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魔女と出会った日から  作者: 大利畢者
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「学園に憑りついた呪(ゆうれい)」


 翌日、フミの体調は回復したが啓一がもう一日だけ学校を休もうと強く勧めてきたので、フミは仕方なくもう一日休むことになった。

 仕事に出掛ける啓一を見送ったフミがリビングに行くと、ソファで丸まっていたまおが言った。

「断ればいいのに」

 フミは「仕方ないわ」と返しつつ、改めて家の中を見渡す。フミ――魔女はフミの身体を得てからこの家に来て、ずっと気になっていたリビングのシェルフの最上段に伏せられていた写真立てを取った。

「……まお」

「なぁに」

「フミちゃんは、お母様を亡くしているのよね」

 まおは丸まった身体を起こして、魔女の方へ顔を向ける。

「ああ、そうさ。なんとたったの二か月前の話さ。美人薄命ってやつだね」

「最近ね」

 新築のマイホームを背に写る三人の姿。一番背が高いが体格は細く少し頼りない印象の啓一、フミと同じ栗毛色の髪で柔和な雰囲気の女性、そしてフミ。三人とも幸せな気持ちでいることが写真から伝わってくる。

彩愛あやめさん、って言うんだよ。フミちゃんのお母さん」

「どんなお母様だったのかしら」

「月並みだけど、優しい人だったよ。自分に危害を加えた悪人だろうと許してしまうようなね。僕の皮肉を真に受けて傷ついたりしちゃうような純粋さ。もし旦那さんに出会わなければ酷い騙され方をしていただろうね。まぁ、結婚して子を授かって、幸せの絶頂でそのままポックリ逝っちゃったんだ。今頃暢気な猫にでも転生してるさ」

「お父様もだけれど、フミちゃんはさぞ悲しんだでしょう」

「ところが、そうでもなかったのさ」

 魔女は写真立てを戻して、食卓の椅子を一つソファの方へ向けて座る。

「フミちゃんは幽霊の視える子だったからね、お母さんは幽霊になっただけなんでしょ? ならまた会えるよね、そんな事を本気で言っていた」

「…………」

「居るわけないじゃないか。彼女ほどの善人、普通はすぐに転生コースさ」

「その事、言わなかったのね」

「けどもしかしたらフミちゃんが心配で? どこかを彷徨っている可能性だってあるじゃないか? 僕はそんな可能性信じちゃいないけど、フミちゃんは信じて探し回った」

「幽霊なんて、強い未練の塊じゃない。呪いの具現体と言ってもいい。フミちゃんは幽霊というモノを知らなすぎた。教えてあげる義務が、アナタにはあったんじゃないの」

 まおはくしゃみのような声で失笑する。

「そんなこと僕の知った事じゃない。信じて探し回ってる彼女に付き添ってあげていたけどさ、それも食後の運動に過ぎない。僕はただの飼い猫だ、何の義務も負わないし果たす気も無いんだ」

「アンタって、なんでこの家に居たの」

 魔女は頬杖をついて、尻尾をゆっくり振るまおを見つめて真顔のまま言った。

「彩愛さんが運悪く捨て猫のフリした僕を拾ってしまったからさ。幼いフミちゃんを抱えていたくせに、僕まで抱えて帰ったんだよ。バカだよね、本物の猫だったら引っ掻いたりノミ連れ込んだり、酷いと病気まで持ち込んだりして色々危険なのにさ」

「アンタ、口数が増えたわね」

 魔女は淡々とした口調で言う。まおは首を傾げて、顔を洗い始める。

「僕にだって揺れて動く感情があるのさ。生き物はみーんな持ってる枷の一つ」

「素直に悲しんで、恩を感じてるからフミちゃんを見守ってた、くらい嘘でも言えばいいのに」

「やだなぁ。口にしたくないよ」

 まおは伸びをして、ソファから降りる。そしてソファの下に潜り込みつつ、放るように言い残した。

「ぼかぁ、そうして他猫たにんの感情を察してくる君が嫌いだよ。でも魔女の人生は面白そうだから見物させてよね」

 ソファの下の影に潜っていった。魔女はしばらく静まり返った部屋の中でぼぅ、と心が静まるのを待った。

「霊道……あの時、フミちゃんとまおは彼岸花の咲く霊道に居た……死神に魂を獲られて……けど、私の中には」

 そこにもう一人の自分がいるかのように、魔女は独り言を言う。

「……まだフミちゃんはいる…………ママに、会いたいのね」

 例えるなら、予定を書いた手帳の隅のメモ書きのように小さく書かれた言葉。

 だが確かに、魔女の心の中には未だに「文」の未練があった。

「死神さえなんとかできれば……」

 魔女は再び波立った心を静め、すぅ、と息を吸った。部屋全体に意識を飛ばし、あらゆるものの位置を感じ取る。その中で必要な物がある場所に、第三の手を伸ばす。

 最初に動き始めたのはキッチンの棚、白磁のティーカップがふわりと宙に浮かび、魔女の元へとやってくる。その途中にカップには紅茶が満たされ、魔女がカップを手にとる頃には湯気を立てていた。次に、魔女の座る椅子が僅かに浮き、安楽椅子のように深く座り直した魔女を受け入れる。

「ま、とりあえず慣らしつつ、のんびり考えるのが一番ね。下手にまた霊道に行っても魂獲られるのがオチだし」

 音を立てずに紅茶を口に含み、その香りを優雅に楽しむ。

 誰もいない家の中を掌握し、魔女は魔法の力の試運転をすることにしたのだった。



 フミが優雅なティータイムを堪能している頃、アヤは二時間目と三時間目の間の十分休憩を迎えていた。

 ちらとフミの机の方を見る。フミの机には恵の友達が腰かけていた。自分は勝手に席に座るな、と言っていたくせに、などと思ってしまう。早くフミちゃんに会いたいな、そんな思いがため息として口から漏れた。

