88
更新頻度がゴミです。ごめんなさい。
──涙を流しながら笑う姉は、まるで別人のような口調で俺に言った。
『もういいよ。何もしなくていい。私がお姉ちゃんになればいいだけだから』
あの後何があったのか俺は知らない。
ただ、あの日から姉は変わってしまった。
視線が。口調が。表情が。態度が。
それはきっと俺にしかわからない変化で、父さんも母さんも緋奈も気づいていない。
何であの背中を追いかけなかったのだろう。
何で手を掴んで引き止めなかったのだろう。
何でその場から動けなかったのだろう。
ずっと後悔している。
自分の無力さに、不甲斐なさに、弱さに。
俺はあの日から変われていない。だから姉さんは、戻ってこないんだ。
俺を置いて行ってしまったあの日から──。
「……はぁ」
日の光で赤く染まった天井に消えていくため息。
体調が悪いと見られる夢も悪くなるのだろうか。
余韻に浸る……と言うよりは、まだ脳が覚醒してないせいでぼーっと天井を見つめている。
息苦しいのは、鼻血を止めるために詰め込んだティッシュのせいだ。
額に貼った冷えピタもすっかり常温になっていて、あれから時間がたったことを知らせてくれている。
「あー、夢前川にお礼言ってないな……」
お昼のことが夢じゃなければ、夢前川はお見舞いに来てくれていたはずだ。
階段でこけた俺を受け止めてくれたのも、気付かないうちに足を痛めていた俺に肩を貸して部屋まで運んでくれたのも全部夢前川のはず。
あれは……夢前川だよな?
『……無理はダメですよ』
頭に浮かぶのは、あの声と感触。
普段の夢前川からは、とてもじゃないが想像できない行動だった。
あの行動の真意はわからないが、俺も夢前川も予期せぬことだったと言わざるを得ない。
俺だって階段からこけるつもりはなかったし、夢前川に至ってもまさか俺が落ちてくるとは思わなかっただろう。
つまり、あれは事故だ。夢前川も気が動転してあんなことをしてしまっただけ。そこに真意も意味もない。
「今何時だ」
そう結論づけスマホで時間を確認しようとすると、右手に違和感を感じた。
ぷにぷにで柔らかいすべすべな肌触り。そこから感じる熱は自分の体温ではなく誰かの温もり。
そこに目を向けてみると、誰かが布団に突っ伏している。
カーテンの隙間から入る光が照らすのは、綺麗な瑠璃色の髪。
それはまるで、俺の部屋に天使が舞い降りたのではないかと錯覚するほど馴染みのない光景だった。
「か、奏?」
その天使の名前を呼ぶと、眠りを邪魔されたみたいに小さく声を漏らして、髪と同じ色をした瞳が俺を捉える。
眠たそうなとろんと垂れた瞳。
寝ていたせいなのか髪も少し乱れている。
「……おはよう」
「っ⁉︎ お、おはようございます……!」
そんな無防備な部分を見られたのが恥ずかしいのか、耳を真っ赤にして俯いてしまった奏。
片手で髪を整えてからまたゆっくりと視線を上げる。
「何で奏が俺の部屋に? 夢?」
「夢じゃないよ。えーと、その、緋奈ちゃんに呼ばれて……。拓人君が熱だからって……ダメだった?」
「全然ダメじゃない。緋奈が無理言ってすまん」
無用な心配をかけまいと連絡しなかったのに……。
それも無駄な気遣いで終わってしまった。緋奈にちゃんと言っとかないとな。
「体調よくなった?」
「朝よりはましだと思う。ずっと寝てたからな」
「そっか、よかった。お腹は空いてる?」
「そう言えば何も食べてなかった」
無理やり食べようとしたフルーツ缶は食べれなかったし、夢前川が持ってきてくれたゼリーも口にしていない。スマホと一緒にリビングに置きっぱなしだ。
「緋奈ちゃんが色々準備してくれてるみたいだよ」
「おぉ、ありがたい」
ベッドの脇に座る奏の顔は近くて、寝転びながら見る彼女もまたこの上なく綺麗で可愛い。
ずっとこのままこの光景を眺めていたいが、寝たきりの体がそろそろ悲鳴を上げている。
起き上がるタイミングをずっと伺ってるんだけど……奏が手を離してくれない。
「か──」
「拓人君っ!」
「お、おう、なんでしょう」
俺の声は奏によってかき消され、またしてもタイミングを逃す。
そして離してほしいその手にギュッと力がこもった。
