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「お邪魔しました。楽しかったです!」
「また来てねー。これからも拓人のことよろしくお願いします」
「もうやめてくれ……」
時計の針が九時を指す前に俺の誕生日会はお開きとなった。
緋奈の機嫌が良かった理由も、奏からの連絡が少なくなった理由も、母さんと父さんの不自然な言動も、家で俺を出迎えてくれた奏のおかげで全て判明した。
「じゃあ拓人、ちゃんと奏ちゃんを送り届けるのよ」
母さんに釘を刺され、奏と二人住宅街の夜道を歩く。
「えい」
右手を襲う柔らかい感触。
指の間に滑り込んでくるぷにぷにしたものを優しく握り返すと、満足そうな吐息がすぐ隣から聞こえてくる。
「驚いた?」
「そりゃまぁ……」
「迷惑……だった?」
「いや迷惑とかじゃなくてだな……」
自分の家族と彼女が楽しそうに話してるのが、あんな居心地の悪いものだなんて……。
どこを好きになったんだとか、どっちから告白したんだとか、年甲斐もなくズバズバ聞いてくる母さんも母さんだが、正直に答える奏も奏なんだよなぁ。
そこが奏の魅力で、好きなところではあるけれど……とんだ辱めを受けた気しかしない。
「……ごめんなさい」
「なんで謝るんだよ」
「だって……拓人君怖い顔してたから」
「そんな顔してたか……?」
どうだろう。してたかもしれない。
怒ってるわけじゃないんだと肩を落としても、奏は怯えたように肩をすくめる。
弱々しいその姿に罪悪感が生まれたのは、言うまでもない。
今日のために色々準備して、料理も振る舞ってくれるような彼女に不満を抱けるほど俺は立派な人間だろうか。
いや違う。俺はクソ、底辺にいるクソ人間だ。
自分の気に食わないことで彼女に不安を与えてしまうくらいに。
奏が楽しめたのならそれでいいじゃないか。
戒めの意を込め太ももをつねる。
「すまん怖がらせて。今日はありがとな」
「拓人君の誕生日なのに私はしゃぎ過ぎちゃった……」
「母さんも父さんもお喋りだからな、疲れただろ」
「ううん、こう言うの……憧れだったから」
そう言った奏は、さっきまで家にいたことを懐かしむように遠くを見つめる。
つられて視線を追えば、雲ひとつない空にケーキのデコレーションのような星と、砂糖菓子みたいな少しかけた月が夜道を照らしていた。
月を見つめる奏はやけに絵になっていって、もしかしたらいつか月に帰ってしまうのではないか、そんな、お伽話みたいな妄想を掻き立てる。
「私ね、お母さんとお父さんがいないんだ」
ふとこぼした言葉に無意識に体が強張る。
手を繋いでいるので、奏にもそれが伝わったらしい。
「暗い話じゃないよ? 私が小さい時、交通事故で亡くなったんだって。だから二人のこと全然覚えてないの」
思い返してみれば奏が家の人の話をする時は、おばあちゃんやおじいちゃんがよく出てくる。
深くは考えたことなかったが、そんな背景があったのか。
「お母さんとお父さんがいたらこんな感じなのかなって、私の理想を勝手に拓人君のご両親に重ねちゃった。拓人君の誕生日なのに、私が楽しむなんておかしいよね」
「俺は……嬉しい。奏が楽しんでくれたなら。あと、奏のことが知れて」
「私も、拓人君のこといっぱい知ったよ。アルバムも見せてもらった」
「っ⁉︎ マジ?」
「マジ」
あの二人……奏に嫌われたらどう責任を取るつもりだったんだ……。
「私のも今度見せてあげるね。あんまり多くはないんだけど」
照れ臭い笑みを浮かべる奏。
その交換条件は魅力的で、今日のことなんてどうでもよくなってしまった。てかめっちゃ楽しみ!
