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エッセー拾遺 ― 文芸誌のコラムから  作者: 坂本梧朗
1980年代

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    同上      の3


 私の職場に一人のばあさんが居る。私にはこのばあさんに現実―地上的なるものの化身を見る思いがある。

 七十三歳。人はどう思うだろう。この年齢になってなお働くことを。社会的評価のある専門職というわけではない。ただの食器洗いだ。食べカスで汚れた器を洗うのだ。金がないわけではない。むしろしこたま貯め込んでいるという噂だ。車庫付きの一戸建ての家に息子夫婦と同居しており、息子は大企業へ車で通勤している。働く必要はどこにもないように思える。現にばあさんは初孫が生まれた時、息子夫婦から仕事を辞めて、子供を見てほしいと言われたのだ。ばあさんもその気になって、辞職届を出してきたが、二、三日後に撤回した。家に居ても淋しくてならないと言う。孫が生まれる時は、顔をほころばせ、仕事を辞めて孫を見ることを、何の抵抗も感じていないように楽しそうに話していたのだが。息子夫婦は、台所で涙を流すばあさんを見て、諦めたそうだ。それがもう四年前。七十までは働かせてもらう、と言っていたが、その年齢を三年上回った今も、仕事を辞める様子はない。私のように食べることのために縛られる境遇から一日も早く脱したいと思っている者には、働き続けるばあさんの心理はよく分らない。私なら早々に隠居して、好きなことをして暮らすだろう。ばあさんは働いて金を得ることが骨絡みになって、それ以外に生活の仕様が考えられないのではないか。

 ばあさんが「ぼんさん」と呼ぶ自分の一人息子への愛情も考えられる。息子にできるだけ金を残しておきたいという気持。女手一つで育ててきた息子だ。ばあさんは夫とは生き別れで、何かの事で夫に意見したら、夫が家を出て、ひどい話だが、それきりになってしまったらしい。別れてから妊娠に気づいた。息子が小学生の頃、米の行商をするばあさんの姿を恥ずかしがって、やめてくれと何度も言ったが、「泥棒をしなければ何をしても恥ずかしいことはない」と諭して、行商を続けた。これはばあさんが私に誇らしげに語った話だ。いかにもばあさんらしい逸話だ。

 足が湾曲している。本人の言によれば重い米袋を担いだせいである。背もせむしのように丸く盛り上がり、首が前に落ちる形だ。身長は一メートル四十そこそこ。やせている。浅黒い膚。しかしその木切れのように干からびた体は金剛のようだ。徒歩で通勤する。その行程には百段を越す石段がある。毎日その石段を踏み越えてばあさんはやってくる。


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