「あのさ」

 アヤは肩を震わせて声の主の方をおそるおそる向く。

「驚きすぎ……」

 声の主は朱音だった。困惑しながらも表情は穏やかだった。

「ごっ、ごめん。えっと、何か……?」

 アヤの問いかけに、穏やかだった表情は陰る。言いにくい事なのか、一度視線を泳がせてから徐に言う。

「大したことじゃないんだけど、アヤが良かったら、歩美の友達になってあげて」

 目を瞬かせ、聞いた言葉の中からすぐに理解できるものをアヤは反芻するように呟く。

「友達に……?」

 朱音は頷いた。歩美の方を見ると、昨日までの事がまるで嘘のように特に具合が悪い様子もなく、朱音を気にする様子も無くただ黙々と文庫本を読んでいた。

「アタシと歩美はもう、友達じゃないから。でも歩美が独りぼっちのままなのはアタシも嫌だし。アヤだったら友達になってくれると思って」

「…………」

 なんで歩美本人じゃなくて朱音がそんなことを言うのか、アヤは理解できずに視線を泳がせた。

「どうなの? ダメならダメって言っていいんだよ」

「…………それって、歩美ちゃんが決める事じゃないの?」

 朱音はハッとして、それは、と言いよどむ。

「……と、とにかく、お願い。フミにも言っておいて。それじゃあ」

 早口で捲し立てて、朱音は去って行く。アヤは、あっ、と声を挙げて引き留めようと手を伸ばすが、その手の意味も禄に無くすぐに引っ込めた。

「友達……」

 アヤは反芻し、歩美に目を向ける。朱音への執着を失った彼女は本の世界へと旅立っていた。

 窓の外で唇を噛み、二人の関係が壊れてしまった事を唯一嘆いていた存在に、誰も気づくことは無かった。



 給食を食べながら、アヤは歩美に声をかけてみよう、と決心はついたのだが。しかしどう声を掛けるか、昼休みに入っても決められずにいた。せめてフミちゃんが居てくれれば、明日になればフミちゃんが来るかもしれない。自分を誤魔化す都合のいい言い訳というものは何より甘く思考の力を奪う。

 アヤはとりあえず友達のいない教室から出て、中庭へ行ってみることにした。純花が居れば、ただ一人で昼休みを過ごすよりずっとマシなはずだから。

 一階への階段の踊り場に、他のクラスの子達が集まって話しをしていた。その中心に居た人物を見て、アヤは声を挙げそうになった。逃げるように他の階段へと進路を変える。中心に居た人物はアヤの姿を認めていたが、直後に話題を振られ話に戻った。


 その人物とは、アヤが四年生の時に友達だと思っていた女の子「高橋 亞里亞ありあ」だった。

 素朴ながら整った顔立ちで、分け隔ての無い性格はクラスメイトからも人気があり、勉強も運動も成績上位で先生達からの評判も良かった。アヤとは対照的な完璧な人だ。去年のクラスでは周りと上手く馴染めないクラスメイトがアヤ以外にも居たのだが、その子達ですら彼女には信頼を寄せる程であった。


 中庭のベンチに、水色のドレスと七色の髪の純花が座っていた。

「アヤ。待ってたわ」

 純花はアヤに手を振って、そう言った。アヤは、えっ、と声を挙げて困惑した。まさか自分を待っていてくれたとは夢にも思っていなかったからだ。

「待っててくれたの?」

「昨日、お花にお水をあげている時に来たでしょ。だから今日も来てくれるかなぁ、って思ったの。そうしたら本当に来て私もびっくりしているわ」

「そ、そうなんだ……ちょっと、うれしいかも」

 アヤは純花の隣に、少し間を開けて座る。すかさず純花は間を詰めた。

「うふふ、アヤは照れ屋ね。そうだ、歩美さんは元気になった?」

「あっ……うんと、うん。元気にはなった、みたいだよ」

「煮え切らない答え。何かまだ問題があるの?」

 朱音に頼まれた事を、アヤは説明する。純花は頬に人差し指を当てて首を傾げる。

「それなら、友達になればいいじゃない?」

「……そう、だよね。でも……」

 なんて声を掛けるか、迷う内に勇気はすっかり萎み、自信の無さが勇気を奮い立たせるのを阻害する。

「アヤって、点々が多いのね。頭の中ではきっと、たくさんのアヤが話し合っているのね」

 夢の中の純花アリスにも言われた事だ。現実の純花は少し困ったようにはにかむ。

「…………うん、そう。いつもそう。頭の中で何て言えば良いのかって、パズルをずっと解いてる。いつも間違えてるけど……」

「大丈夫、間違えたら直せばいいだけ」

「直し方が分からないから、頭の中が真っ白になっちゃうんだ」

 純花は優しくアヤの頭を撫で、ハンカチを差し出した。アヤはようやく、目から涙が零れていたことに気づく。

「大変ね。でも、良い事だと思うわ。私なんて、思った事がぽーんと出ちゃうもの」

 ぽーん、と腕を大きく広げて大袈裟に表現するのが可笑しくて、アヤは小さく噴出した。

「ぽーんと出るなんて、アリスちゃんはすごいね」

「アリス?」

 純花はキョトンとする。アヤは少しの間気づかなかったが、慌てて訂正をする。

「あ、違う、純花ちゃんだった」

「アリスって、もしかして夢の中での私のこと? ひょっとして不思議の国の!? まぁステキ! あぁー羨ましいわ! 私も夢の世界を冒険したい!」

 純花は目を輝かせて椅子から飛び上がる。

「ねぇねぇアヤ! 夢の話を聞かせてもらえないかしら!」

「え? あ、え、えっと……いいのかな?」

 フミの居ないところで、安易に夢の世界の話をしていいのだろうか。そもそも、その夢の世界は純花アリスの世界だ。それを本人に直接話していいのか、アヤは判断が出来ず、ただ申し訳なさそうに俯く。

「あら、秘密なの?」

「う、うん。あのね、フミちゃんが言うには自分の夢には入れないんだって。だから、純花ちゃんの夢の世界の話をしていいのか分からなくって」

 純花は頬を膨らませたが、やがて渋々納得したのかアヤの隣に改めて座り直した。

「ルールがあるのね。じゃあ仕方ないわ」

「ごめんね」

「アヤは悪くないわ。ルールは守るものですもの。じゃあ、フ、ミ、さん? が学校に来れるようになったら、私にも会わせてね、アヤ」

「うん。約束する」

 そう言うと、純花は右手の小指をアヤに向ける。

「指切りげんまん、ね?」

「う……うん」

 幼稚園の時に半ば強引にさせられて以来の、久しぶりの指切りげんまんでアヤはぎこちない動きで純花の小指に、自分の小指を絡ませる。

「ゆーびきーりげーんまーん、うっそついたーら……」

 純花はくすりと笑う。

「私はアヤを信じてるから、針千本なんていらないわね?」

「え? あ、あはは……うん、破らないよ」

 校内に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。

「もう終わりなのね。アヤと居ると時間があっという間だわ」

「純花ちゃんと同じクラスだったらよかったのに」

「まぁ、私はアヤのクラスがとっても羨ましいわ。魔法使いさんと一緒のクラスなんて!」

「あはは……」

 アヤと純花は駆け足で校舎へと戻っていった。



 結局、アヤは歩美に声をかける事ができないまま放課後を迎えた。

 フミに声をかけた時のように、朝の挨拶から始めればよかったのだろうか? 純花に声をかけた時のように、夢の世界の話でもすればよかったのか? 体調を気遣えばよかったのか? 頭の中の議論は平行線を辿り、悶々としたままやや視線を落として帰路を歩いていた。

