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アシュケナージさん、引退。

んー、なろうの方々にとってはショックなのかもしれないけど、個人的にはあまりって感じのせみころーんさんですーどーもーととて。


はい。ウラジミール・アシュケナージさんですね。正確にはブラジミルだと思いますが、表記はウラジミールのほうが通ってるっぽいですねえ。


なにもしらないなろうの読者のために、簡単に解説します。


ソビエト連邦の生んだ「国際コンクール強制出場ノルマ時代」の成功例として名高い人です。10代でショパンエチュードを全走破し、録音も残されました。この記録はソン・ヨルムが達成するまで、なかなか破れない記録でした。


常に共産党の監視下の中、彼はドミトリー・カバレフスキーという作曲家から大変にかわいがられ、作品も献呈されました。彼がどこの国際コンクールを制するかというのが、ソ連人の興味でした。


ところがですね、


彼は、ショパン国際ピアノコンクールの本選で、なんと極度のプレッシャーから「うっかり間違い」を行ったために第二位。。もちろんソ連共産党本部にこれが発覚し、ドがつくほど叱られたそうです。このうっかり間違いがなければアシュケナージが完全に優勝のはずで、シナリオが狂いだします。


エリザベート国際音楽コンクールピアノ部門は、まったくといいほどの完勝で優勝でした。リストのピアノ協奏曲第一番を16分台で弾いたことで話題になりました。


「うそやろ?!」とすらあっーしゅさんは、証拠だせやのオンパレード。Xさんも「16分ってのは速いなあ」と妙な関心を示し、さすがのからくちころーんさんですら「こんなに速く弾くとテープの1.5倍速みたいになるんじゃ」って3人とも驚いてます。


じゃあ聴いてみましょう。Youtubeでぽちれます。


1956年にこの速さってのはちょっと衝撃だったんじゃないでしょうか。でも、ところどころちょっとミスってますし、なんかせかせかしてて落ち着きがない、そんな印象です。


でも、当時はまだLPとSPの時代ですので、その時代にこれってのは十分効いたでしょう。


第3楽章まではさほどの問題はないのですが、第4楽章になると、きました!テープの早回し1.5倍速演奏みたいなの。


最初のうちは速いなくらいなんですけど、途中からどんどんテンポが上がってくる。Maestosoもへったくれもありゃしない。どんどん飛ばせと言わんばかりです。14分終わりころになると、もう息切れしてて何のことやらさっぱりわかりません。こんなんで優勝って、、、当時のレヴェルの低さがよくわかりました。


終わりかけには「ブラボー!」と能天気な声まで入ってます。今でこそ、世界最強のソリストを決める決定戦ですが、64年前はこんなもんでもよかったのです。


意外にも、この種の飛ばし弾きよりも、後年のサンソン・フランソワのようにゆったり余裕をもって弾く演奏のほうが、これに関しては定着した気がいたします。私にとってはシルヴェストリの棒振りが懐かしい演奏ですが、ころーんさんはそうでもないみたいですね。


でですねえ、


「お前のコンクール歴は振るってないんだからチャイコフスキー国際音楽コンクールピアノ部門で一位を出せ!」とまたもやソ連共産党はお説教。


アシュケナージはホームタウンディシジョンで勝つのは嫌だと最初出場に抗議していたらしいのですが、出なきゃシベリア送りにするとまでいわれたので、しぶしぶ出たのです。


そうしたら、なんと最終結果はジョン・オグドンとアシュケナージの同着優勝でした。


しかも、オグドンはリストのピアノ協奏曲第一番を選択。この驚異的な名演奏に審査員はブラボーブラボー。ソ連共産党の党員の眉は吊り上がり「貴様!あんなイギリス野郎に上手く弾かれるとは何事だ!」とアシュケナージの演奏とは関係のないことまで引き合いに出して批判したらしいのです。


これでアシュケナージはアイスランドに亡命を決意し、アイスランド演奏旅行の途中で奥さんとともに大使館に逃げ込み、亡命を申請しました。


当然ですが、世界的なニュースになりました。


ソ連共産党はソ連に帰れば殺すとまで言い、チャイコフスキー国際音楽コンクールの優勝は剥奪されてしまいました。党に逆らうと賞が抹消される時代でした。


その後、アシュケナージの活躍は私が申すまでもないことでしょう。指揮・編曲・ピアノの分野で活躍しました。


彼のレパートリーは非常に狭かったのですが、これは出演過多によるもので、本人の意向ではなかった模様です。亡命で、それどころではなかった、と考えると納得がいきます。


今となってはこんなことを蒸し返しても意味がないのですが、彼は指揮に転じるよりもピアノに専念して芸風を広げたほうがよかったのではないかとさえ思います。


「現代音楽は敵だ」の時代ですからねえ、なかなか難しかったと思いますが、、、


彼はルトスワフスキに興味を示していたらしく、彼の弾き振りでルトスワフスキのピアノ協奏曲が演奏されていたら、もっとこの曲の知名度も上がったでしょう。初演者ツィンマーマンの音色はピアノの表面を撫でるように薄く、アシュケナージだったらどうだったか、と思うと残念でした。

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