白い影
叫び声が聞こえて来たのは、お城には入らず入り口をぐるっと回って庭の方へと向かった先です。そこには声の主であるツカサさんが、腰を抜かして地面に這いつくばっていました。
顔面は涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、服には泥が付き、なんとも言えない情けなさを演出しています。
そんな勇者にあるまじきツカサさんの姿を、駆け付けた兵士達は戸惑いを隠さずに見守っています。手を差し伸べる優しい兵士もいましたが、彼はそれを拒否して地面に留まって、もしかしたら地面が好きなのかもしれません。
「貴方は一体、何をしているのですか?」
まぁ、そんな情けなさすぎる勇者を前に、戸惑いを見せているのは兵士達だけではありません。私もさすがに、腰を抜かしているツカサさんを見て引いています。あと、いつもただでさえ気持ちの悪い顔が、涙と鼻水で更に気持ち悪く汚い物となっています。
「あ、あぁぁ!」
「ひっ!?」
私が声を掛け、私に気づいたツカサさんが地面を這ったまま私に寄ってきました。
そのあまりの気持ち悪さに、一緒にやってきたタニャが悲鳴をあげてしまったじゃないですか。私もちょっとコレには近づいて欲しくありません。というか、放って置おいたら足にすがりよって来そうで身の危険を感じます。
だから剣を抜いて、彼の進行方向に剣を突きたてました。剣は彼の顔をかすめ、地面に突きたてられてそのまま固定されます。
「……ひ、ひいぃ!?」
最初は空から突然降って来た剣に、何が起きたか分からないといった様子で呆然としていたツカサさんが、目の前に剣が降って来たのだと気づいて慌てふためきました。
「勇者、ツカサ殿……?何故、このような所に」
ガリウスさんもやってきて、その情けない姿を前にして呟きました。
そう。ツカサさん達一行は、グリムダストの攻略に向かったはずです。霧はまだ消えていないので、攻略された気配もない。それじゃあ何故ここにいるのかという疑問が、真っ先に生まれます。
「貴方は確か、グリムダストの攻略に向かったはずです。それがどうして、こんな所に這いつくばっているんですか?説明してください」
「あ、あ……あそこは、じじ、地獄だ!あんなの、勝てっこない!だから……!」
「だから、逃げて来たと。分かりました。それじゃあ、ミコトさんとイズミさんは?」
「し、知らない……」
しどろもどろに、震える声でかろうじて喋ったツカサさんに、私は呆れてしまいました。コレが、勇者。私がこういうのもなんですが、コレは勇者に相応しくありません。
「ツカサ!」
「ツカサさん!」
とそこへ、遅れてミコトさんとイズミさんがやってきました。こちらは服に多少に泥がついている上に、所々に傷も見受けらられるものの、ツカサさんのような情けのない姿ではありません。普通に二足歩行で、走ってやって来ました。
2人はツカサさんに追いつくと、イズミさんは跪いてツカサさんの身体を抱き寄せ、ミコトさんはそんな2人の傍に立って私の方を見て来ました。その顔は酷く衰弱していて、汗でびっしょりで疲れ果てているように見えます。
「勇者、ミコト様。一体何があったのですか?」
尋ねたのは、リシルさんです。
幼いお姫様からの質問に、始めは驚いた表情を見せたミコトさんですが、誰に質問されたとしてもどのみち答えなければいけません。息を整えてから、やがて神妙な面持ちで口を開いてくれました。
「……グリムダストに入った私たちは最初、順調に進んでいた。出てくる敵はいないのでどんどん進んで行き、だけど人型の魔物が現れた時は少し驚いた。人型の魔物とは戦闘にはなったけど、それはすぐに逃げようとするのでツカサが先頭になって三人で追いかけたんだ。そして気づけば囲まれていた。いつ、どこから湧いて出て来たのか分からない。私たちは凄い数の人型の魔物に囲まれていて……そいつらに観察されていた」
「観察?」
「そうだ……あいつらは、私たちを見ていた。襲い掛かる訳でもなく、じっと見つめていたんだ。こちらが攻撃しても、何食わぬ顔で受け止められて観察され続けた。私たちの攻撃は、何もかもが通用する事はなかったよ。そんな化け物が、大量にいたんだ。そ、それだけじゃない。私たちをじっと見つめていた奴らは、やがて攻撃を始めた」
そりゃそうですよね。グリムダストの魔物は、外敵を排除するための物です。ただ見ているだけで見逃してくれる訳がありません。
「勘違いしないでくれ。奴らが攻撃を始めたのは、仲間だ。奴らは何故か、私たちではなく自分たちの仲間を攻撃し、そして笑っていた。いや、中には泣いている……?ような奴もいた。怒っているような風の奴もいたし、怯えている者もいた気がする。やる方もやられる方も関係ない。双方同じように喜んだり泣いたり怒ったり怯えたり……そんな光景が私たちを囲んだんだ。訳が分からない。あの光景を表現するなら、まさしく地獄だ」
「……」
ミコトさんが頭を抱えながら暗く真剣な眼差しで怖い話をするから、タニャとサクラが怯えてしまっています。サクラは自然と私の服に遠慮がちに掴まって来て、タニャは私にさりげなく身を寄せてくると、自分の胸の前で両手を組んで息を呑みました。2人とも、可愛いです。
「ほう。人型の魔物か。それは興味深いが、しかしその前に貴様らに問わねばいかん事がある」
そう切り出したのは、国王です。リシルさんが私の傍にいるため、私やツカサさん達とはやや離れた場所に立って喋っています。