「アーヤ。……アヤ? アヤっ!」

 跳び退くようにハッとして、声の方を向く。声の主は失笑した。

「あ、亞里亞ちゃん……!?」

 アヤが狼狽えながら名を告げると、亞里亞は曇りの無い笑みを浮かべる。

「久しぶり、アヤ」

「あっ、う、うん。久しぶり……かな、三か月ぶりくらい……?」

「そう、去年一緒のクラスだったでしょ。…………一緒に帰ってもいい?」

「え。うん」

 ありがとう、と亞里亞は目を細めて笑う。

「どう、新しいクラスには慣れた? 友達できた?」

 アヤはその質問をされた事が少しだけ嬉しかった。

「……うん、できたよ。白沢フミちゃん、って言う子」

 ほんの一瞬、亞里亞の顔から表情が消えたことに、気恥ずかしくて俯いたアヤは気づかない。亞里亞はわざとらしく、えー? と声を挙げてアヤとの距離を詰めた。

「あの、幽霊が視えるっていう?」

「うん。変わった子だけど、一緒にいると楽しいんだ。それから、1組の純花ちゃんとも友達になれたんだ」

「へぇ……よかったね、アヤ」

「うん。……うん!」

「そっかー、アヤにも友達ができたのかー。よかった、アヤっていつも一人ぼっちなんだから」

「……心配してくれてたの?」

 亞里亞は少しだけアヤより前に出る。遠くを見て気持ちを落ち着かせないと笑みを作れない。

「そりゃあ、心配だったよ。一人は寂しいでしょ。学校には同い年の子がいっぱいいるのに、ってさ」

「勇気が出せなくて……」

「五年生になったから、ちょっと頑張ってみたんだ?」

「うん」

「そっか」

 亞里亞再びアヤの歩調に合せ、頭を撫でた。アヤはびっくりしたように目を見開き狼狽えたが、やがて素直に頭を撫でられる。

「がんばったね。受け入れてもらえてよかったね」

「……亞里亞ちゃん」

「ん?」

 アヤの頭から手を離し、次の言葉を待つ。ごぅ、とスピードを出した車が横切った風の音が止んだ頃、アヤはようやく内から言葉を出す。

「私と亞里亞ちゃん、って、友だ――」

 亞里亞は人差し指で、アヤの口に指を当て言葉を遮る。息を吐くような微笑の後、口角を上げて言う。

「聞くまでもない。友達だよ」

 言い終え指を離すと、アヤは嬉しさが頂点に達し涙を流す。慌てて服の袖で拭って笑みを作った。

「…………ありがとう」

「あたしの事なんて忘れちゃってると思ってたよ」

「そんなことないよ。去年は亞里亞ちゃんにいっぱい気を遣ってもらっちゃったし」

「気を遣い遣われ、そんなの当たり前だよ。気にしないで」

「ううん、本当に感謝してるんだ。何度も、ありがとう、って思ったから」

「今度からは、言葉で伝えてくれればうれしいな」

「……うん!」

「それじゃあ、あたしはこっちだから」

 亞里亞は手を振って、自分の帰路についた。

「ま、またね!」

 アヤは手を振り返した。

「バイバイ」

 亞里亞はもう一度手を振り、少し進んだ所で前を向いて去って行く。その背を見送りながらアヤは、ほぅ、と息を吐いた。するとまた、目から涙が零れることに気づいて袖で顔を拭う。嬉しさから出る涙は、悲しみから流れるものより少しだけ温かく感じたのだった。

「君、ちょっといいかな」

 アヤは声の方を向く。そこには、背の高い細身の男性が神妙な面持ちで立っていた。

「君は、聖花学園の生徒か?」

「あ……っ……」

「こ、怖がらなくていい。俺はただ、最近学校で変わったことが無いか聞きたかっただけだ」

 アヤは、ふるふる、と首を振った。変わった事はたくさんあるが、それを見知らぬ人に話したくはなかったし、なにより早く立ち去って欲しいという恐怖心から声が出なくなっていた。

「そうか。ごめんな、怖がらせて」

 男性はポケットから棒付きアメを取り出してアヤに差し出すが、アヤはまた首を振って受け取りを拒否する。

 アメをしまい直し、男性はアヤの横を通って学校の方へと歩いて行った。

 せっかく感じていた幸福感を、見知らぬ人に声を掛けられたことですっかり恐怖で上書きされてしまった。



 その晩、アヤは枕の下に敷いていた魔法陣を取り出す。すっかりくしゃくしゃになったそれを、丁寧に畳んで皺を伸ばして、黄緑のプラスチックのコップのペン立ての側に置いて、布団に入った。

 今日はフミと夢の世界で会う約束はしていない。この前、フミに会いに行こうと魔法陣の力で夢の世界に入ったが、フミはアリスの遊園地には居なかった。終わり頃に合流はできたが、できれば最初から二人でいたい。


「―――アヤ」

 優しい呼び声に、アヤは目を開けた。

 学校の中庭、花壇に設置されたベンチに腰掛けていたようだ。

「ねぇねぇ、アヤ、どう思う?」

 左側から顔を覗き込んできたのは純花だった。

「え、何が?」

「友達っていつなるのか、よ」

 右から、フミの声でフォローが入った。アヤは「ええと」と返答を思案するが、その質問の答えはむしろアヤが聞きたいくらいだった。

「お話したら友達? 目と目が合って、笑いあえば友達?」

「その調子でいったら、全人類が友達ね」

 フミはくすくす、と純花のように笑う。

「そうだったら簡単なのに」

 アヤは心に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。フミも純花も、そうね、と言って少しだけアヤとの距離を詰めた。

