レグの坊や
霧の中には、村がありました。木でできた建物は、田舎らしく、ぽつんと建っていて、一軒一軒の間が、とても長いです。
そんな霧の中の、一軒の建物の中に、人々が集まって、身を寄せ合っていました。その建物の周りには、多くの馬や馬車が停まっていて、見張りの大人も立っていて、警戒をしています。
「おお……なんと美しい勇者様が来てくださったのだ……!」
「ありがたや……」
「勇者様、ありがとうございます……」
身を寄せ合っているのは、いつでも逃げられるようにしているからです。
もし、魔物がグリムダストから出てきたら、鐘の音でいちはやく知らせて、その鐘をきいた瞬間に、全員で馬や馬車に乗り込み、逃げると言う算段です。自分たちが、長年住んできた土地を、彼らは離れたくない。その一心で、ギリギリまで粘るために、逃げずにこうして、身を寄せ合い、励ましあって、過ごしているのです。
建物の中には、百人ほどがいます。大きなこの建物は、普段は集会場として使われる場所のようで、村人全員を収容するだけの大きさがあります。
そこへ訪れた私は、ヒーロー扱いでした。口々に声をかけて、私にお礼を言ってきます。まだ、村を救ったわけでもないのに、です。
ですが……少し、年齢層が高くて、やる気が出ません。男に訴えかけられてもなんとも思わないのは良いとして、女性もストライクゾーンから外れていては、やる気が出ないのです。
「お任せください。必ずや、このグリムダストを攻略し、皆さんの生活を守ってみせます」
だから、適当に言って、私はとりあえず、この場を切り抜ける事にしました。だって、私の手におえるものかどうか、分かりませんからね。
でももし、グリムダストが、私の手におえないものだったら、どうしましょう。逃げると、私の評価はがた落ちで、もしかしたらメイドさんもつけてもらえなくなってしまうかも。そうなったら、タニャは他の誰かにご奉仕する事になってしまう。キスも、貰えるかどうか分からなくなってしまうじゃないですか。そんなの、絶対に嫌です。なんとかして攻略したい所ですが、そこは実際やってみないと、分からない所です。
「なんと心強いお言葉だ……。コレも、レグの坊やが、お城で兵士として出世してくれたおかげだな」
「違いないね。小さかったあの坊やが、勇者様を連れて帰ってきてくれるなんて、そんなに嬉しい事はないよ」
次は、口々に、あのおじさん兵士の事を、村人たちは褒めたたえます。私がここにやって来たのは、あのおじさんのおかげだと、そう言いたいみたいです。
そのおじさんは、外で他の兵士たちと、馬車を整備して、全員が逃げる準備を進めています。私が攻略できなかった時の備えをしているのは複雑ですが、まぁできるか分からないので、進めておいて損はないでしょう。
「失礼。私は、この世界に来てから日が浅く、この世界の事をよく知りません。そこで、教えていただきたいのですが、勇者は通常、全てのグリムダストに派遣される訳ではないのですか?」
私は、あの兵士を褒めていた1人のお婆さんに向かい、尋ねてみました。
「ああ、そうだよ。普通は、こんな戦略的な価値のない田舎に、勇者様を送っていただける訳がないんだ。勇者様は、国の戦略的に重要な地にだけ、派遣される。あるいは……」
「あるいは?」
私は、言いにくそうにいうお婆さんに、迫りました。お婆さんは、やや周りを気にするも、周りの人たちは、何も聞いていないと言う風な仕草を見せて、黙り込みます。
それを確認してから、小さな声で、私に伝えて来ました。
「国王様に、献上金を出せば、派遣してくれると言う噂もあるんだよ。ただ、途方もない値段だけどね」
「お金、ですか……」
それは、なんともくだらない事を聞いてしまいました。民のためにだとか言っておいて、結局はお金次第で、勇者を派遣する。そこに、どのような正義があるのでしょうね。
今回はたまたま、ガラティアさんの策略によって、私が派遣されただけでしょうけど、こうなってくると、意地でも攻略してやりたくなってしまいます。本来は、勇者を派遣する基準に満たない田舎に、タダで勇者を派遣して、私が逃げ出してその価値を下げさせる狙いがあるのでしょう。あるいは、死ねとすら思っているのかもしれません。それなのに、私がグリムダストを攻略してしまったら、ガラティアさんと国王は、どのような顔をするでしょうか。
「では、私はグリムダストの攻略に急ぐので、失礼します」
「……ありがとう、勇者様。私たちは、勇者様が来てくださっただけで、嬉しかった」
「その通りだ。だからどうか、無理だけはせんようにな」
「ああ……。生きている事が、一番大事だ。だからどうか、怪我や、死んだりなんかだけは、せんようにな」
「……」
この人たちは、とても優しい人たち。自分たちの住む土地が脅かされているのに、私に頑張れとか、そういう言葉はかけず、私の身を案じてくれている。
私は、自然と笑みが溢れるのを、感じました。私、優しい人は、割と好きなんです。そこに、性別は関係ありません。本当は、ちょびっとだけ関係ありますけどね。
少しだけ、やる気が出てしまいました。私は踵を返し、その場を後にします。あたたかな声を背に建物から出ると、霧の中で、作業に没頭する、レグの坊やの姿を発見しました。
「精が出ますね。レグの坊や」
「……」
馬車の車輪の手入れをしていたレグの坊やが、私を睨みつけて来ました。
「このなんとか村は、貴方の出身地だったのですね」
「テレット村だ。いつになったら覚えるんだ……」
あきれ顔で言うレグの坊やは、作業を止めて立ち上がり、馬車を背にして楽な体勢を取りました。
「そう、それです。皆さん、私の姿を見て、喜んでいましたよ。レグの坊やが勇者様を連れて来てくれたって」
「……たまたまだ」
「でも、本当はただ、お城の上層部のいざこざに巻き込まれただけで、私が臆して逃げ出す事を期待されていると彼らが知ったら、どう思うでしょうね?」
「し、知っていたのか……!?」
「例え図星でも、そういう反応をしたら、ダメですよ。カマをかけられただけという可能性を、考えるべきです」
私は、レグの坊やに向かい、人差し指を唇の前にたてて、静かにするように伝えます。レグの坊やはともかくとして、周りの兵士に聞かれたら、いけない内容かもしれませんからね。
「っ……」
「──でも私、この村を気に入りました。どうにかしてあげたいと、思っています」
「……無理だ。たった一人で、グリムダストの攻略など……フリだけでいい。生きて帰りたくば、勇ましく立ち向かうフリをして、すぐに帰って来い。村は……どうせ、こんな田舎、いずれは消える運命だったのさ。その時が、少しだけ早まっただけだ。こんな村のために、命を懸ける事なんてない」
「どうするかは、やってみてから決めさせていただきます。でも、貴方も少しは、素直になったらどうですか。村の人たちもですが、素直に、勇者様どうか村をお救いくださいと、言えないのですか?」
「……」
レグの坊やは、黙り込んでしまいました。全てを、やるべきことをする前から諦めるその姿は、いただけませんね。
私は若干の苛立ちを覚えつつ、歩き出します。
「ど、どこへ行く」
「どこって。グリムダストですよ。早速攻略に移ります」
私は当然のように答え、そして再び歩き出しました。でも、グリムダストの場所を知らない事を思い出し、立ち止まります。
「案内を、お願いします。レグの坊や」
そして振り返り、立ち止まったままのレグの坊やに、私はお願いしました。




