あああああああ!パ!ン!デ!ミ!ッ!ク!
「新型コロナウイルスはパンデミックといえる」もうおそいわい!という叫び声がどっかから聞こえた気のするせみころーんさんですーどーもーとととととててて。
中国に献金してもらって、それでよっこらしょ、、パンデミックでえすってのはねえ。
どう思います?大学院まで出ててこれ。こういうのいるんですよ。
日本も、中国や韓国に劣らず高学歴馬鹿ってのがものすごく多いんですが、海外も一緒でしょこれ見ると。テドロス事務局長もなんだかんだいってPhDですから。
世界全体が腐ってるんですよ。
すらあっーしゅさんみたいな原理主義でも何でもないですが、腐ってるのは事実だから、それは認めないとだめだと思いますよ。
これは私だけが連呼してるわけじゃないんですが、WHOを含めて、集団になると高学歴チームであっても、高卒ですらわかりそうなことを即断できないというのはどこの世界でもあるようです。
Xさんは単純に「少子高齢化だから。みんな産まなくなっちゃったでしょう。それなのに医療水準はどんどん上がって50代では病気でもない限り死なないですので、知性が劣化しているという警鐘を鳴らす人物から先に学歴競争で淘汰される」といってますが、なかなか名言ですねえ。
こういうのすらあっーしゅさんは言えないんですよね。あのすらあっーしゅさんってのは「阿呆や!阿呆は何を言っても聞かん奴や」でおわりですから。それだと議論になんないじゃん。
ころーんさんは「どっちも正しいと思う。大体、作曲科とエクリチュール科を割ろうじゃないかってのも、、」そうですよく気が付きましたね。
個人で抱える仕事がね、細切れすぎるのではないかと思うんですよ。
せみころーんさんの生涯に深く影響を与えたボグスワフ・シェッフェルって人はですね、彼が優秀かどうかということはともかく、やってることが広すぎたんですよ。数学で言えばグロタンディック。
あの人はとにかく、何でもやったんです。だから歴史に残ったんですよ。意外かと思われますが、音楽の世界で何でもできる人は非常に少ない。
なろうの中学生や高校生の読者も「指揮・作曲・ピアノ」を全部やるひと、というのはテレビドラマかなんかで見たことがあるかと思われます。この最後の世代がレナード・バーンスタインさんでした。
うそや!と思う人は調べてみてください。「そんなことないですぅ!トマス・アデスさんがいらっしゃいますう!」とゴウモエラーから怒りのskypeリプライが届きました。
なるほどねえ。
でもね、アデスさんは自分のピアノ協奏曲は自作自演しないでしょ?みんな人に頼んでまして、自らは指揮に回っております。
バーンスタインさんはラヴェルのピアノ協奏曲を弾きぶりすることだってやりました。
ツィグムント・クラウゼさんは自作のピアノ協奏曲第二番のソリストとしてピアノに座り、指揮は他人にやらせてました。
伊東乾さんの「交響楽」はピアノパートは自分で弾いておりました。
ところが、アデスさんは、ピアノとヴァイオリンのデュオのピアノパートを弾きに東京にやってきます。
、、、
そうです。仕事がどんどん小さく小さくなってるんですよねえ。アントン・ルビンシテインさんのころは、オペラだって書いて指揮棒を振り、おまけに自作のピアノ協奏曲は全部自分でソリストができて当たり前、、まさにロシアの造物主でした。
ロシアの人は、モルドヴァ人で改宗正教徒の彼を造物主だとは思ってなかったみたいですが。
では、どうして小さくなるか、という話を進めてみましょう。
かつて文豪というのはドイツ語もフランス語も英語も、ほかも広く何でもできて、翻訳もできて、文学論も講じることができて、なおかつ作家、、、これが明治の文豪のイメージでしょう。
ところが、もうこんな人がいません。よく批判される村上春樹さんも、彼は実に多くの翻訳業を行っていますが、あのようなことができる作家がもういません。
いま翻訳業でよい文章を書いているのは数学業界じゃないかとさえ思えます。数学業界も本が売れなくなってきてますが、定期的に洋書の翻訳が丸善出版から出ます。日本の作家は翻訳するのが昔の常識でしたが、いまは日本の数学者の仕事なのかなと思います。
こうして人間の仕事は細分化され、それにしか対処できないがためにどんどん幼稚になる、というのが一般論としてあるでしょう。
ただし、人類の進化として当然という意見もあります。かつて第二次世界大戦はそもそも大学に女性が入れない。入れないもんですから、男性が人一倍詰め込まなければならなかった。そういう背景がありますよ。
今となっては、女子が男子の成績を上回ることはどこの世界でも当たり前、、こうなると上回ったほうに頼んだほうがいいじゃないか、仏教圏やイスラム圏を除いた社会ではそうなっちゃいますよね。
だからって高学歴馬鹿を黙らせる手段すらないというのは勘弁してほしいんですが。




