著作権料めぐる裁判本日開廷
コロナウイルスのさなかにこんな裁判でまた感染しないかどうか心配のせみころ-んさんですーどーもーととととて。
そうですね、もうtwitter上でも話題になりました「著作権料裁判」とかいうのがあると。「レッスンで使われる楽曲にも著作権料を支払わなければならないのか」ってやつです。
だいたいですね
音楽のレッスンとは、なんですかという話をしてみましょう。
おそらくすらあっーしゅさんやくおてしょんさん、ゴウモエラーやXさんには想像できない話だと思いますが、、、今から話すことは事実です。
音楽のレッスンとは、250年前の西洋では教師の曲を演奏することであった。ばばーーーん!
「うそやろっ!!!!!!うそや!そないなら俺もう廃業やないかーい!」というすらあっーしゅさんの声がskype越しに聞こえてきました。ちょっとボリュームを下げました。
これは信じられないかもしれませんが事実です。バッハ、ベートーヴェン、モーツァルト、フンメルの各氏は自作をレッスンに使ったとしっかり証拠まで残されています。
おそらくJASRACの職員は、自作をレッスンに使って弟子に指導した経験は皆無でしょう。
もっと時代をさかのぼると、音楽のレッスンイコール作曲行為だった時代がございました。
ドメニコ・スカルラッティのソナタはCD36枚組に及ぶ膨大な記録です。しかし、こんな膨大な書き譜をどうやって残したのでしょうか?これには秘密があります。
スカルラッティはまず弟子を呼びつけます。「よっしゃいまからたのむな」といい、スカルラッティは明けても暮れても即興演奏を残します。これを必死に写譜するのが弟子の仕事、これがレッスンだったのです。
そして大きく写譜されたマテリアルを適当に編集し、楽譜として最終的に校正を入れて完成。弟子はテープレコーダとしての機能を果たしていました。それが弟子の仕事でした。
スカルラッティがどのくらい弟子を使いまわしたのか実態が明らかではないものの、優秀な書き取り職人にスペインのアントニオ・ソレールが含まれていたという話です。
要は、レッスンイコール創造行為であり、レッスンでお金を取ってどーのこーのという時代ではなかったのです。
ところが、音楽家を目指す人間は後を絶ちません。19世紀にはいると学位のないならず者もいっぱい参入してくるようになりました。こうしてピアノレッスンは、ビジネスとしての側面を帯び始めます。
この時代に入るとレッスンが創造行為であることはなくなりました。しかし、教師はメンツがありますので、自作の曲を演奏させることでプライドを保っていたわけです。
この自作の曲を演奏させることを軌道に何とか乗せようとして、うまくいかなかったのがバッハです。ところが、モーツァルトとフンメルは意外にも軌道に乗り、先生の曲を演奏するためにレッスン室に通うという風習は20世紀初頭のロシアまで残りました。
この、先生の曲を演奏するために乗り込んだが、一から徹底的にやり直しを命じられたのがカール・チェルニーです。チェルニーは、先生が手本を示し弟子がそれをまねする必要はもうない、とまで言い切っていますが、先生が作曲できないなんてことはあり得ない、それはかろうじて残りました。
チェルニーの全作品は「よくわかってませ」ん。あんなに有名なのに、全作品目録すらありません。彼が生涯で作曲した曲数は1000とも2000ともいわれますが、アシスタントなしでどうやってこんなに書けたのか不明です。全集が出版される予定もなく、正体不明の人物の一人です。
チェルニーは「先生が作曲でき」て「先生はピアノも弾け」てというウィーンの伝統の最後の生き証人でした。もちろんこれには異論もあると思われますが、もうスクリアビンはピアノとオーケストラの曲しか書けなくなってましたし、フェインベルクもピアノを中心とした作品群です。
ところが、チェルニーはこんなものではありません。小品からTe Deumまで全部あります。ないのはオペラだけです。ピアノの先生が弦楽四重奏曲を数十曲も連作する、なんてことはチェルニーの世代が最後です。
今まで書いてきてふと気づいたことがあります。
ピアノの先生は弦楽四重奏曲を作曲できるでしょうか?
ここらへん、ころーんさんとゴウモエラーは「ぐぬぬ」と渋い表情でした。Xさんは「はっはっは」とにこにこでしたね。わかるひとにはわかるでしょうこれ。
ピアニストはレイヤーを4本も同時に思考できなくなってしまってるんですよね。ピアノ的思考では弦楽四重奏曲は作曲できないのです。ヴェルディだって弦楽四重奏曲はたった一曲でしたし、弦楽四重奏曲が1曲しかない作曲家は19世紀後半から増えます。
このエントリーは長大になりそうなので明日もこれでやりましょう。




