5月10日
「佐藤さん、アメリカ留学って興味ありませんか?」
「はい?」
永遠に続くと信じていたゴールデンウィークが終わり、普通の学校生活が戻ってきたはずのある日のこと。
放課後の職員室に呼び出された私は、面談用の椅子に座りながら、突如として不思議な2文字を聞かされることになった。
留学?
学校内では聞いたことのない二文字に思考が停止して、思わず敬語口調を忘れてしまった。
「おっと、驚かせるつもりはなかったんだけどね」
はっはっはと笑う担任の先生は、冗談半分で話を持ち掛けているようだった。
アニメの悪役のような笑い方をわざわざしているのは、ちょっとでも雰囲気を和ませたいという本人なりの配慮なのだろう。
「毎年この時期から交換留学の募集を始めているのは知っているよね?」
「はい、掲示板で何度か見たことがあります」
締め切りが半年以上前に過ぎている去年度の張り紙を、何度か廊下で見たことはある。
無縁の話だと思ってたから内容なんて全く覚えていないけど。
「実は……今年の2年生の中に、留学に興味のある人があまり居なくて困ってるんだよね」
向かい合った椅子に座ったままで、こちらに耳打ちするように声を潜めて言ってきた。
周りに聞かれて困るような話でもないからあんまり意味はないと思うんだけど、ツッコむのも野暮かな。
「勿論、ウチの学校からじゃなくて、他の学校から希望者を募ればいいんだけど……
ほら、留学ともなると進学校の人たちとか、頭のいい人の方が行きやすいじゃない?」
「それは、まあ、そうですけど」
ただ単に旅行に行くのとは違って、留学ともなれば向こうで勉強をする必要がある。
英語を話すだけなら私立の学生の方が良いかもしれないが、バカな学生ではそもそも高校の知識についていくことが出来ない。
そう考えると、進学校であるウチから留学希望者を募った方が何かしら都合がいいであろうことは簡単に頷ける。
だがしかし、それで「はい、分かりました」と一言で頷けるものではない。
「補助金は出るから金銭面はそんなに心配しなくても良いけど、まあ直には決められないよね」
押し付けちゃってゴメンね、と謝りながら、先生は自分の机に積んであるファイルの中から『令和〇〇年度留学プログラム要項』と書かれたプリントを私に手渡してきた。
「家に帰ってからでいいんだけどさ、両親に一度だけ相談してくれないかな」
大の大人にここまで丁寧に嘆願されたとあっては、こちらとしても断りづらい。
「は、はい、分かりました」
されるがままにプリントを受け取り職員室を後にして、ようやく冷静な思考を取り戻す。
留学、かぁ。
もし本気で話したら、お母さんたちはどういう反応するんだろう。
『バカなことはやめろ!』と本気で怒られるか、『やってみたらいいんじゃない?』というあっけない推薦かの2択だとは思うけどどっちかな。多分後者よりな気がする。
拓真は、、どうだろう。結構応援してくれそうな気がするけど。
少なくとも、『行かないでくれ~~』なんで女々しく叫ぶようなヤワな男ではないからなぁ。
このあとの帰り道で話したら、どういう反応をするんだろう。
その時の呆れ顔を想像しながら、私は拓真の待つ教室に戻った。
「留学に行かないか?って誘われちゃった」
「……俺は定期的に楓に驚かされないといけない運命にでも嵌っているのか?」
何の要件で呼び出しを喰らったのだろうと思っていたら、予想の60度くらい上の答えが返ってきた。
「私を求める声がアメリカから来てるぜ!カモンベイビーアメリカ!」
「いやいやいや、ツッコミにくすぎるボケはやめてくれ」
「ボケじゃないんだな~これが」
楓が取り出した留学用のプリントには、ご丁寧に持ち出し禁止とまで書いてあった。
「日本人でも大変なのに、外国の方に楓のボケは拾えるのか?」
「大丈夫だよ。拓真のフォロー力は世界でも通用するよ」
「そんなとこまでグローバル化しなくていいからな?」
どこまで楓はこの話に乗り気なのだろうか。
本音より先に冗談が出てしまうせいでよく分からない。
「ちなみにさ、本当に留学行くことになったら応援してくれる?」
「楽しみにしてたらぶっ飛ばすし、本気で不安になってたら全力で励ましてやる」
「なにそれ。や~な天邪鬼だねキミは」
「考えてもみろ。異国の地で鎖を解かれた狂犬が暴れまわるんだぞ?
