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長期休暇明けの教室は、いつもよりちょっとだけ騒がしい。
久しぶりに顔を合わせる者、休み中に何かを成し遂げた者、互いの思い出を持ち寄る者。
俺たち高校二年生にとって、今年の夏休みの終わりはこれまでと全く意味が変わってくる。
来年の今頃は、人生の大きな分岐点と言っても過言ではない。
その現実をまだ見ないようにしているのか、それとも向き合うために今はまだこの残暑を楽しんでいるのか、気持ちの持ちようは三者三様だろう。
そんな喧騒を肌で感じながら、俺は変わらず机に突っ伏している。
いや、変わらずってのは嘘だ。
俺と関わりのない人間からしてみればなんてことない教室の風景と化してる自信はあるが、横山や加古から見ると全然違って見えてるかもしれない。
「たくたくだー。花火大会以来だね〜」
「……その呼び方やめてくれ」
「かなかなと同じこと言ってる。花火大会のときは何も言わなかったのに〜」
今しがた教室に入ってきた滝が、リュックを背負ったまま俺の席の前で立ち止まっている。
育ちに育った二つの果実は、嫌でも目についてしまう。下から見上げるその光景はまさに圧巻だ。
本人は自身の魅力に気づいてないようで、わざとらしく頬を膨らませている。
花火大会のときも呼んでたのか? 覚えてないな。というか、その日のことは忘れてしまいたい……。
「鈴華さんおはよう。ギリギリだね」
「かなかなおはよお〜。今日寝坊しちゃって、慌ててたら私服で家出ちゃってさー、もう朝から大変だったよお〜慰めて〜」
「大変だったね。木葉も雅さんも心配してたよ、早く行ってあげたら?」
「うん、そうする〜」
朝から元気な奴だな……なんてその背中を見送っていると、奏が机の上にそっと手を置いた。人差し指の爪をたてコツコツ音を鳴らす。
恐るおそる視線を上げて奏の表情を見やると、優しげな笑顔を浮かべているではありませんか。
「……なんでしょう」
「とりあえず、ちゃんと座ろっか」
一ミリも表情を崩さない奏。しかし、机の音は速度と音をさらに上げていく。
表情と裏腹な指の動きに俺は慌てて身を起こす。
近くにいた男子グループもなぜか背筋を伸ばしていた。
「拓人君、どこ見てたの?」
「……ち、違うんだ」
「私はまだどこ見てたのって聞いただけだよ。何が違うのかな?」
「見たんじゃなくて、見えた……的な?」
「そっかそっか鈴華さんの胸大きいから仕方ないよね。拓人君も男の子だもんね。彼女がいるのに見ちゃうのは仕方ないよね」
「すみませんでしたっ」
言い訳が全然通じなかった。
怖いよ! そんな笑顔で机コンコンしないで!
「俺たちは彼女がいないからセーフだな」
「だな。香西は彼女がいるしアウト」
「社さんと付き合ってるのに目移りするとか考えられねぇな」
わざと聞こえるように好き勝手言いやがって……。お前らは見てたからアウトだろ。
心中でそう思いながら頭を下げていると、音が止むと同時に教室が静まり返る。
「拓人君の悪口はやめてね?」
「「「……すみません」」」
スッと細められた瞳は、男子グループ全三名を一瞬で黙らせる。
「社さんがこっち向いた」
「社さんが話しかけてきた」
「社さんが俺たちを認識した」
あの三人なんか喜んでませんか? 女の子に睨まれて喜ぶとか変態さんなのかな?
「まぁまぁ奏、香西が今更他になびくとは思えないでしょ。ねぇ?」
「そうそう。なんたって花火大会であんなことしちゃうんだから。ねぇ?」
「たくたく心地良さそうで羨ましかったよ〜」
「お前らまだいじるのかよ……」
正直この三人とは当分話したくないどころか顔も合わせたくなかったが、無慈悲にも学校は二学期を迎えてしまった。
絡まれないよう寝たフリをしていたのに……。滝はともかく、横山と加古のにやけ顔が何より腹立つ。
奏は二人のいじりに恥ずかしそうに前髪を触りながらも、満更ではなさそうな反応をする。
それがこの二人を喜ばせてるんだぞ奏……。
あの日俺は眠気に勝てず、あのままあそこで寝てしまった。
起きた頃には花火は終盤、いつの間にか斗季と横山、ついでに緋奈と和坂さんも同じ場所にいた。
「あ、拓人君起きた?」
真上から聞こえる奏の声。
柔らかな布の感触とその奥に感じる人の温もり。
寝返りを打つ俺の頭を奏は優しく撫でる。
「おはよ」
「……おはよう」
あれ……今どういう状況?
俺は寝転んでいて、奏は真上にいて、頭の下は柔らかくて……っ!
「す、すまんっ……! 痛っ」
状況を理解した俺は、バッと奏から離れた勢いで頭を地面にぶつけてしまった。ちょうど花火のクライマックスと重なり、背後では花火の散る音が響く。大きな歓声と拍手で会場は一体になった。
俺と奏を除いて。
「大丈夫⁉︎」
「お、おう……」
「あ、お兄ちゃん起きてる。どうだった? 膝枕の感触は」
「俺どんくらい寝てた?」
「私が来たときにはもうぐっすり。奏さんも動けなくなってて可哀想だったよ」
マジか……──。
なんてことがあり、その場その帰りに、俺は横山たちに散々いじられたのだ。
花火を楽しみにしてた奏にも迷惑をかけてしまった罪悪感に加え、膝枕の証拠写真も残されて俺の立場は過去最低だ。いや待てよ、一番下がさらに下にいっただけだから実質変わってないな。
「いじるなんて言い方はやめてほしいね。あんな公の場でイチャイチャしてたのはお二人でしょ?」
「い、イチャイチャだなんて……ね?」
「ぐっ……」
ここに来て俺と奏の弱点が露わになってしまった。
友人の少ない俺はいじりに耐性がなく、同じく友人の少なかった奏もこれをいじりだと思っていない。
奏が照れるから俺も怒るに怒れないんだよな……。
「はーい、みんな楽しいところごめんだけど席に着いてー」
俺を助けてくれるのはいつだって青倉先生。ほら、席に帰れ。しっし。
「奏あの写真スマホの待ち受けにしてるから」
「はぁっ⁉︎」
去り際に横山が放った一言に、自分でも驚くくらいの大声が出てしまった。
「香西君うるさい。罰としてこのプリント配って」
そして、俺を使いこなすのもいつだって青倉先生だ。
奏にはやめてもらうよう言わないとな……。二学期早々どうなってんだよ……。
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