4月7日-4
「さっさと終わんねーかな、学校。早く練習してえんだけど」
「そういうのはここで言わずに練習場で言ってくれ。言い放題だぞ」
「はい、HRをやりますよ~皆さん席についてくださいね~」
このクラスの担任は、学年の中でも割と人気な方の男の先生だった。
見た目は普通で中肉中背くらいのどこにでもいそうなオッサンだが、笑った時に愛嬌があったり、授業中に出てくる例え話が面白かったり、若者ノリに対する物分かりが良かったりするのだとか。
「じゃあまず、進行役を決めたいのでまずは学級委員を決めましょうか。男女一人ずつですね~~
なっても良いよって人、いませんか~」
学級委員か。面倒だしパスだな。
楓が出たら考えるけど、アイツはやるタイプじゃないし。
「はい、やります」
そう考えていたから、他の誰でもない楓が手を挙げたとき、俺は一瞬反応できなかった。
え?
驚きで視線を外せない俺に対して、楓が首を振ってきた。
お前もやれ!ってことらしい。
なんで?
嵌められた苛立ちよりも、予想外の行動に対する驚きが先行して、上手く頭が回らなかった。
とりあえず手は挙げていた。犬かよ俺。
「あらら、他にもやりたい人がいたら、遠慮なく手を挙げていいんですよ?」
仲良し二人組がこぞって手を挙げてくれたクラスに、異を唱える者はいなかった。
HRが終わったので、今日の日程は全て終了。
わざわざ学校に残る用事もないので、楓と二人で教室を出た。トシは真っ先に出て練習場の方へ走っていった。
「ようよう秀才さん、どうして学級委員をやろうと思ったんだ?」
割と強めに肩を叩く。
俺が自分から迷惑を被りに行ったんだから、つまりは弁明の一つぐらいないと気が済まない。
「さっき友達と喋ってた時言ってたでしょ?役職なんてさっさと決めて早く帰りたいから~って」
「おう、そうだったのか。んで、正直に言うと?」
「ちょっと、嘘はついてないでしょ」
「確かに嘘ではなさそうだな、その口ぶり」
楓の仕切りは実際上手かった。
美術係や保険係などの楽そうな役職から順に埋めていき、体育委員や美化委員などの面倒なものを後に残していく。
すると、みんなも『アレよりはマシか……』という消極的な動機で手を挙げてくれるから滞りが起こらず、圧倒的な速さで係が埋まっていく。
去年と比べると、半分以上のスピードで係決めを終えていた。
だから、確かに楓の言い分に嘘は含まれていない。
「じゃあ聞き方を変えるか。本意は何だ?」
それは、いずれ手を挙げてくれる子が他にいたはずなのに、という意味だ。
「生徒会の子に学級委員をやらせたくなかったのか?」
幸運にもというべきか、6組には2年生ながら生徒会で書記を務めている寡黙な女子がいた。
宿題をコツコツやって、その日のうちに復習を済ませて学業で好成績を収めるタイプの、絵に描いたような優等生。
喋ったことはないが、周りで聞いた話と俺が抱いた印象にそこまで差異はないだろう。
黙っていれば多分あの子が手を挙げていたはずだ。男子の方はともかくとして、女子の方はそれで解決していたはずだった。
俺が抱いていた疑問は、ある意味で正解だった。
「拓真の言葉を借りるなら、みんながそう思ってたから。女子はあの子がやらざるを得ないような空気だったから、それが嫌だったの。拓真だってそう思ってなかった?」
「まあ、言われてみれば」
「あんな空気の中で、誰がやりたいと思うの?」
「うっ……」
朝の冗談と違って、これは本当に胸に刺さった。
俺の隠れた苦悶を知ってか知らずか、楓は真面目な表情で語り続ける。
「サイレントマジョリティーって聞いたことない?」
「アイドルの歌でそんな名前の曲があった気がするけど。どうした急に」
「あれってさ、直訳すると『静かな多数派』って意味なんだよね」
「……」
「他の人がやってくれたら自分はやらなくていいのにな~と皆が思ってる。でも、『自分はやりたくないから、他の人にお願いします』なんて生意気なことは言いたくない。
勿体なくない?」
最後こそ不思議な言い回しだが、楓の放った言葉には確かに強い意思が込められている様に感じた。
「勿体ないって……そこはしょうもないって言えばいいんじゃないのか」
「人の悪口を言っちゃうと、自分まで悪い人間になっちゃう気がするから、なるべく悪口は言わないようにしてるの。あくまで個人的な意見だけど」
そう言って、楓は作り笑いを浮かべた。
とても綺麗に完成された、可愛らしい作り笑いだった。
「……楓がモテてる理由の一つが、今分かった気がするよ」
楓の言っていることはただの綺麗ごとだが、それを口先だけで終わらせないために本当に行動を起こす。
そういう心がけがしっかりしてるから、きっと男子だけでなく女子からも人気が出るのだろう。
「ところで、どうしてそれが楓の挙手に繋がるんだ?」
「そういう後ろ向きな空気とか、後ろ向きな発想を考えることが嫌だったから、一刻も早く面倒ごとを無くしたかった。それが理由」
「……言っちゃ悪いが、楓のそれも後ろ向きの発想じゃないのか?」
言葉だけを聞くと、猛烈にブーメランが刺さってるように取れてしまう。
「うーん、何て言えばいいのかな。無言の圧力、とか、他者への押し付け、とか、そんな感じ?があんまり好きじゃないの。