「私達はもう友達」

「ずっとずっと、ね」

 二人の言葉はとても甘い。アヤは二人の顔を見て、頷いた。

「…………うん」


 目を覚ましてしまえば、結局夢でしかない。アヤの気分の落差たるやジェットコースターの如し。

 アヤは二度寝しようにも目が冴えてしまっている。諦めて布団を片付けることにした。



 フミは朝食をとった後、処方された錠剤を飲んで、体温計で熱を測る。ピピピ、と電子音が鳴って体温計を取り出した。36度7分だった。

「……よかった、もう大丈夫そうだね」

「うん。パパのお粥のお陰かも」

「ははは。ありがとう」

 フミが続けて、啓一に外で遊んできても良いか尋ねると、少し躊躇したものの昼には一度帰って来て、昼食を一緒に食べる、という条件で許可を出してくれた。フミは二階の部屋に戻って、出かける準備を始める。

 一緒に朝食を食べ、上機嫌なまおはフミの様子をベッドの上で眺めながら言う。

「どこいくの?」

「とりあえず、ご近所散策。知っておいて損は無いはずよ」

「ふむ」

「アンタも行くのよ」

 まおは尻尾をピンと張り、唸った。

「えー? 食べたばっかりで動きたくなーい」

「太った猫なんて、私はかわいいとは思わないわ」

「丸っこくて、ふてぶてしい感じがいいんじゃないか」

「そうでなくてもふてぶてしいくせに」

「とにかく、僕は行かないよ。一人で寂しくぶらぶらするんだね」

「いいわよもう。独りは気楽でいいわ」

 フミは手提げバックを背負い、部屋を出て行く。まおは欠伸をして丸くなった。

『いってらっしゃい』

 階段を下りるフミの耳に、間近で囁くようにそう聞こえた。フミはこれをされるのはあまり好きではないようで、背筋に寒気が走った。


 まずは近所にあって、学校に行く道すがら目を付けていたコンビニエンスストアに立ち寄る。

「いらっしゃいませー」

 カウンターの向こうで作業をしていた若い店員が来客であるフミに挨拶をする。フミは手前の雑貨コーナーから順に見て行くことにした。

 

 フミ――魔女は、死神に襲われ、魂を失ったフミの身体に自らの魂の半分を分け与えた。それにより「白沢 文」の身体でありながら魔女「メアリー・スゥ」として今はここにいる。分け与えたメアリーは山の麓の森に隠れ住んでいる。

 メアリーは、人の文明社会から隔絶して生きているわけでは無い。時折ふらっとこの街に現れては、スーパーでお惣菜やアイスクリーム、コンビニではコンビニスイーツ、本屋で一目惚れした本、100円ショップで日用雑貨を普通に買い物していた。だから、彼女は特にジェネレーションギャップ的な驚きはない。


「こういうのが流行り、なのかしら」

 ボソッと呟いて、お菓子コーナーの食玩を眺める。アニメや漫画といったモノを老若男女問わず人気なのはフミも知っていた。メアリーの記憶を辿ると、自分はそれほどそういったサブカルチャーには興味を持っていなかったことを思い出す。これを機に知ってみるのも面白いが、食玩だけではさっぱり分からない。

 メモ帳を取り出して、食玩のパッケージに描かれたアニメや特撮番組のタイトルをメモしていく。店員は怪訝な表情でそれを眺めていたが、弁当を持った客が来て対応する。

 一通りメモしたフミは、次に雑誌コーナーに行くが「立ち読み禁止、か」注意書きを見て表紙だけ流し見していく。メアリーは一度本を読みだすと読み耽ってしまう。立ち読みなんか始めた日には読み終わるまでそこに居続けてしまうだろう。現代社会に溶け込もうとしている以上、そういうルールは可能な限り守っていくつもりでいるのだ。


 フミはコンビニエンスストアを後にする。

 最後にコンビニスイーツのコーナーで、新発売のチーズケーキを思わず買ってしまいそうになったのだが、まだ出かけてそれほど時間も立っていないから、ぐっと堪えて出てきた。帰りまであったら買おう。そう決めて。



 県立図書館――学校から坂を下って、最初の交差点に設置されている看板が示す通り、東へしばらく歩くと、その建物はある。五階建ての本館の裏手には庭園が造られており、花壇には四季折々の花が彩り、所々に設置された『樹』をイメージしたであろうナチュラルなベンチや、奥の別館には小さな美術館が併設されている。

 フミは庭園を一周して奥の美術館に入ろうとするが、外に出ていたボードに書かれていた言葉に目を留めた。

「入場料、子供は五百円ね」

 手持ちのお金は千円と小銭が少々。ふと、フミ――魔女はこのお金に疑問を持った。

 フミが持っていた財布には当然のようにお金が入っていたが、このお金はどうやって手に入れたものだろう。疑問に対する答えはすぐにお小遣いとして貰ったものだろう、と出した。

