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 熱が治ってから数日たったある日のこと。

 午前中のバイトを終え家に帰ってくると、緋奈の置き手紙と一緒に昼飯代の千円札がテーブルの上に置かれていた。

 どうやら緋奈は学校に行ってて、母さんは友達とお茶らしい。

 スマホで済ませられるような連絡も、緋奈はこのように知らせることがよくある。

 女の子らしい丸文字と微妙に下手な動物の絵。これは多分ダル猫だろう。

 効率の悪いことかもしれないが、俺はこの一手間が結構好きだ。心温まるなんとも不思議な気持ちになる。

 わざとらしいこの丸文字も緋奈の器用さを持っての物。

 あいつ小六まで習字に通ってたからめっちゃ字上手いんだよな……。

 よく普段書いてる字面と別の字面がすらすらかけるもんだ。やろうと思ってできるもんじゃない。


「……仕方ない」


 いつもながら緋奈に対して劣等感を抱いた俺は、緋奈が描いたダル猫の下にそれよりも遥かに綺麗なダル猫を描いてやった。

 絵は、絵だけは緋奈よりも俺の方が上手い。

 そうやって妹にマウントを取りに行くこの小物感……情けなさすぎる。

 そんな自分にため息を一つしてありがたく千円を頂戴する。

 バイトがなければこんな暑い中買い物なんて行かないけど、すでに出歩ける格好なのでコンビニに軽食でも買いに行こ。

 そう思い家を出たと同時、スマホが着信を知らせる。


「もしもし」

『おぉ出るの早いね。久しぶり香西君』

「お久しぶりです結さん」


 通話口から聞こえる声の主は、(むすび)千夜(ちや)さん。新聞部の部長さんだ。

 特に親しい間柄でもないのだが、この人との関係はなかなか一言では表しにくい。


『今は何してるんだい? あ、今の彼女っぽくなかった?』

「……用がないならこれで失礼します」

『まだ挨拶しかしてないよ! 冗談が通じないなぁ』

「今後異性にそう言う冗談はやめた方がいいですよ」


 結さんからは、夏休み中ちょくちょく連絡が来る。

 いつも本題に入る前に、今回と似たようなことを言っては、冗談の一言で水に流そうとする。

 彼女がいる俺にとってはなんてことないやり取りだが、一昔前の俺ならドキドキして結さんのことを意識してしまう自信しかない。というか今も全然ドキドキする。

 全国の男子のために俺は声を大にして言わせてもらおう。

 冗談でも思わせぶりなことは言わないでね! と。


『嫌だなーこんなこと君にしかしないよ』


 それそれ、そういうの。

 暑さのおかげで元気が余計に吸い取られていく。


「で、用はなんですか」

『あーそうそう、進捗具合はどうかなって』

「進捗具合? なんのですか?」

『ジンクスだよ、フォークダンスの。頼んでたでしょ』

「あ……」

『その様子だと思いついて無いどころか忘れてたみたいだね』


 夏休み前、桜井女子学園との合同文化祭が本当なのかの調査と共に、文化祭の後夜祭で使うためのジンクスを考えるよう頼まれていたのをたった今思い出した。

 日々のバイトと思いがけない病に倒れてたので考える暇もなかったんですよね……。


「すいません忘れてました……」


 浮かんだ言い訳を飲み込んで、電話越しだがその場で小さく頭を下げる。

 すると結さんは愉快そうに笑って『大丈夫大丈夫』と、軽く流す。


『私も考えてるんだけどいいの思いつかなくてね。香西君はどうかなって思っただけだから』

「もう時間ないですよね」


 気づけば夏休みも残すところ二週間弱。

 おまじないの期限は夏休みが終わる一週間前と言われていたはずだから、残り一週間程度。

 時間はあるようでない。


『あ、そうだ。香西君今暇?』

「はい、暇ですよ」

『じゃあ今から駅前のカフェ来れるかな? 一緒にジンクス考えようよ』