だったら自分で行動せんかい!ってツッコミを入れたいし、
そんなこと考えてるくらいなら今日の晩御飯はハンバーグがいいな~とか考えてる方がよっぽど平和じゃない?」
「卑屈すぎないか?そんな完璧な人がいるはずないだろ」
それこそ、友達と過ごしている時の楓並みに完璧でなければ。
「まあね。でも、それに気づいてるか気づいてないかは雲泥の差があると思う」
「それはそうだけど……だったら何でみんなと仲良くする必要があるんだ?」
ここまでの話を聞く限り、友達付き合いは世間体のためにやっている様にしか見えないが、わざわざそんな面倒なことをする楓ではないはずなのに。
「そりゃあ、それを帳消しどころかプラスにするくらい、みんなが面白いからでしょ」
先ほどとは違う、満面の笑みで楓はあっけらかんとそう言った。
「知ってる?私、こう見えて性善説信者なの」
「でしょうね」
でなければ、楓はこんなにも捻くれたお人よしに育っていないはずだ。
「そもそも論として、あの子は別に嫌がってたわけじゃないからいいんだけどね」
ただ諦めてたような、そんな『勿体ない』感じ。
楓から見透けた真意に、俺は苦笑いで返すことしか出来なかった。
「ところで、今になって思い出してきたんだが」
お互いの家が見えてきたところで、どうして今日楓と一緒に登校する羽目になったのかを思い出した。
「俺の長所の件、何か見つかったか?」
「あ~……そういえばそんなのあったね」
「そんなのって……俺からすると割と大きな案件だぞ」
「うーん、まあねぇ……」
そう言ったきり、楓は口を噤んで考え込んだ。
今朝とは違って本気で考え込んでいる真剣な眼差しだったので、追求せずに言葉の続きを待つ。
「例えば懐の広さというか、面倒見の良さみたいなモノは、私には持てないものを持ってるなぁと思うけどね」
(でも、それは長所ではない)とでも言いたげな、変な言い方だった。
「?それで良いんじゃないのか?」
「うーん、まあ大体はそうなんだけどさ。そういう人の行儀って、少し他人に対して緩い気がするんだよね。特に、仲が良い人に対して。
例えば、人を待つのが嫌じゃないからって、人を待たせていい訳じゃないでしょ?」
「……もしかして、無意識のうちに迷惑かけまくってた?」
「まあお互い様でしょ。私もアンタに死ぬほど迷惑かけてると思うし」
「おお、よく分かってんじゃん」
「……そういうとこやぞ」
「すまん、流石に今のはタチが悪かった」
「んで、話を戻すけどさ。今朝私が話した通り、長所と短所って隣り合わせなの。要は言い方次第で何とでもなるし」
「まあな」
「だけど、少なくとも人間関係にはもの凄く恵まれていると思うよ、お互いに。
家族とか、友達とか、身近で関わる人が全員まともって結構すごくない?」
言われて少し考える。
確かに、俺の両親も、楓の両親も、トシも凄く出来た人で、自分が心から尊敬できる人たちだと思う。
楓に対しても、まあ尊敬せざるを得ない部分は多くある。悔しいけど。
悔しい……でも尊敬しちゃう!!って感じだな。なんだそれ。
「なるほど、そこだけはどう考えてもプラスにしかならないもんな」
「めっちゃ捻くれた考え方をするなら、そのまともな人たちとの交友関係の一部を自分が奪っているともとれるけどね」
「発想が斜め裏返しすぎる」
「とまあ、個人的にはそう思ってるから。拓真も今度からそういう風に答えれば良いんじゃない?」
「なんかもの凄く言いくるめられたというか……結局俺は無個性のまんまじゃねーか」
「え?どこが?」
素で返された。
「楓と喋ってる時ならともかく、学校での俺は基本空気だろ」
「そーうなのよ!」
「どうした?幸せだから手を叩いたのか?」
「よく聞かれるんだよね、どうして相生くんと仲いいの?って」
「まあ聞かれるだろうな。何て返してるんだ?」
「そりゃあもう単純に私にも分からないって。でも、拓真と一緒にいると、楽しくなって、無性に胸が苦しくなって……そして身体中から発汗し、いつしか強い倦怠感に襲われるようになるんだよね」
「恋の病通り越して恋のガンだなそれ。しかもステージ3くらいあるよな」
「冗談はさておいて、私と喋ってる時の拓真って普段ともの凄い別人だよね」
「そりゃそうだろ。『僕の記憶すべて消えてんのに生まれ変わって本能的に赤の他人探しに行くの怖くね?』で30分間話盛り上がれる人間他にいないだろ」
「あれは面白かったね。君を見つけてどうすんの?初めまして?みたいな」
「まず目覚める条件が厳しいからな。12時を少し過ぎるころに叫ぶとかまず近所迷惑だもんな」
「転生先の両親も大変だよね。自分の子ども奇妙な運命持ちすぎだしね」
「てかまあその話もそうだけど、喋れる範囲が広すぎなんだよお互いに」
「まあそれはあるよね。ノリが狭すぎだし広すぎだし」
「もしかして、俺って楓に個性全部奪われた説ある?」
「……あれ、意外と反論できないかも」
「なるほど、つまり君はそういう奴だったんだな」
「いや、悪気があってやったわけじゃないんだよ?本当だよ?」
「つまりもっとタチが悪い奴な?」
「せや」
帰ってから思ったけど、
もし俺と関わってなかったとしても楓は個性の塊だった。