「まお」

 引き返すように踵を返し、周囲に人が居ない事をさりげなく確かめてから名前を呼んだ。

「もうすぐお昼でーす」

 ベンチの下の影から、まおがにゃあ、と鳴きながら現れる。

「そういうことを聞くつもりはない。フミちゃんはお小遣いを毎月貰っていたの?」

「うん。無駄遣いしちゃダメだよって念を押されながらね」

 フミはベンチに腰を掛け、まおもベンチに飛び乗って丸くなる。

「どういう風に使ってたのかしら」

「お菓子買ったり、文房具を買ったり? あー、彩愛さんが入院してた頃はお土産買ったりもしてたね」

「……そう」

「どっちかと言えば、僕がおやつねだってお金使わせてたね。君には期待できなさそうで残念だ」

「財布の紐はきつく結んでおくことにするわ」

「ひどいや」

 角を曲がってきた二人の少女が、フミとまおを見て怪訝な顔をして前を歩いて行った。

「猫と話してたのかな? やだかわいー、だってさ」

「いや別にそんなこと教えてくれなくていいわよ。それじゃあ、一度帰りましょうかね」

「フミちゃん?」

 フミが声の方を向くと、リュックサックを背負ってコンビニの袋を提げたアヤがこちらに歩いてきていた。

「あら偶然ね、アヤ」

「ホントに。まおちゃんとお散歩?」

「いーえ。一人でお散歩していたの。でもちょっと質問があったから呼んだだけ」

「そ。僕はもう用済みってわけ。それじゃあね」

 まおはベンチから降りて、影に飛び込み、沈んでいった。フミは空いたスペースを手で軽く払って、アヤに座るよう促す。

「質問、ってなに?」

「お小遣いのことをちょっとね。フミちゃんはどんなお金の使い方をしていたのかと思ってね」

「ふぅん。フミちゃんはいくら貰ってるの?」

「それは……」

 そういえばそれは聞かなかった、とフミは言葉を詰まらせた。アヤはコンビニの袋からおにぎりを取り出して、封を切る。

「……聞けばよかった。まぁでも、いずれ分かることだから今じゃなくても問題ないわ」

「そっか。魔女さんがフミちゃんになったのって最近だもんね」

「知らない事ばっかりだわね。……私達も、知り合ってからまだ五日しか経ってない」

 おにぎりを頬張ったアヤは小さく頷いた。

「少しは私に慣れてくれたかしら」

 アヤは視線を泳がせて、口の中の物を呑み込んでから答える。

「……全然。メアリー、のこと全然分からないよ。魔法の事も、夢のことも」

「あら、私の名前覚えてくれていたのね」

「ちょっと自信なかったけど」

「合ってる。ふふ、今の私は名前が沢山あってややこしいわね」

「フミちゃん、魔女さん、メアリー、さん? 私はフミちゃんが一番言いやすいかも」

「どれでもアヤの好きに呼べばいいわ。……まぁ、学校や人前で魔女さん、メアリーさんと言ってしまったらきっと変な顔をされるでしょう」

 そうだね、とアヤは笑って、おにぎりを頬張る。咀嚼して呑み込み、また質問をする。

「フミちゃん、お昼は?」

「これから一度帰って、家で食べることになっているわ」

「そうなんだ。お母さんが作ってくれるの?」

 アヤは当然、フミの母親がすでに亡くなっている事を知らない。そしてフミもすでに「白沢 文」ではなくなっている。魔女は返答に迷い、目線を下げる。

「……フミちゃんはお母様を亡くしていたわ」

「え……」

「だから、お父様がお昼を用意してくださるの。だからそろそろ帰らないといけない」

 失言をした上、フミをいつまでも引き留めてしまっていた事に気づいて、アヤは申し訳なくなった。

「その、ごめんね」

「いいのよ。私のことじゃないし」

 気まずい空気のまま、フミはベンチから立ち、短くアヤに挨拶をしてその場を立ち去る。

「……ねぇ!」

 アヤは声を挙げて、フミを呼び止める。

「お昼食べた後、またここに来て」

 本心としては、この気まずい空気を今すぐなんとかしたい。しかしこれ以上今一緒にいても、口下手なアヤでは言葉で悪化させることはあっても改善させるなんて、出来る自信がない。だがフミが一度帰るというなら、その間が少しでも二人の間の空気を換気してくれることを信じて、もう少し話していたいという素直な思いをぶつけてみた。

「……いいわよ」

「……! じゃあ、一階にいるから!」

「ええ、また後でね」

 フミは微笑んで手を振った。アヤも小さくそれに応えた。


 いろどりの無かった風景に、少しずつ彩が加えられていくのをアヤは感じていた。

 おにぎりの残りを食べて、二個目を開けようと袋に手を掛けた刹那、胸に小さな痛みが走った。



 ・・・・・



 目が覚めてみれば、正午を周っていた。

 午前中を丸々寝潰すなんて、ものすごく勿体ない事をした気になる。などと後悔しても後の祭りだ。

 昨日はコンビニでのアルバイトで朝から夕方にまでずっと働き通しだった。もちろん休憩は一時間あった。アルバイトが終わった後は本業の仕事の下見をした。それが終わって、住んでいるアパートの大家さんの家で夕食を頂いて、部屋に戻ってすぐに眠ったんだ。

「……って!」

 ぼぅ、と昨日の事を思い出している時間はない! 今日の一時にまた本業の仕事がある!

 俺は慌てて準備を始める。空腹も忘れて急いで着替え、髪を整えて身支度を整える。

 遅刻は出来ない。俺の本業は信用が大事だ。いや、決してアルバイトに手を抜いているわけではないが、本業の方が比較的責任の比重が重いのだ。なんて意味も無く自身に弁明する間も時間は過ぎる。

 戸締りをしっかりして、数珠を腕に巻いたのも確認して、部屋を出る。玄関の鍵も忘れてはならない。

 仕事場に向かう前に、大家さんの部屋の戸を叩く。少しして、はぁい、と声がして戸が開く。

「あ、しんさん。おはようございます」

 朗らかに笑う少年は、大家さん――妖怪狐「月見つきみ 天狐てんこ」の従者。何故妖怪がアパートの大家をしているかはこの際置いておくとして、俺の用事は彼「犬先いぬさき もん」にあった。

「おはようございます。あの、申し訳ないのですが握り飯を頂けませんか」

「いいですよ。ちょっと待っててください。あ、一つ作る分しかないんですが……」

「それでいいです! 重ね重ね申し訳ないですが、急いでいるので早めにお願いします!」

「分かりました。すぐ作りますので中でお待ちください」

 中に迎えられ、俺は急ぐので玄関で待つよう言って、玄関で立って待つ。少しして、奥から長身で金髪、頭から狐の耳が伸びた青年がやってくる。

「やあ。今日は忙しないな」

「おはようございます、天狐さん。少し寝坊して」

「例の、聖花学園の?」

「ええ。昨晩も話した通り、下見しただけでもかなり強い霊力を持った霊みたいですから」

「霊の力が、学園全体に及んでいるからね」

 俺の仕事、それは「怪異現象専門の便利屋」だ。小さな霊障から妖怪絡みのちょっとした事件の解決まで、高名な「祓魔士」や「陰陽師」といったその道のプロが請け負わないような小さな依頼を請けている。

 この間は、母の使っていたリコーダーが夜な夜な勝手に鳴りだすというので調査の依頼があって、付喪神化しつつあったリコーダーの霊を鎮静化、リコーダー本体を綺麗にして娘に使ってもらうことで解決した。

 街で暮らす妖怪は、普通の人間に混じって生活するのだが、人と同じく、周りに馴染めずに犯罪に走ることも珍しくない。人間ならば警察官が対応するのだが、妖怪は得てして人間にはない能力を持っていて、警察官では多くの場合手に余る。そういう輩を捕え、然るべき措置を与えるのも仕事の内だ。最近はそういった案件は少ないが。