楓よりも、楓に振り回される人間の方が心配だわ」
「あれ、飼い主さんは付いてこないの?」
「楓が全部通訳できるなら考えてやらんこともないぞ」
「大丈夫?その冗談、私の力をもってすれば本当になっちゃうけど」
「確かにな。楓の素性は日本人に似た種族の異星人だし、異国の言語は得意そうだもんな」
「え!?ワレワレハウチュウジンダって冗談で言ってたつもりなんだけど……」
「よく考えたら宇宙人が(我々は宇宙人だ)って言うはずないよな」
「確かにね」
もし本気で楓と一緒に外国に行くならすごく面白そうなのだが、どう考えても命の危機が2.3度訪れる羽目になるのでやっぱりお断りしよう。
{現地マフィアの抗争だよ!特等席で見に行こうよ!}
とか言ってきそうだもんな。
「出発の日、搭乗口を前にした私を必死に呼び止める拓真の姿が!とかないの?」
「大丈夫か?その展開、需要も供給もないけど。むしろ俺の社会的信用がヤバいだろ」
「留学を台無しにし、学校の品位も自らの信用も台無しにしたのは、この男~~!!」
「代償デカすぎだろ」
「そこまでしても私を手に入れたいなんて、なんて私は価値のある人間なんだろう……」
「あ、その結論に飛ぶのね」
楓は自己肯定感の塊みたいな人間なので基本的に他者を貶めることはしないし、見たことがない。
ただし俺を除くけど。
そこだけは凄く尊敬できるし、一人の人間として素晴らしいと思う。
ただし俺を除くけど。
「じゃあどんな場面なら拓真の家族愛が見られるの?」
「焦っちゃいけねえよ、お嬢さん。そういうのはいざという時に取っておくもんさ。
能ある鷹は爪を隠すってね」
「私の方が能あるけどね」
「負けました」
何故楓の頭は良いのだろうか。俺にとっては史上最大級の謎。
「ケチん坊さんめ。愛情のバーゲンセールとかないの?大決算祭的な」
「悪いな。俺の愛情は安くならねえんだよ」
「そうだよね、売値が高すぎて誰にも買ってもらえてないもんね」
「非売品よりはマシだろ」
「むしろお金を渡して買ってもらうまであるよね」
「あれ?もしかして、俺ヒモになれない?」
「ヒモにはなれないけど、スネは齧れると思うよ」
楓との軽口を叩きながら、俺は少しだけ将来のことを考えていた。
「話が逸れたな。結局行くつもりは何%くらいあるんだ?」
「理屈的には80%。感情も込みなら2%。にぱっ!」
「どうした急に笑って。まさか2%とにぱっ!という笑い声とを掛けた高度な駄洒落なのか!?」
「あの、拓真が冷めてる時の煽りって意外と効果あるんだよ?知ってる?」
「知ってるさ。正論は人を傷つけるんだ」
「はい。私が寒いギャグを言ったのが悪かったです」
「まあ安心したわ、本気で留学行く気はサラサラないようだし」
「ん?なんで安心したの?」
「楓がここで留学を真面目に検討するような出来た人間じゃなくて安心したってこと」
「そうやって素の表情で冗談かまされるの、時々ホントに真に受けそうな時があるからやめようね?」
「記憶にございませんね」
「せめて善処はしようよ……」
いかんいかん、また話が逸れた。
いや、そもそも真面目に話す気があるかどうかも怪しいか。ちなみに俺はない。
「理屈上は80%もあるのか?」
「う~ん、もうちょいあってもいいかも。
誰とでも仲良くなれるから、人付き合いも問題ない。
学力も、まあ拓真よりある。
人生経験が積めて、より視野の広い人間になれる。
何が問題なんだろう?」
「それ、本気で言ってるか?」
「えっと……割と。」
「はぁ。真面目に答えるなら、留学のメリットがそれくらいしか思いつかないことが問題だな。
メリットとかデメリットみたいな理屈に自分の決定を縛られている時点でもうダメ。行きてえ!行くぞ!くらいの気合と覚悟が無きゃやってられんだろ」
「あー、、うん。拓真が言いたいこと、微妙に分かる気がする」
「ところで、人付き合いが問題ないって正気か?
ここ最近、毎日楓の愚痴ばっかり聞いてる気がするんだが」
「せいぜい貯め込んでも問題ない程度の文句ばっかりでしょ。いざとなりゃ拓真に電話すればいいし」
「楓さん、時差ってご存知ですか?」
「大丈夫。ちゃんと頃合い計って授業中に電話してあげるから」
「俺は何回仮病でトイレに行く羽目になるんだよ……」
「後で電話をかけ直せばいいでしょ」
「いや、授業より楓との電話の方が大切だろ」
寝ずに済むし。
「……うわぁ。」
「どうした?ついに自分が実は常識知らずであることに気づいたか?」
「拓真に一瞬だけドキッとしちゃった~~最悪~~
電柱よけようとして鳥のフン踏んづけるぐらい最悪~~」
「例えがドジっ子すぎるだろ」
いや待て、楓から電話がかかってきたら俺としても合法的に授業がサボれる口実になるかもしれないか。そんなことはないか。
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麻雀打ってきたのでこれから寝ます、おやすみなさい。