「わかりました。足痛めてるんでちょっと時間かかるかもしれないですけど」

『そうなんだ。気をつけてね』

「はい、じゃあまたあとで」


 電話を切り、痛めている足に気を使いながら歩くこと十数分。

 流れる汗をハンカチで拭き取りながらカフェに入ると、窓際のテーブル席に座る結さんを発見した。

 結さんはこちらに気づいておらず、細い脚を強調するかのように脚を組み、自前のノートパソコンと睨めっこしている。

 私服のせいもあってか、高校生には見えないほど大人びていて、声をかけるのを躊躇してしまう。

 結さんの周辺だけまるで別世界のよう。心なしか周りの人も結さんから距離をとっているような気がする。

 そんな場所に突っ込む勇気はもちろん持ち合わせていないので、数メートル先にいる相手に短く『着きました』とメッセージを送る。

 どうやらそのメッセージはパソコンの方に届いたようだ。

 顔を上げ小さく手を振る結さんの席へ、俺は重い足取りで向かった。


「やぁ香西君、急に呼び出してごめんね。足の方は大丈夫かい?」

「あ、はい、大丈夫です……」


 この重さは痛みのせいではない。

 結さんの作り出す雰囲気と周りからの視線のせいだ。


「ん? どうしたんだいそんな緊張して」

「い、いえ」

「ははん? もしかして結お姉さんの美貌に見惚れちゃったかな?」


 そう言った結さんは、古臭いポーズと共に出来ているかも危ういウインクを披露。

 ははん? もしかしてこの人中身がちょっとあれな人だな? 外見に惑わされるところだったぜ。


「……よかったです。結さんがおかしな人で」

「あれ、なんか私の評価が崩れる音がしたんだけど」


 ほっとする俺の目の前で、結さんは変なポーズのまま固まっている。

 恥ずかしいので早くそれやめてください。


「そういえば、香西君はもうお昼ご飯食べた?」

「いえ、まだです」

「なら移動しようか。朝から何も食べてなくてお腹空いちゃったよ」

「朝からここにいるんですか?」

「そうだよ。家だと集中できなくてね」


 ささっと片付けを済ました結さんと一緒に店を出る。

 結さんの希望で近くの牛丼屋に入店すると、カウンター席に案内され席に着くなり結さんは、慣れた手つきで注文を済ませた。


「急がなくていいからね」


 そう言われても店員さんを待たせてるわけだしな……。

 メニューを見ても色々ありすぎて決めるのに時間がかかりそうだし一緒でいいか。


「えーと、同じのをお願いします」

「かしこまりましたー」


 足早に厨房に戻る店員さんを見送って水を一口飲んでから結さんに質問してみる。


「よく来るんですか?」

「まーね。一人で行動すること多いから」

「常連って感じがしてかっこいいですね」


 俺はそもそも外食自体そんなしない。

 常連になるほど通いもしないだろうし、同じ場所に来ても慣れない自信がある。

 憧れはあるが……俺には一生できないな。


「褒められるのは嬉しいけど、これくらい普通だよ。ほら」

「牛丼普通汁だくの豚汁セットで」


 結さんが目を向けたのは、ちょうど俺の向かい側の席。

 ベレー帽を被った同い年ぐらいの女の子がメニューを見ずに注文している。

 女性一人の客もいるんだな……なんて驚いていると、その女の子と目が合ってしまった。


「かーくん」

「っ! ひ、氷上か……」

「ありゃ? 知り合い?」


 相変わらず抑揚のない声と何を考えているのかわからない無表情。

 しかし、垂れ気味の瞳が俺と結さんとを行き来するのは、とてもまずい気がする。


「どうも、香西君の彼女ですっ!」


 最悪のタイミングで最悪の冗談をかましたやがったなこの人!


投稿遅くて申し訳ないです。


いつも読んでいただきありがとうございます!

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