 一昨日の事。俺の所に神野県立聖花学園の高等部美術教師「虹野にじの さい」という人から依頼の手紙が送られて来た。内容は「学校に掛けられた呪いを解いて欲しい」という依頼で、今日これから学園で虹野さんに会って話を聞く予定だ。

 幾つも、疑問を持った依頼でもある。学園全域に及ぶ程の強力な呪いを掛けるような相手であれば、普通は陰陽師か祓魔士が動く案件だ。しかし、祓魔士はこの依頼を一旦調査すると言って引き受けたものの、結局断ったという。

 それはつまり、解く必要が無い、と受け取る事もできる。数は少ないが俺の仲間も大体そういう考えで一致するだろう。

 解けない呪いは無い。しかし、解くことで逆に何らかの実害を被る可能性はある。水入りの風船かただのヘリウム入りの風船かを調べてから割らなければ、割った時に割った人が水浸しになってしまうように。解いた本人に影響が出る程度ならば陰陽師や祓魔士は対策が出来るので二つ返事で受けるものだが、受けなかったということはそれも考えにくい。やはり、解く必要がない、あるいはそこにあるべきモノと判断されたものなのだ。


「信、私からは何も言わないよ」

 天狐さんは神妙にそう言う。天狐は恐らく、呪いについて知っているのだ。知った上で、受けた俺に判断を委ねている。

「調べてから、決めます。呪いを解くべきか、そのままにしておくべきか」

「それがいい」

 台所から出てきた門君は拳台の大きさのおにぎりと水筒を持ってきた。

「呪いには祝福も入っていることを忘れないで」

「はい。……行ってきます!」

「いってらっしゃい」

「いってらっしゃいませ!」

 門君の握った、程よい塩加減の握り飯を頬張りながら聖花学園へと向かう。



 聖花学園の校門の前で、依頼主らしき男性は待っていた。線の細い印象を受ける男性だった。

「こんにちは。私はこの聖花学園で教師をしているという、虹野さんからの依頼を受けて参りました、祓魔士の信です」

 俺は祓魔士を名乗ったが、元が付く。しかしわざわざ元と付けてしまうと、依頼者に余計な不安を抱かせてしまうと言われ、わずかに罪悪感を抱きながらも祓魔士を名乗っている。

 お辞儀に、男性もお辞儀で返す。

「お引き受けいただきまして、ありがとうございます。高等部で美術を教えている「虹野 彩」と申します。どうぞ、お入りください。狭い美術室で恐縮ですが、そこで依頼についてお話します」

 虹野さんは校門を開け、先導する。それに従って敷地に踏み入ると、少しだけ空気が変わったように感じる。

 決していぶつを拒むような雰囲気ではなく、誰かに見守られているような、心にあった緊張が解けるような感覚だ。

「……信さん?」

「あっ」

 いつの間にか足を止めていたようだ。虹野さんが怪訝な顔をしている。

「何か、感じましたか」

「はい。ですが……いえ、お話を伺って、調べてから結論を出さないと」

「よろしくお願いします」

 はい、と返して、虹野さんはまた踵を返して歩き出し、俺もそれに続く。



 美術室に到着し、整然と並んだ机の一つに案内され、虹野さんは隣の机の椅子を取り俺の前に座る。

「先日お送りした手紙に記した通り、この学校には強力な「呪い」が掛かっています。その影響は生徒も先生も関係なく、この学園にいる者全てに影響が出ているのです」

「具体的に、どんな影響ですか? 頭痛がするとか、変な声が聞こえるとか」

「いえ。……その、影響は……」

 虹野さんは逡巡する。見た所、呪いがそうさせているわけではなさそうで、ただ彼自身が言う事に踏ん切りがついていないようだ。彼もまた、この呪いを解くべきではないと思っているようだ。

「話してください」

 俺はあくまで協力を促すように調子を強くしないように言う。虹野さんは俺を一瞥して、すみません、と謝り、席を立つ。そのまま、奥の準備室と書かれたドアを開けて入って行った。

 少しして小さなポットと、手提げ袋を持って戻って来る。教卓の上にポットを置いて、手提げ袋から急須と茶葉の入った茶葉入れと二つの湯呑みを取り出し、お茶を淹れ始める。

「ちょっと、お茶を入れる間だけ待ってください」

 こういう風にもう一度心の準備をしたいと言う依頼人は割といる。心のどこかでは、やっぱりこんなバカな事を相談するなんてどうかしている、などと思っている事が多いが、こちらとしては大真面目にそのバカな相談を聞くのが仕事だ。大体、バカな相談というものはその場で相談しなければ、より悪化してしまうような重大な問題なことの方が多い。

 本当に些細な健康問題や本人の思い違いということも珍しくはないが……今回は学園の敷居を跨いだ時点で空気が違うと分かる程なのだから、重大な問題と思っていいだろう。

 香りの良い玄米茶が机の上に置かれる。いただきます、と会釈して一口頂く。自宅で飲むのと同じ物で、気分が安らぐ。

 虹野さんは湯呑みに口を着けずにしばらく水面を見つめた後、意を決し話す事に決めた。

「呪いの正体を、僕は知っているんです」

 俺は、えっ、と声を挙げた。そもそも依頼を出す人間というのは、身に起きた怪異を相談する宛を知っている人間だ。だが呪いの正体にまで気づける人間となると、大抵は怪異事件を解決することが出来る祓魔士や陰陽師の側の人間だと、俺は思っていた。しかし彼は一介の美術教師だ、多少血筋的に祓魔士や陰陽師の素質があったとしても不思議ではないが、呪いの正体を特定するとなると相当な年月の修行を要することだ。

「……この学園の初等部で昔、先生が自殺したのをご存知ですか?」

「いえ」

「木々谷 みつるという女教師です。六年生の担任だった彼女のクラスでは、酷いいじめが横行していたそうで、彼女はそのいじめられていた生徒を守ると約束したのです。しかし……」

「……守れなかった」

「その子は不登校になり、いじめの標的は別の子に向けられました。彼女はまた尽力しましたが、結局、学級は崩壊し、生徒達の親、あのいじめられていた生徒の親すらも、彼女に酷い罵声を浴びせました」

