休戦
予想だにしない兵士の登場に、私は一旦リシルさんから手を離しました。兵士たちも、下手に手を出す訳にはいかないと分かっているので、今の距離を保ったまま近づこうとする者はいません。
「お、お取込み中申し訳ございません……!」
まず、兵士は国王に向かって謝罪しました。
国王は不機嫌そうにしていますが、その怒りは兵士にではなく私に向けられています。今すぐにでも殺したいのに、それができない。そんなジレンマを感じさせますね。
そう考えると笑いそうになりますが、なんとかこらえます。
「構わん!何だ!」
「はっ……。現在ヴァンダムキナ城に、グリムダストが出現……かつてない規模の霧を生み出し、広範囲を霧が覆っていて各地で混乱が起きています」
どうやらこの兵士は、お城の伝令の兵士のようです。国王に現況を報告するため、霧の中を駆けて来たのでしょう。
その報告によって、やはりグリムダストはお城で発生した事と、その規模から地下にためこんでいた国王のタナトスの宝珠が原因だという事が、確定します。
「また、現在勇者ツカサ様一行が、グリムダストを攻略中。城兵は首都の混乱を収めるため、警戒と治安の維持にあたっており、現在の所目立った混乱はおきていません」
「分かった。報告ご苦労」
兵士を労った国王ですが、異様な程までに冷静です。自分が長年ため込んだタナトスの宝珠が、グリムダスト化してしまったんですよ。それで何かしようとしていたのなら、致命的になるはずです。
むしろ、グリムダストなんてどうでもいい。問題はお前だと言わんばかりに、私を睨みつける事をやめません。
「貴方の目的は、一体なんですか?」
「……私の目的?何の事だか分らんが……しかしそれは見ていれば分かるかもしれんぞ。とにかくお前は、リシルにその汚い手で触れず、それをこちらに寄越すのだ」
「……」
国王はそう言いますが、リシルさんは戻りたくないようです。不安げに私の顔を見てくるリシルさんが可愛くて、思わず抱きしめたくなってしまいました。
私としても、このままリシルさんを国王に手渡すのは気に入りません。リシルさんをどうしてもこのままの姿で取り戻そうとする国王の態度に、私は違和感を感じずにはいられないんです。それに、リシルさんが戻りたくないという態度を取るという事は、リシルさんの能力によって国王に対する危機を抱いている可能性があると予測できます。
「……どうして、邪魔をする」
黙っていると、国王が呟くように言いました。その目には憎悪が宿っていて、私を見る目が一層険しくなっています。
「もうじき悲願が達成できそうだと言う所で、何故……!どうして貴様のような勇者がこの世界に来てしまったのだ!あと少しだという所なのに!何故!ガリウスよ!あの女を殺してリシルを無傷で取り戻せ!」
「話を聞いていなかったのか?先ほどのエイミ殿の話によれば、下手に手を出せばリシル様の命はないようだ。エイミ殿を殺すのは良いとして、リシル様を無傷でとなると話は別になってしまう」
「では、どうしろと……!」
「ふむ……とりあえずは、休戦という事にしたらどうだ」
「休戦、だと!?」
「そうだ」
ガリウスさん、最初はタニャに向ける視線が気持ち悪くて、本気で私に襲い掛かって来たりと嫌な人かと思いましたが、そうでもないようです。
休戦……それが実現すれば、私が国王に襲われる理由がなくなります。今対処すべきは、私ではなく出現したグリムダスト。皆で協力して、この危機を乗り越えよう。凄くもっともらしく、歓迎されるべき事のはず。
普通は、ですけどね。
「今対処すべきは、このグリムダスト。コレが収まるまで、無用な争いは避けるべきだ。この国の中心にグリムダストが出現し、その規模は計り知れない物となっている。前例もない事態であり、ここでいざこざを起こしている場合ではない。先行した勇者だけではなくエイミ殿にも協力を仰ぎ、一刻も早くグリムダストを消し去るべきだろう。その間はエイミ殿もリシル様に手出しは無用だ。傷つけたり、ましてや腐らせるなど言語道断。そのような事があれば、わしがこの剣で切り裂くと約束をしよう」
「……なるほど、悪くない。グリムダストが消えるまでは、互いに協力をするという事か」
ガリウスさんの提案に、意外にも国王は乗り気のようです。先ほどまでの憎悪を嘘のように消し去り、前向きに検討しています。
私としても、受けたい所ではあります。だけど条件がなければ、ただ私が不利になるだけです。現在の状況で困っているのは私ではなく、国王の方ですからね。優位にたてる条件がなければ、私がその条件を受け入れる事はありません。
「私にかけられた罪、それらを休戦中は不問とする。そういう事ですか」
ガリウスさんは黙ってうなずき、国王も黙ってうなずきました。
「それは、こちらとしても歓迎すべき事ですね。私も勇者として、一刻も早くこのグリムダストを消し去りたいと考えていますから。でもリシルさんの身柄はどうなりますか?」
「当然返してもらう」
