鼻歌とコップ
昼休みになってすぐ、俺は、食堂にある自販機でいちごオレを買って飲んでいた。この甘さが疲れ切った脳に染みる。
結局、午前中は社に話しかけることができず、授業中もどうきっかけを作るか思案していたのだが、社に迷惑をかけず、自然に、それとなく連絡先を聞くのは無理だという結論に至った。
社は男を寄せ付けない。それは周りの連中も認識しているので、男の俺が簡単に近づけないのはわかりきっていることだし、一人になるところを狙っても、人の目を引く社には、常に監視カメラがいくつもついてるような状態だし、普通に連絡先を聞くのが恥ずかしいというのもある。つか、一番最後が一番高い壁だ。
姉と妹は言っていた。異性の方から連絡先を聞いてきた場合、教えるのは、イケメンか少しでも気があるやつだけだと。聞いたそのときは泣いたね。世界は平等じゃないんだって思い知らされた。
滅多に来ない食堂を景色に、ちょびちょびいちごオレを飲みながら、どうするか考える。
やはり横山にお願いするべきか。いや、どうやら幹事二人は、みんなのお財布事情を聞いたり、日程を調整してお店の予約とかしてくれているらしい。さっき招待されたグループでなんか話してた。人数も人数だし、大変だろうから、これ以上の負担はかけられない。
他の女子に頼むってのも考えたが、手間がかかる。状況を一から説明しないといけない。それに、変な勘ぐりをされても困る。
……あー、どうするか。今日中に聞いとくとか言わなければよかったぜ……。
「社来てないのか」
飲み干したいちごオレの紙パックを潰しゴミ箱に捨てて、もう一度食堂を見渡してみる。
俺が食堂に足を運んだのは、糖分が欲しかったのと、社がここに来るのではないかという考えがあったからだ。
昼休みになると教室からいなくなる社は、昼食をここでとっていると思ったのだが……どうやら違うらしい。
まぁたしかにここは人が多いし、他学年もいる。社にとってはいづらい場所だろう。
「ならあいつどこで飯食ってんだ……?」
楽しそうに誰かと飯を食う生徒たちが目に入る。
社が誰かと楽しそうに飯を食べるイメージが浮かばないな。男子は避けてるし、女子ともたまに喋るのを見かけるが、特定の誰かと一緒にいるところは見たことがない。
もしかしてあいつ友達いないんじゃ……。いやまぁ悪いことじゃないから俺が心配しても仕方ないか。
しかし、孤立気味なのは否めない。いじめとかこの学校に存在しないからその可能性はないとして、原因は……まぁあいつの態度だよな……。
男子を近寄らせない。それを見てる女子は、社ってそういう人なんだと印象を持つだろう。それでも勇気を持って喋りかける女子がいたとしても、会話が続かないのかもしれない。
人見知りってわけでもなさそうなのに……。昔になにかあったとか? あの美貌を持ってたら、色恋のトラブルが一個や二個あってもおかしくないよな。うん、ラブコメの見過ぎ! それに、トラブルが色恋だけとは限らない。
っておいおい、なんでさっきから社のことばっか考えてんだよ。いちごオレのせいで脳がピンク色に染まっちゃったの? それだとエロいこと考えてるみたいになるじゃねぇか……。
「そういやお茶忘れてたな」
ため息と一緒に考えていることを全て吐き出し、小銭を自販機に投入する。
連絡先を聞くまでの時間はまだある。勝負は放課後になるが、とりあえず今は飯を食べよう。腹が減ったらお腹が空くって言うしな。同じこと二回言っちゃったよ。
自販機でペットボトルのお茶を購入して、いつもは使わない非常階段を上って教室のある階を目指す。
教室からは遠いこの階段だが、食堂からは割と近い場所にあった。
食堂近くに続いているとは……新発見だ。一年の頃、斗季と学校探検まがいのことをしたのだが、言い出しっぺの斗季が途中で飽きて、全部は回りきれなかった。すぐ飽きるからなあいつ。彼女できない要因だろ。
なんてことを思い出しながら、階段を上り目的の階にたどり着く。
暗くて静かだ。そういやこの前ここに社と来たな。もう二個上の階だったか。
「……まさかな」
ほんの出来心だった。階段をさらに上って、屋上に続く踊り場に足を踏み入れる。
そこには、階段の一番下の段に腰掛ける社の姿があった。小さく鼻歌を歌いながら弁当箱を開けている。どうやら社は、こっちに気づいてないようだ。
「ふふーんふふーん、今日のおかずは昨日の残り〜」
膝に乗せた小さな弁当箱。足元にはしっかり水筒を置いて、万全の昼食体制を取っている。
もしかして、高一の頃からここで食べてるのだろうか……。あとおかずが気になる……。
「お茶っお茶っ、お茶ー……あっ」
絶妙にダサい鼻歌が中断され、カランっと軽い音が響く。水筒のコップでも落としたのだろうか。
手すりの下に身を隠しているため状況がわからない。おそるおそる顔を覗かせ様子を伺ってみる。
「えっ」
「あっ」
失敗した。がっつり目が合った。
お互いに小さな声をあげて身動きが取れない状況になる。野生の女子高生に会ったときはどう対処すればいいんだっけ……。
一度拾ったコップを、社はもう一度カランっと落とした。ころころと転がって、ちょうど俺の手が届きそうなところでその動きを止める。
「……うっす」
「……うっす」
「落し物だぞ」
「うっす……」
それ、気に入ってるのかな?
咳払いを一つして、綺麗な濃紺をした社の瞳から目をそらし、拾ったコップを社に返す。
「じゃあ俺……教室戻るから」
「ちょっと待ってお願い確認したいことがあります」
泣きそうなくらいか細い声でまくし立ててくるので、刺激しないよう小さく首を縦に振る。
「いつからいましたか?」
「ついさっきからだ」
「何か聞こえましたか?」
「……いや特に」
「そ、そうですか。では、さようなら」
「あ、俺も聞きたいことがあるんだけど」
「なんでしょうか」
「昨日の晩飯ってなんだったんだ?」
「っ! 香西君のいじわる!」
泣きそうな声だった社は、俺の質問で急に元気になった。耳まで真っ赤に染めて、いつもの社に戻っている。いやー、よかったよかった。本人は全然よくないみたいだけど。でも気になったんだよな、おかずがさ。
「わ、悪かった。まぁその、個性的でパーソナリティを感じる鼻歌だった」
「同じ意味だよ! 無理に感想言わなくていいから!」
まーた同じことを二回言ってしまった。
涙目で抗議してくる社が面白くて笑っていると、社はさらに顔を赤くしていよいよ本気で怒り出した。あ、すいません調子乗りました。
話題を変えようと、とっさに出してしまった質問に、俺は少しだけ後悔する。
「なんでここで飯食べてんだ?」
もしかしたら触れてはいけないものに触れたかもしれない。しかし、そんな心配は杞憂に終わる。
「香西君には関係ない! 暗くて静かなところが好きだからここで食べるだけ! 深い理由なんてない!」
怒りで冷静さを忘れてるな……。全部話してるよこの子。
「あのさ」
「なに」
「……俺も一緒に食べていいか? ここで」
冷静になる前に畳み掛けるか。俺の目的を果たすために。
「どうぞご勝手に!」
プンスカ怒った社は、コップ持ったまま階段を下りていく。多分洗いにいくのだろう。弁当は置いたままだし。
俺も社に続いて階段を下り、教室に弁当を取りに行く。
でもあれだな、今の状況で連絡先聞き出すとか無理じゃね……?
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