村の担当者が肺炎防止のため雀卓を破壊する。
これこわいなあ、と思っちゃったせみころーんさんですーどーもーととととってとて。
いまここにいるころーんさんを含めて二人そろってパチンコやソシャゲなどのギャンブルは嫌いです。
でも、ですね、、
人が楽しんでいるところを破壊する神経は理解できないですね。。。肺炎がはやるから雀卓を壊せ、ってのは聞いたことないです。そんなのどこの異世界にもないですよ。文化大革命のときに麻雀が禁止とかいうのは聞きましたが、人が打ってるところを土足で乗り込んでくるってのは、やっぱアジアならではなんでしょうか。
中国はいくらなんでも、無駄がなさすぎで面白くない国家なんだろうって感じですね。
日本を見渡しますと、想像を絶するほどの無駄の山です。つぶれずに本屋がやってるなどというものも20世紀末にはまだありました。古本市ってのも21世紀ではほぼ不可能ですが、20世紀では可能でしたし、勝ってく人だってゼロではありませんでした。こうして人が切り捨てた無駄、が、他人に共有されるシステムでした。
ところがですねえ、中国は無駄だと分かれば全部切り落とすんですよ。余計なものが全くないんです。それでジェネリック家電はうまくいくのかもしれませんが、日常の文化の在り方として限界を感じます。
中国の合唱曲も、これころーんさんもなんか歌った事あるらしいんだけど、一回。全然、複雑じゃないでしょ。一晩で書けちゃうって感じ。
アジア人が合唱曲をつくりますとね、その書式の単純さというか貧しさというか、なんでこんなことしかできないの?ってのオンパレードなんですよね。
5声のミサとか歌ったことあるんやろうか、って感じです。そもそも建前は中国はキリスト教が禁止されてるので、合唱の対位法とか、なんもないんでしょうたぶん。
ロシアは正教会のおかげで、合唱コンチェルトとしてそれなりに必要最小限の対位法が温存されてきたのですが、中国はそれ全くないんですよね。
『中国军魂』とか、もうね。。
ころーんさんも、呆れた顔で「ここまで完璧にユニゾンだけの合唱ってのは、せみころーんさんの提唱するバカ丸出し様式なんだから、これからの流行として使えるかも」なんて言ってますけど、ほんと単純。バックのオーケストラも、いい加減何とかならないのかなと思うほど日本の1970年代のドラマの音楽みたい。
どうしてこう、、西洋に敬意がなく、使えるものは使ってしまえ、、って発想なんでしょうかねえ。民間人に自由に思考させないとこうなるってことなんですよ。
そもそも東洋の教育システムそのものが「ここからここまで勉強しとけ」ってすごい投げやりなんですよねえ。
ほんとは「ここからここまで勉強しとけってのは建前で、そんなもん誰も守ってるやつはいない。勝手に個人でやりたいだけやればいいが、壁に当たる場合は教師の知恵が必要」
ふつうはこうなんだろうと思うんですよ。
ところが、日本を含めてアジア圏は絶対にそうならないんですよね。民間人に思考させないってのは東洋の伝統で、なかなか覆せないんですよねえ。
今年注目されるぶつ森の新作。しずえさんからたぬきちへ、これだけでネットのネタになる。
中国にはしずえさんもいなければたぬきちもいない。ソニックもいなければリンクもいない。全部どっかからのキャラのパクリなので、中国発でなんとかーって流れになってないんですよ。
すらあっーしゅさんは「土地が広すぎて全国民に共有できる自然が少なすぎる」って言ってましたけど、同じことがロシアやモンゴルやカザフスタンにも言えます。結果として、このすべての国家は権威主義です。
日本のダメポリコレは「うわー!いっけないんだー!」とかいっちゃいますが、私は言いません。なぜなら、これから彼らは民主化を乗り越えるのですから。
これから乗り越える人々に向かって「いっけないんだー!」ってのは失礼でしょ。だから、今年の武漢肺炎はいい教訓になってると思うんですよ。いっくら独裁だろうが民主化しようが、病原菌は容赦ありませんからね。こういう時に試されるんですよ。
病気が民主化を促した、というとめちゃ失礼ですが、ヨーロッパもそうやって民主化してきた前歴があります。教会が分裂するとペストがはやって大変とか、まだ中国はそのレヴェルなんですよ。こういうのはすぐ変わりませんからね。
Xさんは「人口が8000万程度になるとにっくきアメリカを唱える政党が出現し (イラン)、人口が1億を超えると民主主義は真の意味で実現しない (日本)」っていうジンクスを提唱してますが、これいまだに効いてます。EUってのは全部集めると億を超えるので、そもそも最初から無理な思想である、って考え。
EUは解散したくても解散できない、通貨を統合してしまっている。これ、意外にもヨーロッパのオウンゴールだったのかもしれません。