「それで自殺を」

「僕は屋上で、彼女の最期の願いを聞きました」

 虹野さんは唇を噛み、肩を震わせ、湯呑みを持つ手に力を入れる。


「みんな、仲良くなれたらいいのに。誰にも悪口を言わず、喧嘩はしても仲直りして。弱い子は皆で守って、困ってる子は皆で助けて。誰も除け者なんていない、そんな世界になりますように」


 あまりにも甘い考えだ。俺は反射的にそう思ってしまう。同時に納得した。

 呪いというものは強い想いから生まれるものだ。

「この学校では、しばらく、いじめは起こっていない」

「…………例えば、一部のグループが弱い子を揶揄って遊んだとします。早ければ次の日には、彼らはその弱い子に謝るんです。そして、もう二度と彼を揶揄ったりしない」

「子供達の意識に、干渉している」

「ええ。……いじめは残酷ですが、人間に限った話ではありません。自然界を生きる動物全てに、起こりうることなのです。特に、精神的に未熟な子供では尚更です。いじめは決してなくなるはずはない。しかし、彼女の遺した呪いは、いじめを無くしたのです。今この神野県立聖花学園では、おそらく日本で唯一、胸を張っていじめはないと主張できる学校です。ただそれは、一人の先生が、呪いとなって子供達の意識を改ざんしているからなのです」

 俺は呆然とする他なかった。

 一般的に考えればどうだろう? だが自然界に生きる動物の一部である人間ならば? それ以前に倫理的に?

 ふと、天狐さんの言っていた言葉が頭をよぎる。

『呪いには、祝福も入っていることを忘れないで』

 これはきっと、自殺した木々谷先生の祝福なのだ。彼女はその命を賭してこの学園に、全ての生徒、先生が手を取り合い仲良くなれる「呪い」をかけたのだ。

 解いていいのだろうか? 解けばどうなる? また、生徒の誰かが辛い思いをすることになるのだ。

「お願いです。どうか、この呪いを解いていただけないでしょうか」

「……解けば、また、誰かがいじめの標的になるんですよね」

「僕だって嫌ですよ、今の方がいいに決まってる! けれど、それは不自然なんです!」

 虹野さん、虹野先生は心の奥から叫んだ。それは目の前にいた俺にヒシヒシと伝わる。

「……いじめが起こる一端、ですが、理不尽を受けた子供が誰かに、自分より弱い立場の者に理不尽を課す。これがいじめだと僕は思うんです。つまりストレスが溜まってて、かつ学校のクラス内ヒエラルキーの、ある程度上の子がやるんです。これって、すごく自然な発散行為なんです」

 虹野先生は、いじめを肯定しているわけではない。ただ、それもまた人の持つ弱さ故に自然に起こることなのだと、理解しているのだ。

 これは俺の見解だが、もし自殺した木々谷先生に、虹野先生のように自然なことなのだという思いがあったら、死して呪いを生み出す事も無かったはずだ。

「だから、お願いします。彼女から、生徒を解放してあげてください」

 俺はすぐに返答することができなかった。

 呪いを解けば、この学園にまた自然の流れを取り戻せる。

 しかし呪いを放置すれば、この学園では凄惨ないじめは二度と起こらない。

 俺は、どうするべきなのだろう。

 静かに流れる沈黙の中、虹野先生は俺の返事を待っている。


 俺、シンの思いに従うならば、呪いは放置すべきだと思う。だって、いじめという物は学校に行っていない俺はニュースでしか知らないが、幼いながらに死を選ばざるを得なくさせる程追い詰めるなど、陰湿で許すべき行為ではない。呪いを放置することで、この学園の誰かがそんな惨い目にあってしまうくらいならば、今この依頼主に罵倒されようとも放置するべきだ。

 しかし、虹野先生の言うこともまた、一理あるのだ。人間だけがいじめをするわけではない、群れを成す動物では必ずヒエラルキーが存在する。そのヒエラルキーの下層にいる限り、虐げられることから逃れることは出来ない。故に皆が上位を目指して競争することで、成長し発展が生まれる。

