必ず陰性を示すキット発売!
skype会議でゴウモエラーところーんさんとくおてしょんさんが、三人そろって「に”ゃーん!」とか言っててびっくりしちゃったせみころーんさんですーどーもーとととととててて。て。
これはすごいなあ。
Covid-19で確実に誰でも陰性を示すキット、37度を超えない体温計かあ、、。
どこの村上春樹かと思いましたが、これが現実なんですよ。
これが発覚したのがタイ王国なんですよ。
実は現在のタイ王政は日中韓に極めて厳しい態度で臨んでいることで知られています。もうタイは親日国とかいうのはやめたほうがいいと思います。王様が亡くならない限りは、今の体制が変わることもないと思われますので。
かつてならともかく、今のタイは中国がいらんことをしたら即座に取り締まります。その第一号がよりにもよってこれでした。
なんでこーなるのかということですよ。
中国には古代から、人命に対する軽蔑という思想が儒教のころから根強く残っていて、それが道教になろうが仏教になろうがあんま変わってないんですよ。
多くの中国研究者は毛沢東政権で儒教の心が踏みにじられたとか言ってますが、これも信用できるかどうか疑わしくなってきました。戦前の日本の文人も、中国人や韓国人の知能が日本人並みとは到底思えないという手記をけっこういろんなかたちで残しています。この時代、まだ毛沢東は政権はとってないはず。
こういう人の心を踏みにじる人々というのが芸術に関与すると、あっという間に作品はパターン化します。
よく考えてみてくださいよ。いいですか?
日本人だろうが、中国人だろうが、韓国人だろうが、ピアノ協奏曲というのは作れます。
中国は毛沢東のおかげで遅れてしまいましたが、胡錦涛政権になってからは西洋音楽の需要が奨励されて、そこそこ日本並みには作れるようになってまりました。
じゃあ
それ、コンクールで使えばいいじゃん、、って単純な私はそう考えちゃいます。
しかし、私の両親はですね、そんなことは絶対にあり得ないと、相も変わらずショパンかラフマニノフかほかの誰か知ってる人が本選で、それ以外の選択肢はあり得ないと。
ここら辺を見たときにですね「日本人が日本人の創造を、卑化してるよね」って思うんですよ。これはイギリスもそうだと思います。
これねソ連ではそんなことなかったんですよ。体制に尽くしたソ連の作曲家は、ソ連のコンクールでも重宝されました。
ちゃんとスクリアビンの練習曲が必修で、プロコフィエフのソナタが必修で。これが当たり前だったんです。自国民の尊重なくして、何がコンクールか、と。ところが、イギリスや日本はそうではないようです。イギリス人の作ったピアノソナタも大量にあるはずですが、ほとんどイギリスのコンクールで使用されません。
体制に尽くすというのはあんまり褒められることではないように思いますが、尽くしたら尽くしただけの褒美はソ連では出ていたように思われます。しかし日中韓は褒美すら出ないのです。ここらへんが、安倍政権にっくきで凝り固まっている人の心の、正体ではないかと思います。
中国は、いまだに、自国民尊重主義「すら」ない、んですよ。日本はコンクールのネタには使用しませんでしたが、自国民を定期的に表彰する制度はまだなくなってません。今の勢いだと、なくなりそうですが。
これはものすごいことで、前近代ですら自国民を尊重する衝動のようなものは、中国以外のどこの国にもそこそこあるような気がいたしました。むかしイタリア語の発想記号や強弱記号を、全部ドイツ語に変えようという運動があり、ベートーヴェンすらこの流行りに負けました。
たいしてこの運動は実らなかったのですが、自国民尊重主義の先駆けとして興味深い一件でした。
アジア人が、なぜ自国民を尊重せず、足の引っ張り合いに伍するのか。この弱点が改善しない限りは、誰がどうやっても国際メジャーで信用が得られないはずです。
すらあっーしゅさんは「飯がまずいから」というんですよね。「飯がまずいと政治の悪口になる」と。「飯のまずい国はよい音楽家を生まない」だって。
なるほどなるほどー
〈食の社会主義〉が成功したのはアメリカ合衆国だけですからねえ。
これほんとですよ。学食、ジャンクフード、ファーストフード、、みんなおいしいでしょ。うわまっず、ってのはつぶれちゃいますから。
その食の社会主義が成立したのも、白人が移り住み、なおかつ黒人とヒスパニック料理をブレンドし、誰もの納得のいく味にまで高めた200年ほどの歴史がある。すぐにはできないことでしょ。
これはまだ中国では達成されてないんじゃないかなと思いますね。
日本料理はまだおいしくなる途上だと思います。
そういうこというとゴウモエラーところーんさんは「えー」「もうじゅうぶんおいしいっ!」っていいますがあ、カップ麺ですらこの30年で味は進化してて、決してまずくなってませんから。




