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私は、天狗になっていたのかもしれない。
たしかに自慢できるほどの腕前ではないけれど、それなりに料理は出来るつもりでいた。
木葉、雅、鈴華の三人は、本格的な料理は全くしたことないと口を揃えて言い、もしかしたら私はほんのちょっとだけみんなより凄いのかな、なんて自信を持っていたのが今日の午前中までだった。
上には上がある。
この言葉を身に染みて感じることができたのは、私にとっていい経験なのだと、そう思いたい。
目下では目が覚めるような手際で次々に食材を切っていく緋奈ちゃんの姿がある。
仲直り大作戦の日に緋奈ちゃんの料理を食べさせてもらったけど、あのときのことは余裕がなくてあんまり覚えてないんだよね……。
身につけたエプロンは、私たちの好きなダル猫の絵柄があしらわれたもの。
この前遊びに行ったとき、和坂さんと三人で色違いを一緒に購入したのだ。
「どうかしました?」
私の視線を感じたのか、屈託のない笑顔で小さく首を傾げる緋奈ちゃん。
そうだ、緋奈ちゃんの包丁捌きに打ちひしがれてる場合じゃない。
今日は特別な日。料理の腕前は後日磨こう。
「え、えーと、この包丁使わせてもらっていいのかな?」
「はい。どれでも自由に使ってください」
香西家では八割方緋奈ちゃんが台所に立つと聞いた。
お母さんやお姉さんも料理をしないわけではないらしいけど、緋奈ちゃんのわがままを聞いてくれてると本人が嬉しそうに話していた。
そんな優しさが拓人君に似てて愛おしい。
あ、緋奈ちゃんの可愛さに溺れてる場合じゃない。
こうしてる間にもその時間は刻々と迫ってきている。
「お兄ちゃん絶対喜びますよ」
「だといいんだけど……」
夏休みも後半に差し掛かった今日。
緋奈ちゃんの協力を得て、私は拓人君にサプライズを用意している。
誰にでもある年に一度の記念日。
そう今日は、拓人君の誕生日なのです。
──一週間前。
『信じられません! お兄ちゃん誕生日にバイト入れてます!』
「私も昨日聞いたよ……」
高度を下げた夕陽が、住宅街の隙間から顔を覗かせる時間帯。
晩ご飯のお買い物帰りにかかってきた電話は、緋奈ちゃんからだった。
出るやいなや開口一番少しだけ荒れた声で緋奈ちゃんは言う。今緋奈ちゃんがどんな顔をしてるのか簡単に想像できちゃうな。
私は怒るというよりも、がっかりの方が大きくて何も言えなかったよ……。
拓人君の誕生日は、緋奈ちゃんからだいぶ前に教えてもらっていた。
勝手に誕生日は何の予定も入れないと期待していたけれど、拓人君は自分の誕生日を特別視してないみたい。
私も誕生日は、おばあちゃんとおじいちゃんと豪華な料理を食べるくらいで、身内以外の人と祝ったことはない。
元々友人がいなかったのもあるけど、祝われるということに対してどこかむず痒さがある。
そんな気持ちを察してなのか、おばあちゃんもおじいちゃんも一言「お誕生日おめでとう」と言ってくれるくらいで、盛大にお祝いってことは今までなかったような。
きっと拓人君も似たようなことを思ってるんだろうな……。
そう分かっていても、彼女として彼氏の誕生日を見過ごすわけにはいかない。
お付き合いを始めて初の記念日らしい記念日だからたくさんやってあげたいことあったのに……。
『奏さんお兄ちゃん誕生日の日って暇ですか?』
「あ、うん、暇だけど」
当日は祝う気満々だったから何の予定も入れてない。
「何かするの?」
『もちろんです。毎回誰かの誕生日はちゃんと祝うって決まってますから。だから私はお兄ちゃんのアルバイトに反対だったんですよ』
「そういえば、どうして拓人君はアルバイトしてるの?」