「だから……その、私の誕生日、家に来てくれると嬉しい。ダメ、かな?」
「お、おう」
そうか、そうなるのか。
「奏の誕生日はいつなんだ?」
「12月12日だよ」
「覚えとかないとな」
バイトの休みを入れとくことを固く決意し、ぽつぽつ会話しながら夜道を行く。
久しぶりに手を繋ぐからなのか、その感触を確かめるように奏が指を動かすのがどうもくすぐったい。
人通りのある道に出るとその回数は一時的に減り、駅の南側に出れば名残惜しそうにまた指が動き始める。
そんな奏の横顔を盗み見ようものならすぐ目が合って、嬉しそうに微笑むもんだから恥ずかしくて反射的にそっぽを向いてしまう。
そんなことを何回か繰り返していると、電柱に貼ってあるポスターに目が止まった。
夏休みも残すところあと僅か。思い返してみれば奏と夏らしいことは何も出来ていない。海もプールも祭りにだって行ってない。これは毎年だった。
「あ、そうだ拓人君。今年の花火大会木葉達に誘われてて、拓人君も連れてきてって言われてるんだけど……明日って大丈夫かな?」
今しがた誘うはずだった花火大会を逆に誘われ、出かかっていた声が喉に詰まる。
「お、おう、大丈夫だ」
「よかったぁ。今日のことで頭がいっぱいだったから忘れてたよ」
二人じゃないのが残念だが、花火大会に奏と行けるならよしとしよう。ついで感がやばいけど。
横山のことだから斗季も誘ってるはずだ。連絡が来ないのは奏に気を遣っていたからだろう。
「拓人君……ちょっとだけいい?」
それから数分歩いた先で不意に足を止めた奏。目の前には見覚えのある公園。
あの日はたしか、奏と初デートの日だった。
夕日が沈みかけた黄昏時にあのベンチでプレゼントを渡したのは、昨日のことのように覚えている。
奏に手を引かれあの日と同じ場所、同じ距離で腰掛ける。
「改めて、お誕生日おめでとう。これプレゼント」
「おぉ、ありがとう。開けていいか?」
「うん」
包みを丁寧に解いていくと、中から出てきたのはブックカバー。
黒をベースとした生地にあしらわれる小さな白色の模様。
よく見れば一つひとつ猫の足跡になっていて、それを辿った先にいたのは、やはりあの猫のキャラクター。
「誰かにプレゼントするのって初めてだから何がいいのか全然わからなくて……。緋奈ちゃんに拓人君よく本読んでるって聞いたから、これにしてみたんだけど……どうかな?」
サプライズに加えプレゼントまで用意してくれる彼女になんの不満があるのか。奏が俺のために選んでくれたものならなんだって嬉しいに決まってる。
自信なさげな上目遣いに俺は何を思ったのか、奏の頭を撫でていた。
艶のある手触りは、今まで触ったことのない未知の領域。絹みたいに柔らかく綺麗な髪でとても同じ人間だとは思えない。
奏は、本当に月からやって来たお姫様じゃないだろうか。
「あ、あの、拓人君……?」
「ん? ……あっ、す、すまん!」
奏に名前を呼ばれ慌てて手を離してももう遅い。
髪は女の命ともいう代物だ。許可なく勝手に触られていい思いをするわけがない。
俺に触られたところに自分の手を重ねた奏は、目をぱちぱち瞬かせると一気に顔を赤く染め上げる。
「違うんだ。奏からのプレゼントが嬉しすぎて不安な顔なんてする必要ないぞって思ったらつい。その……すみませんでした」
髪型のセットとかしっかりやってそうだもんな……。乱されたらそりゃ怒る。
「わ、私、帰るっ! ここまで送ってくれてありがとう。ブックカバーちゃんと使ってね。拓人君も気をつけて、じゃあ!」
そう捲し立てた奏は、脱兎の如く公園を去って行く。
呼び止める隙間がないほどの速さだった。
「何やってんだ俺は……」
手元にあるプレゼントと、微かに残った奏の匂い。
今年の誕生日の最後は、俺らしい情けないため息だった。
更新遅くてすみません……。
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