「昨日からだよね? 拓人君の体調が悪いのって」
「……気づいてたのか」
「ううん。気づいたのは緋奈ちゃんに連絡をもらってから。その……無理させてごめんなさい」
「いや奏が謝ることじゃない。勝手に無理したのは俺だし、体調不良の原因も全部俺だ」
「……怒ってない?」
「怒る? なんで?」
「私、理不尽に拓人君に当たってた。それがダメだったのかなって、だから拓人君私に連絡しなかったのかなって……」
「奏は全然関係ない。不規則な生活のツケが回ってきただけだ。それに奏、今日は家の手伝いって言ってただろ。邪魔になると思ったからしなかっただけだ」
「そっか。よかった」
なんの心配をしていたのかよくわからないが、ほっと胸を撫で下ろす奏は小さく微笑んだ。
そのまま握った俺の手を頬に当てて「早くよくなりますように」と、おまじないのように呟く。
「あ、えーと、これはね、おばあちゃんが昔からやってて!」
「そ、そうか」
「そ、そろそろ、緋奈ちゃんのところに行こっか。起き上がれる?」
そう言って俺の手を控えめに引っ張る奏。
その力を借りて体を起こすと、若干の頭痛が俺を襲う。
関節の痛みはほとんど引いてるし明日には治りそうだな。
これでまたアニメとラノベ生活に戻れる。
こうして人は過ちを繰り返すのか……。
そしてその瞬間は、すぐに訪れる。
熱に気を取られ足を痛めているのを忘れていた。
右足に走る激痛。よろめき倒れた先にいるのは、奏だ。
「「っ!」」
小さな悲鳴と、騒音。
一日で二回似たようなことが起こるとは……。
「すまん、かな──」
はっと息を飲む音が目と鼻の先から聞こえてくる。
これまでにないほど赤く染まった頬。
キュッと結ばれた唇に、艶かしく乱れた瑠璃色の髪。
潤む瞳の奥にあるのは、戸惑いなのか、恐怖なのか、それとも期待なのか。
吸い込まれそうなほど綺麗な瞳は、俺を捉えて離さない。
絡まった奏の手は、震えている。
俺たちはもう高校生だ。
付き合い始めてからもう三ヶ月がたとうとしている。
会話をして、デートをして、手を繋いで。
付き合いが長くなればそれ以上のこともこの先待ち受けていると、覚悟はしていた。
それが今……なのか?
こんな簡単で、半分事故で、泣きそうな彼女に唇を重ねていいのだろうか。
いや、きっと今じゃない。こんな形で俺は、したくない。
『奏さーん! 大丈夫ですかー⁉︎』
「「っ⁉︎」」
すごい勢いで階段を登ってくる緋奈の足音。
きっと倒れたときの音が下まで聞こえていたのだろう。
俺は足の痛みを我慢して奏から離れる。
奏もすぐ立ち上がって俺に背中を向けた。
勢いよく開かれるドアに俺も奏も肩をピクリと揺らす。
「あ、お兄ちゃん起きてる。何かあったの?」
「あー……俺がベッドから落ちただけだから大丈夫だ」
「え、それ大丈夫? 奏さんは……どうして壁の方を向いてるの?」
「お、俺があっち向いてってお願いした」
「なんで?」
「あっち向くのに理由なんているのか?」
「いると思うけど。お兄ちゃん熱で頭がちょっと残念になってるのかなぁ」
そう言って緋奈は、朝と同様にでことでことをくっつけて俺の体温を測る。
奏はまだ後ろを向いたままで安心した。
「お前手濡れてないか」
「今料理中だから。熱はだいぶ下がってるね。食欲ある?」
「食べる」
「よかったぁ〜。奏さんも食べて行きますよね?」
「あ、あーうん、緋奈ちゃんの料理楽しみ」
「よかったねお兄ちゃん」
「嬉しいのは緋奈の方だろ」
趣味が一緒で話が合うもんね!
「もちろん私も嬉しいよ。さて、料理に戻ろうーっと」
鼻歌を歌いながら部屋を出ていく緋奈。
残された俺と奏の間には、気まずい空気が漂う。
「拓人君、足も痛めてるの?」
「ま、まぁ」
「じゃあ一緒に行こ。肩に腕をまわしたら楽だと思うから」
「……すまん」
これは当分口聞いてもらえないのでは?
残りの夏休みの予定どうなるんだ……。
「次はちゃんと心の準備ができたときに……お願いします」
階段を下りる途中でそう呟いた奏。
残りの夏休みの予定どうしたらいいんだ……。
読んでいただきありがとうございます!




