんて。言ってしまって後の祭りでマイヤはひゅっと息を呑んだがベルザスは笑ったままだった。