命懸けの戦い
──痛い。体中が、痛い。
全身が悲鳴をあげ、私の身体はボロボロです。身体の傷は、擦り傷から、打撲まで、多岐にわたっています。左腕なんて、もう全く動かず、だらりと垂れ下がったままですよ。
「っ……」
「ブフゥ……!」
私の視線の先には、炎と共に、激しく息を吐く、鬼さんがいます。私をこんな姿にしたのは、言うまでもなく、この鬼さんです。
想定外でした。最後にして、あまりにも強い敵が、私の前に立ちはだかりました。
彼の力も、スピードも、防御も、どれも私の届く所にはありません。あの巨体で、縦横無尽に駆け回り、私の攻撃を躱し、剣があたったとしても、せいぜい肌を薄く斬りつけるだけ。そして反撃される……。
頼みの、枯凋の力ですが、私が彼に触れる度、その個所に薄く青い光が浮かび上がり、それが私の能力を阻害しているようです。なんらかの方法で、この力を防ぐ方法も、ある……。ここに至り、ようやくその事が分かりました。
勿論、想定していなかった訳ではないです。だから、私はここへ来る途中、わざと枯凋の力を使わずに、戦ってみた事もありました。剣の腕を、あげるのと同時に、力を試すためです。
結果は、充分満足の出来るものでした。私の剣の腕は、相当あがったと思うし、かなりの腕前だと思います。でも、目の前の、この鬼さん……彼に、私の剣の腕は、全く通用しませんでした。
「ブフォオォ……!」
「ああ……」
鬼さんが、ボロボロになった私に止めを刺すべく、正面から突っ込んできます。
私はそれを、どこか呆然として、見守っていました。剣をしまい、全てを諦めたように目を閉じて、世界が暗転します。
この世界に来て、新しい出会いに、心を躍らせる自分がいました。勇者として、この世界を救うために召喚されたと言う設定は気に入りませんが、それでも、異世界転生した事に、心を躍らせない人が、果たしているでしょうか。いたとしても、それはたぶん、少数派ですね。
せっかく果たした、異世界転生。それが、なんて呆気のない終わりなのでしょう。ガラティアさんと国王に嵌められ、たった1人で訪れたグリムダスト。村人たちや、レグの坊やは、中に入ったらすぐに逃げろと言ってくれたけど、それでも私は、助けて欲しいと言う願いを隠し、私の身を案じてくれた、優しい彼らのために、頑張りました。
でも、届かない。ただ頑張っただけでは、報われる事がないのは、私の元の世界と同じです。
なんて、意味のない世界。救われる意味のない、汚れた世界……。やはりこの世界は、救われる価値がありません。グリムダストがそこら中に出現して、滅べばいい。皆、死ね。死なないのなら、私が殺してあげる。かつて、私がそうしようとしたように、またこの世界でも同じことをして、次はもっと大勢を殺してから、死んでやる。
「──なんて、冗談ですよ」
私はまだ、そこまで絶望はしていません。外にいる村の人たちには生きていて欲しいですし、勿論タニャには、もっと生きて欲しい。彼女達がいるだけで、この世界を救う価値はあります。ちょっと疲れて、弱気になっていただけです。
それに、帰ったらタニャが、私にキスをしてくれるんですよ。まだまだ、頑張らなければいけません。
だから私は、再び目を見開き、前を見ました。そしてバッグから水筒を取り出すと、それを口の中に含み、水筒を投げ捨てます。ついでに、バッグも投げ捨てました。戦いに夢中で気づきませんでしたが、重くてたまりません。
それから私は、向かってくる鬼さんに向かい、再び剣を抜いて構えます。
「……」
迫る、鬼さん。私は、全神経を集中させ、剣を構えたまま、微動だにしません。その時がくるまで、決して動かない。動かない私に、鬼さんが警戒する様子はありません。必要は、ないと判断しているのでしょう。だって、私はもう、満身創痍ですから……あとは、殺されるのを待つだけの、肉の塊。彼の目には、そう見えるのでしょう。
私に向かい、鬼さんの拳が放たれました。拳は地面を砕き、大きな衝撃となって響き渡ります。ただ、その拳が私を捉える事はありませんでした。私は、ジャンプしてそれを躱しています。身体能力のあがっている私にとって、大きな鬼さんの拳を避ける事のできる場所まで舞い上がるのは、簡単な事でした。
そして、地面に突き刺さった鬼さんの拳の上へと着地ます。その際に、枯凋の能力は常に発動させています。でも、青い光が私の力を阻害して、鬼さんの身体を腐らせる事はできません。まぁ効かないのは分っていたので、大して驚きはしません。
私はその拳から、腕を駆けのぼると、鬼さんの顔に向かって剣を構えます。このまま行けば、鬼さんの顔に、剣を突き刺す事ができる。でも、そうはいきませんでした。
「ガアアァァ!」
鬼さんの口から、炎が放たれたのです。自分の腕ごと燃やす、とても熱い炎でした。それを回避するため、私は再び、高くジャンプしてかわしました。
眼下には、鬼さんがいます。自分の腕が焼けた事に、少しだけ怯んでいた鬼さんですが、すぐに私の方を見て来ます。
私は、鬼さんに向かい、笑いかけました。それに呼応した訳ではありません。でも、鬼さんは私を追いかけ、私の落下点に構えました。落ちてくる私に向かい、拳を突き出してとどめを刺すつもりですね。
「ぶぅ!」
下品な音をたて、私は先程含んでおいたお水を、口から噴き出しました。霧状となったお水は、下で私を待っていた鬼さんに向かい、降り注ぎます。
「──ふべっ」
私に、鬼さんの拳が襲い掛かる事は、ありませんでした。その代わり私は、地面と激突する事になります。受け身を取り、衝撃を取り逃がすように地面を転がしましたが、この傷だらけの身体で、あの高さから着地するのは、相当痛かったです。
「オォ……オオオオオォォォォ……!」
地面に横たわりながら見ると、鬼さんの身体が、腐り落ちていくところでした。私が口から放った水……あれが、鬼さんの身体に付着し、一部は私がつけた傷から身体の中へと入り込み、枯凋の能力を発動させたのです。
効くと言う、確証はありませんでした。剣で傷つければ、枯凋の能力が発動すると思っていたけど、それはなく、お水をかけたら能力が発動するかどうかも、微妙でした。でも、ちゃんと発動したので、私は賭けに勝った形です。
ボトリと、鬼さんの腕が、地面に落ちました。そして、形を失い、腐り果てていきます。更には、足が外れ、顔から地面に崩れ落ちた鬼さんの身体が、急激にしぼみ、やがてその場に黒い痕だけを残し、全てが消えていきました。
「……はぁ」
私はそれを見守り、ややあってから、ため息を吐きました。
──勝った。それはいいのですが、本当に満身創痍です。身体がパワーアップしてなかったら、5回くらい死んでいると思います。もしかしたら、もっとかも。でも、勝ちました。
命がけの、ギリギリの戦いで得た勝利は、とても気持ちよく、凄い達成感です。でも、二度としたくはありませんね……。
何故、枯凋が効かなかったのか。何故、お水では効いたのか。戦いの解析をしないといけませんが、でも、急激な眠気が襲い掛かってきました。解析は、寝て起きてから……。私はそう思いながら、目を閉じました。




