迫りくる危機
霧は、どこまで進んでも晴れる気配がありません。進んでも進んでも霧。やがて夜が明けたのか、少し明るくなりましたがそれでも霧は消えません。私たちは薄暗い霧の中を進んでお城を目指しますが、霧は晴れるどころか濃くなっていく気すらします。
さすがに、兵士やその他大勢の方々も、この異常事態に気づいているようです。不安は連鎖して、私たちの隊列全体を包み込んで不穏な空気が流れています。。
もしかしたら、何かが起こっているのではないか。この霧がグリムダストの物なのかどうかの区別はつかなくとも、それくらいは誰でも分かりますよね。
「──もういいでしょう」
私は休憩を終えて、檻の中で立ち上がりました。それから檻に触れて、腐らせて壊します。
「貴様、何をしている!」
異変に気付いた馬車を操っていた兵士が、振り返り怒鳴りつけて来ました。
「事情が変わりましたので、閉じ込められているのはお終いです」
「じ、事情が変わっただと……?勝手な事はするな!そこから一歩でも出たら……!」
「出たら、なんですか?」
馬車は止められ、兵士は私を睨んで剣に手を掛けています。騒ぎを聞きつけた他の兵士も、檻が破壊されている事に気づいて私を囲んできますが、皆どこか怯えていて威圧感がありません。
私って、そんなに怖いですか?触れさえしなければ、腐る事もなんにもない……ただの女の子だと思うんですけど。それも自分で言うのもなんですが、顔もスタイルも悪い方ではないと思います。前の世界で私を虐めていた人たちのその理由は、私のこの顔と身体に対する嫉妬が根本にありましたからね。それくらいの美貌の持ち主です。
そういえば、レグの坊やも私に睨まれて委縮していたのを思い出しました。レグの坊やはテレット村の出身ですが、どうしているのでしょうか。男を気にするのは癪ですが、気になりますね。
「──そこから出たら、殺す」
「……」
タニャを馬から降ろし、自らも地面に降り立った老兵が兵士の代わりに答えました。
周囲の兵士のように、怯えた気配は微塵も感じさせません。剣を徐に抜き、構えるその姿は鬼のような迫力を感じさせます。
彼に与えられている役目は、私の監視。だから私の勝手な行動を、止める義務があります。それは分かりますよ。
だけどガリウスさん。貴方はこちら側の人間ですよね?あまりの迫力と眼光の鋭さに、ちょっと分からなくなってしまいました。
でもどうなるのか気になるので、私は檻の外へと足を踏み出します。その瞬間に、私に向かって銀色の光が襲い掛かってきました。私はその光を、踏み出した足をまた引き戻す事で避ける事に成功。でも光は馬車を引き裂き、真っ二つに叩き壊してしまいました。
「っ!」
車を引いていた馬は大きな音と衝撃に逃げ出そうとしますが、壊れた馬車を引いているので動きは鈍いです。
一方で私とサクラは馬車が壊れた事により、檻がおかしな形になったのでその場に留まる事は不可能になりました。私はサクラを腕に抱き、檻から出ると地面に降り立って襲い掛かって来たガリウスさんと対峙する事になります。
「さすがは、勇者。よく避ける事が出来た」
私に向かって、容赦なく剣を振り下ろしたガリウスさんに褒められました。
ただ剣を振りぬいただけで、あの威力です。スピードも、威力も、剣の能力を手に入れたと言うツカサさんの比ではありません。なんですか、この老兵は。他の兵士とは、本当に比べ物になりません。
「さ、さすがはガリウス様……!」
そんな老兵の迫力に、周囲の兵士たちに士気が戻り始めました。ガリウスさんに続けと言わんばかりに武器に手をかけて、今にも襲い掛かって来そうです。
「おとなしく檻の中へ戻ってください!さもなければ、貴女はこの場でガリウス様の手によって殺される事となります!」
タニャがそう叫んだものの、檻ってどこですか。もう壊れていて、そこに戻るのは不可能です。
「先程も言いましたが、事情が変わりました。この霧は間違いなくグリムダストの霧であり、それがどこまで進んでも晴れないのが、どういう事態に陥っているのか分かりますか?」
「グリムダスト……やはり、そうなのか」
「ええ。かなりの広範囲が、この霧に包まれていると想定されます。かつてない規模のグリムダストの出現により、この国は……いえ、この世界は危機に陥っているのです。今すぐ対処しなければ、手遅れになるかもしれない。だから私は勇者として、行かなければいかなくなりました。見逃してください」
私に正義心なんて物はありません。だけど大切な物は守りたいので、対処する必要はあるでしょう。結果として国王やその他気に入らない連中も助ける事になりそうですが、致し方ありません。
とりあえず私にかけられた罪については置いておいて、リシルさんとこの事態について話し合う必要があるでしょう。だから檻を破壊し、外へと飛び出したのです。
それをガリウスさんは本気で私を殺すつもりでかかってきて、察しの悪い男です。
ああ、タニャは別に構いません。可愛いので全てが赦せてしまいます。むしろ、罵って欲しいです。
