延期(一年程度)
オリンピックも延期かあ、ってやつです。せみころーんさんですーどーもーととととて。
人類がコロナウイルスに打ち勝った証拠として2021年にオリンピックってのが、なんとも、、商業主義のにおいがするんですよねえ。
これで日本の政界はシナリオが全部狂ってしまいました。本来ならば、2020年にオリンピック、2021年の3月ごろに解散総選挙でいいだろう、そのあとに世界水泳の準備ということだったでしょう。
ところが、オリンピックが2021年になったことで、2021年に世界陸上の準備をアメリカで進めていた幹部はもう来年に延期の相談をしているそうです。
これ、ボルトほかのスター選手がいたらえらいこっちゃでしたねえ。2020年代はイシンバエワみたいな大スターがさほどいない。記録更新も見込めないから延期ってのが本音でしょうねえ。
少子高齢化なのか、さほど面白い選手は見られなくなってきています。すらあっーしゅさんは「中華のドーピングが効かなくなってきた」っていってます。
確かに、中国系の選手のドーピングはかつてほど大っぴらにやって何が悪いか、というムードではなくなってきたのは事実ですが、ばれなきゃ俺が勝ってもいいんだという空気はまだ残ってます。そこらへんまだ後進国なんですよ。
今気が付いたことがあるんですが、、
最近スポーツに、、全世界がさほどの興味を持たなくなってません?ころーんさんは「そーでもない」っていってますが。。
言い方がまずいかな、スポーツに広告代理店がカネを出しづらくなってないかってことです。
これ、、絶対少子高齢化ではなく、単純に高学歴化なんだろうと思うんですよねえ。中国では特に顕著でしょう。中華系ドーピングが流行ってた当時、中国の大学進学率は日本を下回ってましたから。
でー
高学歴化することで、確かに社会全体はおとなしくなるんだけど、ガッコのべんきょがいつ何時でも優先されるもんですから、、、それ以外が、、、なんも、アタマに入ってない人が優先されてしまう、、
これ、日本だけの問題じゃないんだろうと思うんですよね。
適当に大学を中退して好き勝手なことをやって大成した人物ってのが、もう、少なくなってきてるでしょ。まずいですよ。
今も昔も、学部の内容を理解したといえるのは、国民の一割なんだそうです。その一割から教授や准教授になってたわけです。ところが今は残念ながらそうではない。となると、だれが何のために大学に行くのかという問題になるわけです。
何のために大学に行ったのかわからない人が作った本の典型例が、もうありました。
「教科書に東京オリンピック2020が開催済みとして検定されてしまっていた」問題です。すらあっーしゅさんは「君が代隠せ教科書の再来やな!」とにっこにこ。
勘のいいなろうの中学生や高校生の読者はすぐわかります。これは「大本営発表」です。原子爆弾が投下されても被害が軽いとか言うやつです。真っ赤なでたらめを配信してしまう、これが1945年の東京。
植民地主義を肯定するため、小学校の教科書に「早春の満洲」ってのまでありました。なんとこれは戦争後の墨塗りの対象にすらなっていません。ここらへんGHQは詰めが甘かったのでしょう。
2021年になっても、何も変わってないよね、ってことです。しかし、ほんのちょっとだけ違う点があります。
覚醒剤常習者の詩が教科書に載ってしまう、開催されてもないオリンピックのことが教科書に載ってしまう、そのくせ第二次導関数は2025年以降の入試で使わないから削除しよう、もう文系にベクトルはいらないよね、教師はプログラミングを知らないけれども導入してみよう、、、とか。
知能の劣化そのものを意味する国策ステマは、第二次世界大戦中の日本でもなかったように思われます。そもそも軍事ネタは「優れている」ことをステマするわけでございまして、劣っているところをステマしてもだれの得にもなりません。
なぜ、こんなでたらめが露出するのでしょうか?すらあっーしゅさんは「あほうがふえたからや!」といいますが、私は違います。
高学歴化に伴って、民主主義の恩恵を法外に受けた結果、、誰の批判も受けないんですよねえ。。
なんで、高学歴がいっぱい集まるとi-dioやレゴランド名古屋のような大惨事を生むのか、、これは批判者がゼロだからです。
誰の批判も受けない。民主主義がいきわたった社会のほうが、全体主義社会時代よりもはるかに馬鹿をさらしているのは皮肉ですね。
アムパサンドさんは「殴れなくなったから」っていうんですよね。かつてなら一発〆れば良かった、、、それが今はできないと。これも違いますよ。殴られたら何らかの形で報復がありますから。
民主主義は誰にも批判されないってのがダメなんですよ。それが分かっている人は昭和の時代にはいたが、彼らが死んでしまってってことでしょう。
「誰もが学ぶ自由があるが、誰もがバカになる自由もある」という時代からの脱却の世紀なのかもしれません。そんなのは戦争と平和の交代が頻繁にあった時代には、そのような心配をすることなどなかったということなのでしょう。




