各国の指導者が最大限の自制をしなければならない?
おいおい、それって北朝鮮とイランとベネズエラに今まで言ってきたのかい、とつっこんでしまったせみころーんさんですーどーもーととて。
これ国連の事務総長の言葉なんですがあ、
サリン作っちゃう国とか、ミサイルで日本の国土を横切っちゃう国とか、、果てはハイパーインフレで腐った肉を買ってくる国とか、、、
もう、どうしようもない国の連中に「指導者が最大限の自制を」って言ってやってくれないでしょうかねえ、、、、
目下、最大限自制してる国って日本だけでしょ。
日本。
どこの国も自制なんてやってないでしょ。ぶっちゃけ。そもそも、「各国の指導者が自制してた日なんてあるのか」ってことですね。
なぜかというと、共産圏はとっくに滅んでしまっているので、もう全人類が同じ目的に向かってるわけです。それならもう、自制したほうが負け、こんなひどい時代が21世紀です。
20世紀の芸術の世界だって、自制してせこせこへこへこ作ってるわけじゃありませんからね。みんなオレガオレガの世界ですから。自分勝手で人の家にまで乗り込んでどんがらがっしゃーんってのが、「指導者」ですよ。
典型例はミャンマーですよね。
アウンサンスーチーの顔も、政権を取るや否や急に顔つきが変わりました。なんか鬼が歩いてるみたいで怖いんですが、指導者の顔ってのは本来そう言うもんですよ。
私はひそかに期待してるんですけれども、ミャンマー出身の作曲家ってのはまだ来ないですね。タイやインドネシアに比べると産業が未熟で、音楽には手が回らない。オーケストラも一つしかありません。ラオスに至っては音楽学生の数も確保できないと聞きます。
アメリカの大統領は、やはり、世代が下れば下るほど、顔がソフトになっていってます。これは、アメリカにたてつく国が減ったからです。もっとソフトになるのは間違いのないところでしょう。
自制ってので思い出しましたが、、、
20世紀の音楽の歴史は「自制しない奴」の連続でした。
ところがですね。こほん。
21世紀の音楽の歴史は「自制する奴」の連続になる可能性は高いと思ってるんですよねえ。
そんなばかな、歴史が逆に回るなんてことはないと思うでしょ。でも、もうクラシックやジャズのコンクールの演目は決まっちゃってるじゃないですか。
もう変わらないわけです。今後どういうことがあろうが。
それなら、21世紀は、、自制することが21世紀の音楽の特徴だったーとかなっても、別に驚きはしないんですよ。
典型的なのが文学ですよ。いまNHKとかでも「時代背景を考慮して、原文のままで朗読しましたー、これは差別的表現がどーこー」ってのあるでしょ。
あれ昔なかったでしょ。いまはしょっちゅうありますよね。これも自制の典型例。
赤松健が指摘するように「告発マニアが勝ってしまう」ってやつです。物を作る連中よりも告発マニアのほうが数が多いですから、数の論理で物を作る連中が負けちゃうんですよ。
昭和の時代や平成の時代の初期は、ここまで想定してなかったと思うんですよ。で、おそらく、これはヤバいって話が起きたのが脱ゆとり教育のころからです。このままだと、わめいたやつが勝つと。
でーヘイトスピーチ法ってのはできましたが、あれは在日外国人を守るための法律で、日本人を守る法律じゃないわけです。
妙なところで自制を求められてるんですよねえ。国民全体がねえ。
昼から豪快にポテイトゥチップスのめんたいこ味を頬張ってるころーんさんは、「このまま自制だらけになると21世紀の音楽ってすっぽり消えるんじゃ」って言ってますが、その可能性ゼロじゃないですよ。
16世紀のローマは自制だらけの音楽で、残された合唱曲はほんの一部です。もっとすごいペースで量産されていたのは間違いがありませんが、その多くが消えてます。
だから
これの二の舞になるんじゃないのか、、、って予感もします。異世界物がテンプレ化してるのも一つの自制でしょ。
平和なほうが実は不幸なんじゃないか、って思ってるのが今のイランです。
イランがこうなるのは当たり前です。人口は爆発中ですし、国ぐるみで兵器開発をやってますから、彼らの頭の中には平穏無事という表現は全くないでしょう。そういう国から出てくる音楽のほうが、おそらくは強烈な味になるでしょう。
この強烈な味に国際色が絡められているのがトルコ現代音楽界です。すらあっーしゅさんやころーんさんも、「トルコ勢ほんと強いだけじゃなく面白い」って言ってますからね。
まだイランの現代音楽に国際色は感じないですねえ。ああやってアメリカに牙をむいている間は、どこの楽壇も難色を示すので使えないでしょう。となると、使えるのはトルコ、ということです。
ここでトルコの現代音楽を紹介することも、今後は増えるでしょう。