心を鬼にして
私はうずくまるサクラの姿を見て、大きく取り乱しました。目を見開き、汗が体中から一気に溢れ出て、止まったと思った心臓は気づけば大きく鼓動してその音が身体を震わせます。
こんな絶望感を味わったのは、みーちゃんの死を聞かされた時以来です。私はまた、大切な友人を失った。そんな喪失感に、怒りと絶望が加わり、自分の中で爆発しそうになるのを感じます。これが爆発したら、私はどうなってしまうのでしょうか。……前世と同じように……いえ、それ以上の狂人になる自信しかありません。だから拳を握り、ぐっと堪えようとしたけどやっぱり無理そうです。
「──あ。エイミさん。助けて、くれたんですね」
「っ!」
でもその爆発は、唐突に起き上がり、元気そうな姿を見せてくれたサクラによって抑えられました。
最初、幻聴とか、幻覚かと思いましたよ。だって、サクラは人面犬に噛まれていたんですよ?あの強靭な顎に噛みつかれて、無事で済むはずがありません。噛まれているのを目にしていますし、実際噛まれた私は怪我をしていますからね。
じゃあ何故この子は、どこからも血を出さすこともなく、無傷の様子で起き上がる事ができたのでしょうか。
「エイミ、さん?どうしたんですか?と、というか、凄い怪我……!早く治療をしないと!」
慌てて立ち上がったサクラが、私に駆け寄って来て怪我の様子を見て言います。
確かに、私は全身から血を流して酷い有様です。だけど今はそんな事、どうでもいいです。先ほどまではサクラの無事の確認にのみ目を向けていましたが、今は何故この女の子が無傷で済んでいるのかという理由にしか、目が行き届きません。
「……サクラこそ、怪我はしていないんですか?そもそも、貴女は何故生きていられたんですか?」
「け、怪我は、ありません。噛まれましたけど、痛くありませんでした。私の身体、ちょっとだけ丈夫なんですよ。元の世界でもそうでしたけど、この世界に来てからはもっと頑丈になって、一度も怪我をした事ないんです。……男の人に殴られた事もあったけど、平気でした」
「ちょっと……」
あの人面犬に噛まれて無事で済むのを、ちょっと丈夫と言えるサクラに、私は脱力しました。
どうやら、転生の際に強力な体力に加えて、身体の頑丈さも手に入れていたようですね。それは、私やツカサさん達にはない、とても強い能力と言えるでしょう。
でもよくよく考えたら、そうですよね。私がいない時、この子はツカサさん達と共にグリムダストに潜っていたんです。あの弱小パーティで、戦闘能力を持っていない上に誰も守ってくれない立場にあったサクラが無事でいられたのは、この頑丈さのおかげでしょう。
「お願いですから、そういう事は早く教えてください。本気で心配したんですから……!」
私はそう言って、サクラを抱きしめました。うずくまったサクラを発見した時、私は本当に頭がおかしくなる所だったんですよ。
思えば私はこの子に、振り回されてばかりの気がします。戦闘中に私の動きを止めるような動きに、みーちゃんの面影を見せたり、先程の死を連想させるような姿……。これはもう、怒ってもいいレベルな気がします。ここでちょっと怒っておかないと、また同じ事を繰り返す事になるでしょう。ここは心を鬼にすべき場面ですね。
「サク──」
「オアアアアァァ!」
「え、エイミさん!大きいのが来ます!」
「分かっています……」
私に抱きしめられたままのサクラが、私の肩越しに見た物を見て、私に訴えかけて来ました。
振り返らなくとも分かります。あの巨大な人面犬が、私を追いかけてやってきたのでしょう。せっかくこれから心を鬼にして、サクラを叱って勢いであんな事やこんな事をしたりする作戦を企てていたのに、とんだ邪魔が入りました。
私は若干怒りながら振り返ると、そこにいたのはやはり、先ほどの巨大な人面犬です。でも、先ほどより少し小さくなっているような気がします。いえ、大きさはそのままなんですけど、痩せたと言うか、やつれたと言うか……。
「なるほど。無敵ではないという訳ですか」
それを見て、私は思い当たる節があります。先ほど、私の連続攻撃によって多くの瘤を輩出した巨大な人面犬。身体全体が腐るのを防いだ技ですが、それは無限にできる技ではなく、自らの肉体を消耗する必要があるようです。当然と言えば当然ですね。あの瘤は人面犬の一部ですから。
結果として、この姿です。酷く痩せた身体は、お腹の辺りが窄んでいます。しかし骨がないのか、肌に浮き出る骨は確認できません。どうやって動いているんでしょうね、この生物は。
「え、エイミさん……」
「大丈夫ですよ。すぐに片づけるので、サクラはここで待っていてください」
「でも、怪我が……!」
「大した怪我ではありません。私を信じて、待っていてください」
