安全を愛する者
正直に言えば、この人はヤバイと思いました。あまりにも達観で鋭すぎて、勝てる気がしません。そんなのが年端もいかない女の子なんですから、この世界はどうかしていますよ。
首輪についても、鋭いなんてもんじゃありません。レイチェルは、瓜二つの完璧な物を用意してくれました。それを目で見て偽物だと分かるなんて事が、あるはずがないのです。
……もしかして、レイチェルから知らされているのでしょうか。リシルさんがレイチェルの雇い主だとすると、あり得ない事ではありません。だとしたら、納得です。
「リシルさん。貴女の目的は、なんですか?」
「目的という程の事ではありません。私はただ、安全を求めているだけです。その安全を破壊するかのような行為は、この私が許さない。どんな手を使ってでも、止めて見せる」
「安全、ですか。安全とは、この国の?それとも、ご自身の?」
「私の安全です。私は、完璧に守られないといけない。この国のお姫様として、安全に、危険とは無縁で過ごさなければいけないのです。それなのに、この世界はどうでしょう。どこへいってもグリムダストの出現が懸念され、挙句にこのお城では父が何かをたくらんでいる。どこに行っても危険。危険危険危険、危険危険。ストレスで頭がおかしくなりそうですぅ」
そう言いながら、リシルさんは机の上のぬいぐるみの首を締めあげました。相変わらずの不気味な笑みを浮かべたままで、正気とは思えないような表情をしています。
でも、彼女はいたって正気です。自分の身を案じる事を、誰も責める事はできません。それに、国王が何かを企んでいる事を察知し、それを止めるために動いているのも好感が持てます。
この人は、安全に対する意識が少しだけ強いだけで、頭が良い。他の誰よりも、です。
「そんなに安全が良いのなら、このお城から逃げてはいかがですか?」
「このお城の警備は、完璧です。完璧な警備の敷かれているこのお城こそが、私にとって理想の安全地帯。それに、このお城に何かがあったら、このお城を出た私にも危険が及ぶ可能性もあります。ですので、ここを出るよりも危険を排除する方が良いと私は考えているのです」
「ええ、貴女の考えは理解できます。でも国王のしようとしている事は、あまりにも危険すぎる。ナナシさん。タナトスの宝珠が集まったら何が起こるのか、ご説明をお願いします」
「っ……!」
突然私に話を振られたナナシさんが、驚いて声を詰まらせました。
リシルさんは首輪が入れ替わっている事に気づいていますし、隠す事は何もありません。私は戸惑うナナシさんに向かい、笑顔で頷いて応えるとやがて口を開きました。
「……た、タナトスの宝珠は、たくさん集まって大きくなればなるほど、その分だけ大きなグリムダストを生み出してしまいます。その規模は、この国や世界そのものを覆う程の物になってしまう可能性も、あります」
「ええ。ええ。そうでしょうね。貴女が父に対して反旗を翻したその日から、そうではないかと思っていました。貴女はそれを知ったから、父を止めようとした。だけど失敗し、言葉を失ったうえで奴隷として扱われるようになった。それを不憫に思ったエイミ様に救われたのですね。良かったですね。では、私に教えてください。貴女の見立てでは、あとどれくらいタナトスの宝珠が集まったら、貴女のいう世界の終末が訪れますか?」
「そ、それは……分かりません。どれくらいタナトスの宝珠が集まっているか、直接目にしてみないと……」
「……」
ナナシさんの答えに、リシルさんはとてもつまらなそうな表情に変わってしまいました。まるで、ナナシさんに対する興味が一気に失せてしまったかのようですね。
「分からなくとも、急いで対策を練った方が良いでしょう。私はこれからも、回収したタナトスの宝珠を全て破壊するつもりです。国王が何をするつもりかは分かりませんが、ナナシさんから話を聞いてそう決意しました」
リシルさんの表情の変化に怯えたナナシさんの頭に、私は手を乗せながら言いました。
「ですが、もう一方の一行はそうしないでしょう。彼らは父に対し、純粋な敬意を抱いています。この事を伝えた所で、父が嘘だと言い張れば彼らは尻尾を振っていう通りにする。まるで犬のように付き従うだけの、自ら考える力を失った無機物です。……犬の方がマシでしたね。ごめんなさい、わんちゃん」
