名無し
自室へと戻った私は、タニャの影をそこに探しました。でも、タニャの姿はどこにもありません。代わりに小柄な女性が、そこに立って私を待ち受けていました。
不愛想で、何を考えているのか分からない、タニャの上司にあたる人物で、メイド達から慕われている女の子です。
「──お帰りなさいませ、エイミ様。グリムダストの攻略、お疲れさまでした」
私に向かって深々と頭を下げ、私に挨拶をしてくるメイドのレイチェル。タニャの代わりと言うのはなんですが、私はそんなレイチェルの姿を見て、少しだけ心が安らいだ気持ちになります。
コレがタニャだったら、抱きしめて、約束通りキスをしてもらうんですけど、相手はレイチェル。約束はしていないので、それをしたら嫌われてしまうかもしれません。なので、我慢です。
代わりに、なんとなく連れてきた、この勇者もどきと呼ばれた女の子を、なるべく自然に抱き寄せておきます。
「レイチェル。タニャの話を、聞いたの。それは、本当なの?」
「エイミ様が、何を聞いたのかは分かりませんが、恐らくは本当です。タニャは盗みを働き、そして辺境の伯爵夫婦のお屋敷に、左遷となりました。タニャの上司として、部下がそのような愚かな行為を行い、本当に残念に思います。今後はそのような事がないよう、全力で勤めていきますので、どうかこれからもよろしくお願いいたします」
淡々と語る様子のレイチェルは、何の抑揚もない声で言いました。私はレイチェルにタニャを頼んだはずです。それに対し、レイチェルも『はい』と答えました。
レイチェルは他の、くだらない事に囚われ、タニャの事を悪く思う連中とは違う。そう思ったから、タニャをお願いしたのです。
「何があったのか、話して」
「タニャが、盗みを働き、左遷になった。ただそれだけですが」
「違いますよね。貴女は、タニャの事を悪くは思っていなかった。絶対に、それだけではないはずです」
「いえ、それだけです。タニャは、私の荷物からお金を盗もうとしたところを、私が発見。現行犯で取り押さえ、私が憲兵に突き出して、裁かれる事になりました。未遂で終わったのであまり騒ぎにはならなかったものの、このヴァンダムキナ城内で盗みを働くなど、許される事のなき大罪。本来であれば、死罪もあり得る所です」
「でも、そうはならなかった。何故ですか?」
「……タニャが左遷となった辺境の伯爵夫婦は、権力こそは小さいながらも、国民からの支持はとても厚い方です。その伯爵夫婦が、偶然場に居合わせ、殺すなら是非メイドとして欲しいと名乗り出たのです。奴隷民族層の、支持のとりつけが目的でしょうね。強かな方で、死罪を言い渡そうとした国王の判決を、捻じ曲げてしまいました。元々盗みも未遂でしたので、情状酌量の余地はあるという事になり、こうしてタニャは左遷となったのです」
相変わらず、淡々と語るレイチェルですが、今語った話は本当に全て偶然なのでしょうか。違う気がします。本来であれば、レイチェルがタニャに物を盗まれたとして、それをチクるような真似をするでしょうか。
私はまだ、レイチェルという人物をよく知りませんし、理解もできません。でも、そんな事をするような人物だとは思えないのです。
「……ちなみに、その伯爵夫婦はどういう方ですか?」
「伯爵夫婦、ですか?そうですね……とても優しくて、面倒見の良い方々です。私は幼い頃、彼らにメイドとして雇われ、とてもよくしてもらいましたので間違いありません」
「──ふふっ」
やっぱり、偶然じゃなかった。貴方が仕組んで、タニャを守ってくれたんですね。私は嬉しくなり、笑ってしまいました。
「分かったわ。誰かが、タニャに何かを仕掛けようとした。それを、レイチェルが先手を打って、助けてくれたのね?」
「……」
レイチェルは、否定も肯定もしませんでした。それは、肯定と同じです。直接そうは言わないレイチェルは、控えめながらもタニャのために動いてくれた。レイチェルが優しい方々だと言うなら、きっとそうなのでしょう。タニャを逃がし、オマケにこんな劣悪な場所から逃がしてあげるだなんて、本当に優しい子。キスしてあげたいくらいです。
でも、辺境と言うからには、ここから離れていますよね。今すぐ会いたいのに、会えない。それは残念です。
「……」
ふと、私の服の袖を、連れて来ていた黒髪の少女が引っ張って来ました。そう言えば、この子の名前を私はまだ聞いていませんでしたね。
「貴女の、お名前は?」
「……」
私は彼女と目線を合わせ、尋ねました。でも、彼女はふるふると首を横に振り、名前を教えてくれません。
私は彼女の顔を覆っている前髪を、手で優しく取り除くと、その目を露にさせました。そこには、髪で隠れた可愛い女の子が潜んでいました。黒く大きな瞳に、小さなお鼻。可愛くて、私好みです。
「っ……!」
彼女は顔を赤くすると、ややあってからそっぽ向いてしまいました。
「もしかして、貴女は喋る事ができないのですか……?」
「……」
気になって私が尋ねると、前髪を直しながら、遠慮がちにコクリと頷きました。どうやら、本当にそうみたいです。
「レイチェルは、この子の名前を知っているの?」
「……ナナシ。勇者の皆さんは、この方の事をそう呼んでいます」
「それが、貴女のお名前なの?」
「……」
尋ねると、やや迷ってから縦に頷いて、肯定しました。
ナナシとは、名無しという意味でしょうね。この子が喋れない事を良い事に、勝手にそう呼んでいる気がして仕方ありません。
「貴女の事を、ガラティアさんはこう呼んでいた。勇者もどきの、奴隷だと。それはどういう意味なの?」
「……」
「ナナシ様は、この世界に召喚された勇者様です。ですが、訳合って罪人となり、奴隷身分に堕とされました。とはいえ、せっかく召喚された勇者様です。ただ奴隷として扱うのではもったいないという事になり、利用方法が模索された結果、勇者様に同伴する荷物係としての地位となったのです。しかしこの事は、あまり表には出ない事ですので、どうかご内密に」
ナナシさんの代わりに、レイチェルが答えてくれました。内密にという割には、淡々と話してくれましたね。
「ちなみに、この子が犯した罪とは?」
「──国王様に対する、反逆罪です」
「なんてくだらない。罪にも値しない、罪ですね。あの国王は、反逆されるためにいるような、愚かな国王ですよ。さっさと死ねばいいのに」
私はレイチェルの答えに即反応し、怒りを覚えました。聞いて損をするような罪に、私はうんざりです。あんなバカな国王は、ばんばん反逆されて滅べばいいんです。
私の言葉に、ナナシさんは手をわきわきさせて慌てています。誰かに聞かれる事を、恐れているようですね。確かに、少し迂闊な事を口走った気がします。今のをガラティアさんに聞かれたら、チクられて、私まで奴隷身分に堕とされかねないような言葉です。気を付けなければいけませんね。
「ところで、ナナシさん。先ほど私の袖を引っ張って、何かを訴えていましたよね」
「……!」
思い出したかのように、ナナシさんはコクコクと首を縦に振り、懐をあさりだします。
この仕草といい、先ほどの慌て方といい、私はこの子にみーちゃんを重ねてしまいます。全くの別人ですが、仕草がいちいち似ていてどうしても思い出してしまうんです。でも、嫌な思い出し方ではありません。優しい記憶を、優しく引き出して、私に安心感をもたらしてくれます。




