この30年で食文化って結構変わってんですね。
さすがのころーんさんも、ばーきんの超ワンパウンドビーフバーガーを食べたい、と頭ぽかぽかにはならなくてあーよかったと思ってるせみころーんさんですーどーもーととととて。
ついこの間ですね、ころーんさんのピアノの出番のセッティングの時間がかかるからと急に昼食タイムになったと、そんで「お!」とか言って還元キャンペーン第2弾!ってのを見ましたらね、、、
さすがに、、、これは食べられないぞと、、でも食べてみたくなった、だって。
んでー、頭ぽかぽかしてかってーかってーになるやろと思ったら「これは買わない」だってさ。えなんでとおもって、こっちは注文して店内で食べてみました。
これ、、女子には頼みづらいんでしょうねえ。でも世の中が確実に変わったなと思うのは私だけでしょうか。
パンにはさむ肉の量を増やしてみましょう、ってのは、周期的にブームになるんですが、2010-20年代ならともかく、昭和の時代では絶対にブームにはなりえませんでした。
せみころーんさんのおとおさんは、こういうのは地方民にとって贅沢品で、なおかつ簡単に頼めるものではなかった、、と言うんですが、意外にも食文化の違いだったと思ってます。ごつい肉にかぶりつくって文化が、沖縄や北海道のような地域を除いて、あんまりなかったような気がします。
ちなみに、オランダではマックは贅沢品で、いっつも店内はガラガラです。もっと安く口に入るファーストフードがありますので、みんなそっちに行きます。
実は1990年代、あれは1998年の話でまだ私はちっさいころなんですが、マクドナルドが円高に乗じてトリプルマックを新発売したんです。
ところがですね、すぐ消えたんですよ。
なんで消えたのかわからなかったんです。まぁビックマックよりも味が良いので、定着するだろうと思ってたら消えてたんですよ。
これは、日本人の舌に合わないって感じだったんだそうです。ところが、今やマクドナルドだけではなく複数のバーガー屋が参入し、肉量の多いメニューを投じてきました。
30年で肉だらけでも平気な人たちが出てきた、ってのが面白いと思ってるんですよ。
どこが?って聞く人は若い人、特に中学生や高校生は多いと思います。
今の現代化した食生活と、和声の変遷に並行関係があるんですよ。そんな馬鹿な!って人は不正解ですよ。中世からの食生活、調べてみてくださいよ。
みんな知ってるまっずいまっずいイギリス料理。イギリス人の声部接合は、大陸の連中とはまったく別個に発展し、ガラパゴス対位法と呼べるものに変質しました。大陸で豊かな食文化で育った人にとっては面白く聞こえたらしいんですが、、、
大陸の豊かで発展した音楽性から切り離されて生活してると、こんなにダメ対位法、あ失礼しました原始的対位法になるのか、って印象のほうが強いんですわ。
例えばですよ。ヘンリー・パーセルの傑作Dido and Aeneasの序曲を聞いてみましょう。
ちょいと速度が上がる後半部分聞いてて、なんか感じませんかね?
そうです。ほぼすべての声部アルペジョで動く。すごいでしょ。主旋律がですよ。
こういう旋律をアルペジョで動かしてはいけません、ってのを最初に対位法の授業で習うんですよね。どこのイタリアの本にも書いてあります。
大バッハを含む大陸の連中も17世紀までにはアルペジョで動かしたくなってきてはいたらしく、対旋律はアルペジョじゃないかって言いたくなるのもあるんですが、主旋律はしっかり順次進行が守られています。そこら辺だけ妙にしっかりしてました。
で、Dido and Aeneasに戻りますけど、信じられないほどパターン化された進行が出てくるのが不思議です。でー、
こっからが本題なんですよ。「二回繰り返す」ってやつなんですよね。よく出てくるんですよ。
これね、、食生活が貧しいと、絶対にどっかの繰り返しになるんですよ。確信を持って言えるんですわ。全世界的にです。
昭和の吹奏楽は今なら予選で切られるだろうって感じの和声進行も多かったんですが、平成期を抜けるとJ-popを参照したかのような妙な和声付けの曲が増えてきました。減ることはないんですよ。増えるんですよね。
これ、スウィングがビバップに変遷したのとまったく同じことを模倣してるんですよ。ビバップはコードが20あるってのは普通にあるんですが、スウィングのコードの貧しさを批判したものとされています。
東南アジアの民族音楽も考えられないくらい繰り返しばっかりです。まだインドネシアのガムランはましです。バングラデシュとかカンボジアとかあのあたりに行くと、一小節を繰り返してるだけとかそんなのまであります。
じゃあ、なんで繰り返しになるのか、、これは普通に小麦を採取する、米を採取するって、一連の農耕の動作と密接に関連があるんですよねえ。
うしさんやぶたさんやさかなさんは殺さないと食べられないでしょ。
人類は音楽を持たない時代はなかった、と言われますが、ひょっとすると、自らの民族の文化の発展具合の競争として音楽が利用されていたのかも知れません。