リシルさんが謝罪したのは、犬のぬいぐるみに向かってです。先ほど首を締めあげていた、クマのぬいぐるみとは別物です。
「ええ。それが厄介ですね。殺しますか?」
「そうしましょう」
私の提案に、リシルさんは再び口角を吊り上げて、とても面白そうに笑いました。
「あ、あの……!そういうのは、あまり良くないかと……!」
それに対し、慌てて止めに入ったのはナナシさんです。優しいこの子の事ですから、あれだけの事をされて尚も庇おうとしています。
でも安心してください。私は半分冗談です。リシルさんは分かりませんが、私はミコトさんやイズミさんを殺したりするつもりはありません。ツカサさんは……ごめんなさい。
「冗談ですよ。彼らを殺すとか、そんな事をしたら父が必ず全力で調査します。その調査で私が関与していた事がバレれば、私の身が危ぶまれるでしょう。もっとも、父が私に手を出したりするとは思えませんが、それでもある程度の自由は制限される事になりかねません。だから、それに関しては最終手段です」
「そうですね。もし私がリシルさんに彼らを殺すように命じられ、実行して捕まったりしたら、確実にリシルさんの名前を出します。他の誰に命じても、その危険があるのです」
「だから、なしです。やるにしても、バレないように確実な作戦を練る必要がある。このお城の調査機関は、残念ながらそれなりに有能なんですよ。彼らを出し抜くのは、出来なくはないにしても、相当な準備が必要です。……とにかく今は、このお城に集められているタナトスの宝珠をなんとかする方法を考えましょう。何かアイディアは?」
この人は私たちを信じているのか、堂々と国王に反発するような事を聞いてきます。
……いえ。違いますね。信じている訳ではありません。私たちに話してもし情報を漏らしたとしても、自らの身が危ぶまれる事はないと判断して話しているんです。誤魔化す自信があるのでしょうか。じゃなければ、こうして話すようになってものの数分で、国王への反旗を翻す方法など話し合ったりはしません。
「その前に、貴女はタナトスの宝珠について何かを知っているのですか?」
「グリムダストを生み出す、危険な物よ。この世界を破滅に導く、悪魔の宝石だと考えているわ」
「それだけにしては、タナトスの宝珠を密かに集めている国王への不信感が、大きすぎる気がします。貴女は何かを隠している。確実に、何かが起きると言う確信をもって、国王への不信感を抱いているのではないでしょうか」
「……」
私の質問に対し、リシルさんは無の表情になりました。何の感情ももたない、確かな無がそこにはあります。
「本当に、鋭い。貴女は危険だわ。でも、私の脅威ではない。むしろ貴女は、私の安全のために必要な人。だから、メイドのタニャを逃がしてあげたのよ」
レイチェルだけの力では、ガラティアさんとヴァンフットさんの企んだ事を覆すのは難しいとは思っていましたが、やはり上司であるリシルさんも関わっていましたか。
おかげで無事、タニャは辺境への異動だけで済んだという訳ですね。
「恩着せがましく言いますが、恩には感じませんよ。むしろ、そうして良かったと思ってください」
「そのつもりよ。ええ、言っておくと、私には私の安全を脅かす物を見る事ができるの。それは人や物……あるいは出来事など。様々よ。今は大きな大きな、漠然とした何かが私を危機に陥れようとしているの。それが、父がせっせと集めているタナトスの宝珠」
「……ナナシさん」
私はナナシさんの方を見て、リシルさんの言っている事が本当かどうか確かめました。
ナナシさんは、相手の特殊能力を見破ったり、見ただけで物の扱い方の分かる観察の力を持っていますからね。それをもってすれば、リシルさんが本当にその能力を持っているか、一発で分かります。
「は、はい。リシル、様は……危機察知の能力を持っています」
「……はぁ」
私はその情報に、ため息を吐きました。相手を見ただけでそう言った事が分かる、ナナシさんの能力です。たった今この場で知った事ではないでしょう。
知っていたのなら、そう言う事はもっと早く、自発的に教えておいてもらいたい物です。