「見逃さんと言ったら、どうする?」
「不本意ではありますが、殺します」
「っ!」
私の言葉に動揺を隠せなかったのは、タニャです。今にもボロが出そうなくらいに狼狽し始め、その場であたふたとしています。
一方で、私とガリウスさんは睨み合い、一触即発です。どちらかが動けばその時戦い始まり、私は彼と殺し合う事になるでしょう。彼は強いですけど、負けるつもりはありませんし、私は本気です。邪魔をするのなら、殺すつもりでやらせてもらいます。
私はサクラを背に庇って前に一歩出ると、それが戦いの合図になりました。ガリウスさんが足に力をいれ、私も攻撃に備えて身構えます。
「──エイミ様!」
正に、戦いが始まる寸前でした。でもそれを止める女神がいました。その女神は私の名を呼んで、霧の向こうから駆け寄って姿を現わします。
「リシルさん……?」
私の名を呼んだリシルさんは、周囲の兵士の目など気にする様子もなく、私に駆け寄って来てそして手を取りました。
リシルさんと一緒にいては、ガリウスさんが剣を向ける訳にはいきません。その様子を見ていたガリウスさんは、驚いてはいますがとりあえずは剣を収めるという行動に出ました。それを見て、私も剣を収めます。
「エイミ様。今すぐここから立ち去りましょう」
「はい?」
突然のリシルさんのお誘いに、私は首を傾げずにはいられませんでした。
よく見れば、リシルさんの顔には余裕がありません。一見穏やかに笑っているように見えますが、どこか引きつっていて今にも崩れ落ちてしまいそうです。
「り、リシル様!その者は、触れた物を腐らせると言う能力を持っています!迂闊に触れるのは危険です!」
「この霧の正体には、もう気づいていますよね。恐らくこの霧は、このままこの世界を飲み込んでしまうでしょう。でも遠くに逃げれば、まだなんとかなるはず……。問題の先延ばしにしかならないかもしれませんが、貴女と私が一緒にいれば、きっと私の身は守られるはずです。だから一緒に来てください。来てくれますよね?」
兵士の忠告を無視し、リシルさんは必死の様子で私に訴えて来ました。話している最中に、私の手を握るリシルさんの手に力がどんどん入っていて、その必死さが伝わってきます。兵士たちは戦々恐々としながら見守っていますが、それには目を向ける事も気を配る事もありません。
危機察知の能力を持っているリシルさんの事ですから、何か自分に危険が差し迫っている事を察知したのでしょう。察知したのは、この霧の発生源であるグリムダスト。それで私に助けを求めに来たのだと、容易に想像できます。
「落ち着いてください、リシルさん。……能力によって、何かを感じたんですね?」
「ええ、ええ。その通りです。今すぐに逃げないと、危険です。だから一緒に来てください」
耳元で囁くようにして尋ねた私に対して、リシルさんは大きな声で答えます。余程慌てているようですね。いつも余裕たっぷりにしていたリシルさんの面影が、まるでありません。
「リシル!お前は一体何をしているのだ!」
そこへ慌てた様子で駆けつけた国王ですが、私の手を取っているリシルさんを見て驚愕し、次の瞬間には怒りの表情に変わりました。その怒りは私に向けられていて、怒りのままに私に向かって歩み始めました。
「待つのだ、国王よ。あの女は触れた物を腐らせる能力を持っている。そんな危険人物に貴方を近づかせる訳にはいかない」
「どけ、ガリウス!その女が危険人物だと言うのなら、リシルにも触れさせる訳にはいかん!」
「そうだが、落ち着け。他の兵士たちも、手を出すな」
ガリウスさんが国王を止め、他の兵士にも釘を刺してくれました。国王は納得いかない様子ですが、とりあえずは怒りのままに襲われると言う事態は回避できましたね。
だって、私から近づいた訳ではありませんもん。リシルさんが自ら近づいてきただけで、それで私のせいだとか言われたら、さすがに怒っちゃいますからね。
「……リシル。その女は、先ほども言った通り大勢の民を殺した犯罪者だ。更に触れた物を腐らせると言う、おぞましい能力を持っている。今すぐ離れて、こちらに来い」
「黙れ、ブタ」
「ぷっ」
国王の事を、突然ブタと呼んだリシルさんによってその場が凍り付きました。兵士たちは信じられないと言う様子になり、静まり返ります。
一方で私はそれを聞き、噴き出して笑ってしまいました。だって、国王をブタと呼んだんですよ。国王から溺愛されていて、皆から愛されるお淑やかなお姫様がです。笑わずにはいられません。
「……そうか。やはりそうだったか」
何か合点がいったように、国王が頷いてから私を睨みつけて来ました。何を思ったのかは知りませんが、どうせ私にとって良い事ではないでしょう。むしろ、悪い予感しかしません。
でも吊り上がった口角が中々もとに戻らなくて、私は睨みつけてきた国王に対してバカにするように笑いかけてしまいました。それが気に入らなかったのか、国王の目つきが更に鋭い物になります。
はぁ……また面倒な事になりましたね。私は表面上では笑いながら、ため息を吐きました。