案外律義なんですね。そこはちょっと見直しました。
傍にはガラティアさんを置いていますが、未だ納得できていないのか強く拳を握りしめ、イラ立った様子を隠そうともしていません。その姿は……あまり言いたくはありませんが、醜いです。素材は良い……だからこそ、もったいない。こんな愚か者には、私を虐める資格すらありませんよ。
「こ、国王様!あの中は普通ではありません!このグリムダストは、化け物の巣窟です!あんなの、誰も勝てないしこちらから喧嘩を売るのは危険すぎます!に、逃げましょう!」
「逃げる、だと?貴様らは勇者。勇者はグリムダストを攻略するための存在。それなのに逃げ出したとあっては、勇者という自分たちの存在価値を放棄したのと同然」
「ち、ちが──」
「何も違わない。貴様は逃げたのだ」
「っ……!」
ツカサさんが相変わらず地面に這ったまま国王に訴えましたが、どうやら国王は逃げ帰ったツカサさん一行に対し、お怒りのようです。雲行きが怪しくなってきた事に気づいたのか、ツカサさんは怯えてイズミさんの胸に強く抱き着き、口を閉ざしてしまいました。
「待ってくれ、国王様。私たちは確かに逃げて来たが、あの状況では仕方がなかったんだ。敵は強くて手は出せず、しかも意味の分からない行動を前にして一旦は引いたが、次は──」
「次なんてない!あんな所には絶対に戻らないからな!だ、だから、皆で逃げましょう!アレが外に出てくるその前に、遠くへ逃げてそこで新しくお城を作ればいい!そ、そうでしょう、国王様!ミコトも、そう思うよな!?」
せっかくツカサさんの代わりに、冷静になって話し出したミコトさんの言葉を、ツカサさんが遮りました。彼は完全に戦意を喪失しています。彼にはもう戦う意思はなく、グリムダストを攻略しようという気力はないみたいです。
「そ、そうだな。あんな所に私ももう行きたくはない。ツカサの言う事が正しい、のかもしれない……」
そんなツカサさんに、ミコトさんが不自然な掌返しを見せて賛同しました。
ツカサさんはともかくとして、ミコトさんはそんなに愚かで弱い人ではありません。それは短期間でしたが共に危険な冒険をした仲間として、確実に言える事です。
大体にして、逃げて来た彼らに対して怒っている国王に、もう戻りたくありませんなんて言ったらどうなるか、普通は分かるでしょう。
「勇者の役目を放棄する、か。ならば仕方あるまい。貴様らには死んでもらう。兵士たちよ、この者達を殺せ」
「は、は?こ、国王様、ま、待って……お、オレは、グリムダストが危険だから、だから逃げて来ただけで、貴方に反抗しようとした訳では……」
「勇者の役目を放棄するという事は、反抗だ。貴様にはもう価値はない。だから死ね。どうした、兵士たちよ。この愚か者を早く殺さぬか」
「っ……」
あまりにも呆気なく、逃げて来た勇者を殺せと言った国王に対し、兵士たちは戸惑います。
彼らは国王について来て、私に関連する一連の騒ぎを目の前にして来た兵士です。国王の統一されない意思や、そのおかしな言動や様子がおかしい事に気づいている彼らは、国王の命令を聞くべきかどうかを悩み始めています。
いい傾向ですね。このまま行けば、国王に従う者は誰もいなくなって自滅する形となるでしょう。
「……もうよい。私がやる」
国王の命令に動かない兵士にイラ立ったのか、国王が自ら動きました。手近にいた兵士から剣を取り上げると、それを手にして私の方へと近づいてきます。目的は、ツカサさんです。なので私は皆を引き連れて、そこから離れようとしました。ツカサさんがどうなろうが、私の知った事ではありませんからね。
「ひ、ひぃ!待ってくれ、エイミさん!同じ勇者のよしみとして、助けてくれ!」
「ほう。勇者エイミに助けを求めるか。ヴァンフットやガラティアと共謀し、勇者エイミに虐殺者などというあらぬ罪をなすりつけようとした貴様が。実に愚かだ。人間として、あるまじき愚かさである」
「ツカサが、エイミさんを……?」
「……」
私に助けを求めて手を伸ばして来たツカサさんに対し、国王が暴露しながら呆れ交じりに言いました。
それを聞いて更に戸惑ったのは兵士達です。私に対する罪が、ただの謀略であり事実ではないと、国王が言い出したんですからそうなりますよね。一方でミコトさんは訳が分からないといった様子を見せ、イズミさんは黙り込みました。この2人が知っていたかどうかは分かりませんが、私は突然の暴露にさすがに驚きましたよ。
でもツカサさんも私を陥れようとしていたという事で、スッキリしました。コレを助ける義理はないので、国王が暗に邪魔をするなと言って来た訳ですし、言われなくてもそうするつもりでしたがそうさせてもらいます。
「……」
ただ、腰抜けのツカサさんはともかくとして、ミコトさんとイズミさんが黙ってそれを見ているでしょうか。そもそも彼女たちもツカサさん達と同罪とみなされているはずなので、彼女たちも同じように殺されてしまう可能性があります。
それは嫌ですね。彼女たちは美人ですし、死なせたくはありません。
「この人たちの事も、私と同様に一旦置いておきましょう」
「コレを庇うのか?コレはお前を嵌めようとしたのだぞ」
「ええ、確かにゴミを救う価値はありません。でも……今はそれどころではないんです。ホラ、見てください」
私が指さした方向。霧のその向こうから、ゆっくりと姿を現わした白い影。
「──ひやあああああぁぁぁぁ!」
その姿を見て、ツカサさんはまるで女性のような叫び声をあげました。