『高校生になったらやるって決めてたそうです。その報告が面接に受かってからだったんですよ! お兄ちゃんにしてはやり方が強引で驚きました。一応私は反対したんですけど両親が賛成してしまって……』
「そうなんだ」
アルバイトそんなにやりたかったのかな。
それにしても働きすぎのような気もするけど。この前だって体調壊してたし。
『あ、奏さんがやめるよう説得したらお兄ちゃんも考えるかもですね。そうしたらお兄ちゃんと過ごせる時間も増えますよ』
とても魅了的な話だとは思うけど……それだとただの私のわがままになっちゃうからなぁ。
「私からは言えないよ。拓人君頑張ってるから」
『そうですか……残念です。奏さんは、アルバイトしてみようとか考えたことないんですか?』
「校則で原則アルバイトは禁止されてるからね。出来たとしても、おじいちゃんが許してくれないと思うな」
その場面が簡単に想像出来ちゃうくらいアルバイトを許可してもらうのは難しい。
『禁止されてるのになんでお兄ちゃんはバイトを⁉︎』
「たしか担任の先生と生活指導の先生から許可があったら出来たんじゃないかな? 拓人君成績悪くないから簡単に許可もらえたんだよ、きっと」
『そうなんですね……。初めて知りました』
緋奈ちゃんにも話してないなんて、それほどアルバイトしなきゃいけない理由があるのかな?
『あ、話がだいぶそれましたね。お兄ちゃんの誕生日当日なんですけど、お兄ちゃん六時くらいには帰ってくるんですよ。それでですね、よかったら家でお兄ちゃんにサプライズしませんか?』
「サプライズ?」
『詳しい内容はまた後日決めるとして、バイト終わりに奏さんが家にいてくれるとお兄ちゃんも嬉しいと思うんです』
仕事終わりに家でお出迎え……。それってなんか夫婦みたい。
『奏さん?』
「っ⁉︎ あ、えーと、わ、私が行って大丈夫なのかな?」
『大丈夫ですよ。お母さんとお父さんも大賛成です。奏さんに会いたがってました』
「そ、そっか、じゃあお邪魔させてもらおうかな……」
『やったぁ! 今から晩ご飯の準備なので今日はこれで失礼します。くれぐれもお兄ちゃんには内緒でお願いしますね〜』
拓人君の誕生日を当日に祝えるようになったことは嬉しい……嬉しいけど──。
まさかご両親同伴だなんて……。
料理を進める私と緋奈ちゃんを見守るようにして、拓人君のご両親である詩さんと昇さんがダイニングテーブルに腰掛けている。
どうしよう、緊張で手が震えちゃう。
「昇さん、私夢でも見てるのかしら」
「詩さん、僕も同じ気持ちだよ」
「二人とも気が散るからテレビでも見ててよ。ね? 奏さん」
「え、えーと」
「えーいいじゃない、娘が一人増えたみたいで嬉しいの」
「僕も同じ気持ちだよ。あ、二人とも怪我には気をつけてね」
「はい、気をつけます……!」
「ごめんなさい。お母さんもお父さんも奏さんに会えてはしゃいでるんです」
私が拓人君の家に来るのはこれで三回目。
一回目、二回目のことを緋奈ちゃんがご両親に話したところ、すごく興味を持ってくれたみたい。
人見知りな拓人君と違いご両親とも気さくに話しかけてくださって、昨日から続いている緊張が少しだけ和らいだ気がする。
なんとかキャベツを千切りにし終え、お皿に移してからラップをして時計を確認。
午後四時を過ぎたばかりで、メインディッシュを作るにはまだ早い。
ちなみにメニューは、拓人君の大好物の豚カツです。
「そうだ奏ちゃん、拓人の昔のアルバム見るー?」
「っ! み、見たいですっ」
「ふふ、そうこなくっちゃね〜。最近はほとんど写真撮らなくなったけど、毎年誕生日には撮ってるの」
詩さんがテレビ横の棚から取り出した分厚いアルバム。
こ、この中に私の知らない拓人君がいる……!
更新遅くてすいません!
いつも待って読んでいただいてる方ありがとうございます!