もう、逃げろとは言いません。サクラの頑丈さなら、その必要はありませんからね。だけどサクラの身体に汚らわしい手で触られるのは嫌なので、当然守ります。幸い巨大な人面犬の他は、かなり数が減っています。私と彼とで、相当な量を減らしましたからね。これならサクラに手を出させる事無く倒せるでしょう。
私はサクラから手を離すと、迫りくる巨大な人面犬に向かって駆けだしました。
「オオ、アァァ」
向かってくる私に向けて、前足を上げる人面犬。再び私を押しつぶそうとしているようですが、今度は足を止めません。むしろ足を速めると、私は人面犬のお腹の下に滑り込みました。
そして、血の付いた剣を上に向かって振りぬき、私の血をプレゼントします。血のついた場所はもれなく腐り落ちていき、多くの瘤が発生しました。
「オガアアァァァ!」
苦しみの雄たけびをあげる人面犬が、たまらないと言った様子で座り込み、私を押しつぶそうとしてきました。
迫りくるお腹を、私は再び駆けだしてお尻の方から脱出。完全に背後をとったので、ついでにお尻の辺りに斬撃をくらわして、更に腐らせます。
すると、少し尻を浮かせた人面犬が、後ろ足を後ろに向かって思いきり振りぬいてきて、私を蹴り飛ばそうとしてきました。
でも、残念ですね。私は反対側の足の後ろにいます。私を空ぶったその足は、私の代わりに別の人面犬を直撃し、吹き飛んでいきました。
「オオ、ア」
当たった感触があり、私を殺すのに成功したと思ったのか、巨大な人面犬が喜びの声をあげながら振り返りました。それに対し、私は手を振って応えます。
そして再び、剣を振って人面犬を攻撃。私の剣が後ろ足を切り裂くと、そこで異変が起こりました。これまでのように瘤が出るのではなく、後ろ足そのものが突然ずるりと音をたて、彼の身体から解離したのです。
「オァ……ァ……」
それから元気なく苦しみの声をあげた人面犬が、地面に倒れこみました。どうやら、限界が来たみたいですね。立ち上がる力もないようで、地面を這う事しかできなくなったその巨体はボロボロと崩れていき、ただの灰へと姿を変えていきます。
このまま最期まで待っても良いですが、他の人面犬の処理もあるので私はトドメをさす事にしました。
倒れこんだ人面犬の顔の前に立った私は、剣先を顔の前に突き付けて反応を伺います。
「オォ……ア、アァ」
剣先を眺める人面犬は、何を考えているのか全く分かりません。瞳は光を持たず、表情も乏しく発する言葉に意味もない。オマケに人ではなく、優しくもない、女の子でもない化け物に対し、同情する心を私は持ち合わせていません。だからなんの躊躇もなく、私は剣をその額に突き刺す事ができます。
私の剣が額に触れたその瞬間、巨体が一気にバラけ、灰へと姿を変えました。
残るは、雑魚の人面犬達だけです。こちらから向かわなくとも向こうからやってきた人面犬達を睨みつけると、私は斬りかかりました。
残りは、ものの数分で片付ける事ができました。全ての人面犬を倒した事を確認した私は、剣を鞘に納めるとサクラの下へと駆け寄ります。というより、向こうから駆け寄ってくれたので、私が駆けたのはほんの数歩だけでしたけどね。
「エイミさん!け、怪我を治療しないと……!」
「怪我?確かにちょっと痛いですけど、大した事はありません。転生したこの身体は、サクラ程ではないですけど丈夫にできているから──……いえ、とても痛くて死にそうです」
「し、死!?どど、どうしたらいいですか!?どうしたら、治りますか!?」
本当は、看病してもらおうと思って吐いた嘘です。でも素直に受け取って慌てだすサクラを見て、罪悪感が湧いてしまいました。
「ごめんなさい、冗談です。本当に大した事ないので、落ち着いてください。とりあえず、投げ捨てたリュックがどうなっているか気になりますね。その中に治療用の道具も入っていますし、無事なら回収しておきたい所です」
「リュックですね……!すぐに持ってきます!」
そう言って私を置いて駆け出したサクラですが、私もその後を追いかけます。
サクラ自身は1人で行くつもりだったみたいで、リュックの下に辿り着き、振り返ると私がついてきていたのに驚いていました。
それはこっちに置いておいてリュックの方ですが、ボロボロです。噛みつかれて破れていて、中身が地面に散乱しています。中々に酷い有様ですね。
「ご、ごめんなさい。私がリュックを捨てたから、ご飯や道具が壊れてしまって……」
「リュックを捨てるように指示したのは、私です。それよりもサクラが無事で、本当に良かったです」
私はそう言いながら、地面に散乱するリュックを見つめてしょんぼりとするサクラの頭を撫でました。
一歩間違えたら地面にこうして散乱していたのは、リュックではなくサクラです。そう思うと、まだゾッとします。
今回は、たまたま上手く行きました。でも、次は分からない。私はまだまだ弱い。守りたい物を守るためには、あまりにも弱すぎる。そう実感する出来事でした。




