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もうピッチクラスセットとか言ってもなろうの人誰もわからんよねえ、、、

一つの時代が終わったなあ、と感慨にふけるせみころーんさんですーーーどーもーーーととととととととととととととて。


昨日もお伝えしましたが、チャールズ・ウォリネンさんが亡くなられました。81歳でした。


チャールズ・ウォリネン、チャールズ・ウォーリネン、とtwitterで打ってもほとんどサーチではひっかからず、アメリカの大家に対して日本人の受容ってこんなものか、とちょっとそこらへんの適当なセミプロが亡くなったのと同じ水準と認識されていることには怒りを覚えました。


ウォリネンさんの何がいけなかったのでしょうか。


ここには6人の語り部がいますが、ウォリネンの作品が頭に入っているのはXさんと私だけで、あとはそうでもなかったようですが、CDになっていたのでNaxosミュージックライブラリーではおなじみで名前は皆さん聞いていたようでした。


6人全員が顔を合わせたskype会議でも少々話題になったんですが、そんときですねえ、すらあっーしゅさんが


「見事なまでの中継ぎや!野球でいうたら。天才中継ぎ。で、継いでるだけで終わってもた。アメリカ合衆国にいっぱいガイジンがきよったのも痛いなあ」と。


アメリカ合衆国がここまで外国人教授のオンパレードでなければウォリネンはもっと偉かったでしょうし、作風も広がりがあったのではないかと思われます。


タンゴで言えばフランシスコ・ロムート、ジャズで言えばベニー・グッドマンのように、一時代はもちろん築いたのですが終わってみれば、、って人だったのかもしれません。


ウォリネンの生涯を振り返ってみましょう。どこにでもあるように、ウォリネンさんも作曲の修士号までは取ります。


やはり彼も運のよすぎた人でした。16歳で最初の作曲賞、そしてBMI、リリー・ブーランジェ、ピュリッツァー賞とつぎつぎとエリート街道を爆走。そのくせピアノもうまいもんですから、ケチのつけようがありません。


つまり、アメリカのアカデミックな作曲語法とは、シェーンベルクの12音技法に組合せ数学を適用してピッチクラスセット理論とかいうのに発展させた教科書を、どこまで習得できるかという競争でしかありませんでした。


赤チャート覚えてこい、はい覚えました、これに近い。今となっては笑い話ですが、アメリカはほんとに後進国で、日本よりもひどいんじゃないかこれと武満徹が帰国後にぼやいていたのを知ってます。


バビット、カーター、パール (レっていうひともいる) 、このピッチクラスセット理論御三家のピアノソロ曲を完全制覇したピアニストはまだいません。バビットだけとか、カーターだけってのならいるんですが。


でですね


この御三家がちょっと反社会的勢力の親分みたいに強くなってきて、次世代を育成しようって局面になったときに担ぎ出された嫡子の世代がウォリネン、ジェフスキー、ボァルカム、いわゆる1938年組です。3人目には異論はあって、ランスキーじゃないかとかマクガイヤーじゃないかとかマルチノじゃないかってのありますが、きりがないのでやめときます。


嫡子世代で一番なにもかもできてしまったのがウォリネンです。


またなにもかもできる、といった能力的な側面のみならず、アカデミックな業界と大衆との乖離の少なさといった点でも大きく成功しました。当たり障りがなかった、過度に大衆受けを狙ってはいないが結果的には大衆でも理解できてしまう、ここらへんがウォリネンの強みだったのです。


ウォリネンは創作の曲がり角を迎えると、自作にマンデルブロ集合の公式を適用してテクスチュアにさらなる合理性を与えることに成功します。


ここらへんで数学の苦手なゴウモエラーは「わからないですう」とお手上げ、くおてしょんさんはわかってんのかわかってないのか「にゃーん」って言ってるだけ、ころーんさんは「スコア見ても、どっからどうやってマンデルブロ集合を使うのかよくわからない」と言ってます。


なんのこっちゃない、セリーの拡大形と縮小形が同時に出てくるだけです。すらあっーしゅさんは「おいおい、はしょりすぎだろ、、」って言ってますが、事実その通りなんだからしゃーないですやん。あと、フラクタル図形の通りに方眼紙を使ってピッチを並べるだけとかです。めっちゃかんたん。


べリオのハーモニックウォールのアメリカ的解釈でしかなかったという辛口の意見もありますが、べリオよりももっと単純です。


このわかりやすさが非常にツボにはまったのか、ウォリネンの名声は頂点を迎えました。演奏団体の質も超一流がそろうようになりました。


ところが、1990年代になると多くの外国人がアメリカ合衆国で教授になり、作曲教育もグローバル化を迎えました。ウォリネンがそのグローバル化した作曲教育からみて「古い」「単純すぎ」「いまさらピッチクラスセットやってもだれも驚かない」と、主流から抜かされるのにあっという間でした。


さて、ウォリネンさんの作品、いちばんなろうの読者におすすめなのは、TzadikのOn Alligatorsに収録されたThird Piano Concertoです。


Youtubeでもぽちれます。ぽち。これはKoch Schwannから出てたもののリマスタリングです。


第3楽章の切れ味は日本人では達成できないですよねえ、日本やこの異世界では全然流行んないんですよ。ウォリネンはこのころがピークであったと思われます。

(。・_・。;)<ウォリネンの音楽は日本と相性が悪いのか、FMでもほとんどかかりませんし、ライブでも演奏されることが少ないので、今後はさらに聴かれなくなるでしょう。サントリー国際委嘱シリーズにすら呼ばれませんでした。

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