 失われていい命、虐げられていい命はない、それはあくまでも理想なのだ。


「…………」

「……どうか、よろしくお願いします」

 虹野先生は席を立ち、深く深く、頭を下げる。


 俺は――――


 祓魔士の仕事は、こういう選択を迫られることは決して珍しいことじゃない。

 いつだってどっちを選んでも後悔する選択肢ばかりだ。それでも、選ばなければならない。



 ・・・・・



 フミとアヤは図書館を後にする。日は傾き、間もなく夜を迎える。

「結局、隣で本を読んでただけだったわね」

「私は楽しかったよ」

「そう? 一人で読書しているのとあまり変わらないでしょう?」

「ううん。文章に一区切りついて、ちょっと隣を見るとフミちゃんがいる。それだけで嬉しいな、って思ったよ」

「アヤは面白いのね」

 フミはくすくす、と笑って、アヤは恥ずかしそうに目線を反らして俯いた。

 それからしばらく沈黙が続いたまま、淡々と帰路を二人で歩く。沈黙を破ったのはアヤだった。

「……あのさ、フミちゃんは明日、忙しい?」

「いえ。街中をブラブラするつもりよ」

「あ、じゃあ、一緒に行っていい?」

「ええ。もちろん大歓迎よ」

 アヤは嬉しくて、思わず大きな声で、ありがとう、と言う。

「じゃあ、どこで待ち合わせましょうか」

「……あ、あの交差点のコンビニは? 私とフミちゃんが別れるところのコンビニ」

「あそこね。いいわよ」

「楽しみ。……あっ」

 アヤは前から来る人物を認識し足を止め、半歩下がって、フミの後ろに隠れた。

「どうしたの?」

 フミは聞きながら、前から来た人物を見る。思いつめた表情で歩いてくる青年だった。ふと、アヤに気づいたようで二人の前で立ち止まる。

「君は昨日の」

 青年はフミの後ろに隠れたアヤを見て、バツの悪そうな顔をする。

「彼女に何か?」

 フミが聞くと、青年は逡巡し首を振った。

「ああいや。昨日は怖がらせてしまってすまない。それだけ言っておきたくて。それじゃあ気を付けて、早めに帰るんだよ。夜道の危険は人間や車だけじゃないんだ」

「あら? お化けでも出るのかしら?」

 フミは茶化すような調子で言い、青年は至って真面目に返す。

「ああ。びっくりしてしまうようなお化けが、この街には沢山いるんだよ」

「それは怖い。気を付けて帰りましょう、アヤ」

「……君も聖花学園の生徒、だよな?」

「ええ。それが何か?」

「何か学校で変わった事は起こっていないか? 例えば、変な声を聴いたとか、お化けを見たとか」

 魔女は一瞬目を細めた。幾つか心当たりがあったためだ。それを悟られないように間を開けずに口角を上げて返す。

「たった今出会ったばかりの人に話すと思う?」

 青年はその答えが意外だったのか呆気にとられ、ふっ、と表情を緩めた。

「そう、だな。……君は、なんだか見た目より大人びているな」

「普通にしているだけよ」

「誰にでもそんな態度を取るのは危ないよ。それじゃあ」

 青年は会釈して、二人の横を通って歩いて去って行く。しばらくして、アヤは安堵したように、ほぅ、と息を吐く。

「……やっぱり、フミちゃんはすごいな」

「そう?」

 アヤはフミから離れて、俯きながら自分を卑下するように笑う。

「私、昨日も今も怖くて何も言えなかったもん。私よりずっと大きい男の人ってすごく怖い。女の人も怖いんだけど」

「大きいだけで、彼も子供だと思ったから相応に接しただけよ」

「えっ」

「それと彼は何か、重大な選択を迫られているのね。それであんな思いつめたような顔をしていた。聖花学園の事を聞いてきたでしょう。変な声、とか。お化け、とか」

 アヤはハッとして、小さくなった青年の背に顔を向けた。

「まさか、学校に居る幽霊の事……?」

「彼は幽霊をどうするか、それを悩んでいるのかもしれないわね」

「やっつけてくれるなら、そうしてほしいな」

「どうして?」

「やっぱり怖いから。……だったら、あの人はそんなに悪い人じゃないのかな」

「かもね」

 フミも一度青年の背に目を向け、前を向いて帰路に着く。アヤは少し遅れて、フミを追いかけた。



 その晩、入浴を終えたフミは部屋に戻ってドライヤーで髪の毛を乾かした後、窓を開けてから勉強机の椅子を窓際に持ってきて、座りながら髪の毛を櫛で梳かしていた。

 まおはその足元に歩み寄り、なぁ、と鳴く。

「お膝座ってもいいかい」

「どうぞ」

 まおは跳び、フミの膝に乗る。ふわり、と重力を感じさせずに飛び乗って、香箱座りをしてようやく国語辞書くらいの重さが膝にかかる。

「何か待ってるの?」

 まおの問いに、フミは答えない。さっ、さっ、と髪を梳く音と時々家の前を通る車が風を切る音、やや肌寒い風が吹く音がしばらくの間を埋める。

 新たな音は、フミが髪を整え櫛を下ろした時にやってきた。

 ほぅ、ほぅ、という鳴き声が、屋根の方から聞こえてきた。そして黒い影が屋根から飛び出し、旋回してフミの部屋の窓枠に留まる。

 正体は一つ目のフクロウで、くちばしに紫の洋型封筒が咥えられていた。頭は鼠色、身体は鼠色にこげ茶の縞模様、羽根は身体と逆の配色になっている。フミは封筒を受け取り、フクロウの頭を撫でる。

「一つ目フクロウといえば」

 フクロウは外の方へ体を向けて、翼を広げ飛び出す。飛び去って行くフクロウを追うように、屋根の方からもう一羽の影が飛んでいった。

「夜に一つ目フクロウのつがいを見ると幸せになれるんだってさ」

「一つ目フクロウって魔女わたしのペットなんだけど。オスが通知役でメスが配達役って具合にね」

「そもそも暗がりで一つ目かどうかなんてどうやって判別すんのさ、って話。だから現代いまじゃ、フクロウのつがいが見れたらそれだけでオッケーってなってんの。それで、自分からのお手紙の中身は?」

 ダイヤ貼りの封筒の口には赤い封蝋が押されている。封蝋に手を掛けた瞬間、まおは、にゃ、と声をあげた。

「あ、待って。どんな風に封してあるの?」

「なんでそんなことに興味持つのよ」

 まおは器用に窓枠に飛び乗り、なぁ、と鳴いて封をまじまじと見つめる。

「だって気になるじゃないか、魔女の手紙なんてなんか面白い魔法の一つもかかっていそう」

「ちょーシンプルな封蝋だけですが」

「無地のスタンプを捺したのかな? いったいどんな意味が」

「ありません」

 まおは瞬きをして、フミが封蝋を砕いて中身を開ける様を見つつ、なーんだ、と露骨に大袈裟に落胆を表す。

「封蝋に使う印璽いんじ、スタンプね。普通は家の紋章とかが描かれているの、それを捺す事でその手紙の差出人の身分を証明する。使用人の人が手紙を届けるような時代の話だけれど」

「無地じゃ、なんの証明にもならないじゃないか」

「そう、この文章が信用ならないものだという証明になる。というか、そもそも魔女じぶんたちの間で受け渡しするものだからね。ただのオシャレみたいなものよ」

「自分に宛てた手紙をオシャレにデコる、ってのも、寂しいもんだね」

「自分に宛てた手紙だから凝るのよ。他人となった自分だから、雑にすると自分が相手だからって容赦無い言葉を言ってくれちゃうから、深く刺さるのよ」

「そこは甘くないんだ。自分なのに」

 フミは封筒の中から手紙を取り出す。

 一枚目はお店の名前が箇条書きで書かれていた。二枚目は地図で、一枚目に書かれていた店の場所に印が付けられている。三枚目は意味不明な文字とも記号ともつかないもので書かれた紙だった。

「三枚目、それは魔女の居たあの場所への道標かな」

「そう」

「読めない」

「読ませないためだから」

「君、本当に読めてるの?」

 三枚目の紙を逆さにしたり、部屋の電灯で透かしてみたり。すれども特に変化は無い。少なくとも、フミがそれをわざとやっていることだけは、まおには分かった。

「実はさっぱり」

 フミが分かりやすく嘘を吐くので、まおは、ふしゃ、とくしゃみのような失笑をする。

「ヒントをください、ってお返事書かなきゃね」

 フミは三枚目だけ封筒に戻して、一枚目と二枚目を照らし合わせていく。

「あんまり遅くならないようにね」

 まおは興味を無くし、窓枠から床に飛び降りて、机の下に潜って丸くなる。

「おやすみ?」

「ああ、おやすみ〜」

 不意に冷たい夜風が吹き込み、飛びそうになった二枚目の紙を慌てて掴み直し、フミは窓を閉めた。



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