「それはちょっと承服しかねます。私にとって人質であるリシルさんを失ったら、その後どんな目に合わされるか分かった物ではありませんので」
「調子に乗るなよ、小娘。こちらがせっかく休戦してやろうと言っているのだ。素直に受け入れなければ、後悔する事になるぞ」
「後悔するのは果たしてどちらでしょう。リシルさんを、この美しい姿のままで取り戻したいのでしょう?そうしなければ、貴方にとって不都合な事がある。それは長年貴方が求めてきた夢であり、その夢が実現しそうな今になって、私がその夢に対する拒否権を持っている。状況を少し考えてください」
「っ……!」
国王は悔し気に唇を噛み締め、目を見開いて私を睨みつけて来ました。
私には、国王が実現しようとしている事が分かりません。だけどこれまでの彼の発言を掻い摘んで、知っている風に脅してみたら、驚くほどの効果がありました。
「リシルさんの身柄は、こちらで預かります。休戦中は貴方に近づく権利はありません。いいですね?」
「いいだろう……。だが、こちらも条件を付けさせてもらう」
「まぁ、聞くだけ聞きます」
「お前は勇者だ。出現したこのグリムダストを攻略するため、働く責務がある。その責を必ず果たすのだ。もし果たせなければ、その時は死ね」
国王が出したその条件に反応し、身体を震わせたのはサクラとタニャです。
サクラはともかくとして、タニャがその反応を国王の前でするのは不味いです。私は国王がその事に気づく前に、大きな声で返事をする事にします。
「いいでしょう。それで構いません」
私がそれを受け入れると、国王はニヤリと笑って見せました。
何か考えがあっての条件でしょうけど、私がグリムダストを攻略する事に変わりはありません。それができなければ、その先に待つのはどちらにしても死です。
「さすがはエイミ様。死をも厭わないとは、頼もしい限りです。しかし私を置いてグリムダストの攻略に乗り出すなど、そんなの許す事はできません。貴女がいなくなってしまえば、父上は私に手を出し放題です。その時私を守ってくれる人がいないじゃないですか」
本当は一緒に連れて行きたい所ですが、リシルさんをグリムダストに連れて行くわけにはいきません。この世界の住人であるリシルさんは、グリムダストに魂を吸われて死んでしまうかもしれませんから。
じゃあどうするかという話になりますが、それには案があります。だから不満げな顔をしないでほしいです。
「私が留守の間は、ガリウスさんに預けておきます。もし国王がリシルさんを貴方から取り上げようとするようなら、実行犯を国王もろとも殺しちゃってくださいね」
その行動や言動で気に入らない節はありますが、ガリウスさんは味方です。そして強い。リシルさんを預けるに値すると私は判断しました。
「わしに預ける、か……。いいだろう。お前がいない間は、わしが預かろう」
「ああ、それから……もし何か私の気に入らない事をしたら、その時点で休戦は終了。リシルさんが腐ってしまうのでそれもお忘れなく」
「約は守る。ガリウスにリシルを預けると言うのも、異存はない。だからお前も、約束を守るのだ。良いな」
「ええ、分かっています」
とは言うものの、コレは口約束でしかありません。国王を信頼する要素はありませんし、ましてやもしも私がグリムダストから逃げ出して来たとして、本当におとなしく死ぬと思っているのでしょうか。
ちなみに言っておきますが、私は約束を守るつもりはありません。国王もどういうつもりかは分かりませんが、それが分かっているはずです。その上で約束を結んだんですから、何かがあると思わない方がおかしいでしょう。
……もしかして、私がグリムダストの攻略に向かえばそれで死ぬと考えている?
確証はありませんが、やはりこの先に待つ物は何か特別です。リシルさんが感じ取っているものもありますし、油断はできませんね。
「全員矛を納めよ!我らはこれより、この類を見ない巨大なグリムダストへの対応を急ぐため帰還を急ぐ!また、勇者エイミ殿への手出しを禁ずる!彼女はこのグリムダストに対応するため、必要な人物だ!くれぐれも丁重に扱うように!」
国王の命令に従い、兵士たちは各々が手にしている武器を納めました。休戦したので当然と言えば当然ですが、それにしたって掌返しが凄くて呆れてしまいます。私、大量殺人を犯した殺人者ですよね。それを休戦してグリムダストに対応するために丁重に扱えとか、狂っているとしか思えません。
「……エイミ様。この先に待つ物は、本当に危険です」
リシルさんが不安げに、私の腕を掴んで言ってきましたが、その姿が年相応でとても可愛く見えます。まるで親とはぐれてしまった子供のようですね。実際親は目の前にいるんですけど……。
「大丈夫ですよ。私がなんとかします。なんとかならなかったら、その時はごめんなさい」
「な、なんですか、それは。もう後には引けないんですし、絶対になんとかしてください!」
「冗談です」
私はリシルさんの頭の上に手を乗せながら、そう返しました。




