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 久しぶりの感覚だ。

 体がふわふわして、まるで宙に浮いているような。

 自分の部屋なのに天井がずっと遠くにあって、ぐわんぐわんと視界が歪んでいる。

 妙に体が重い。関節も痛い。目の奥の違和感が凄い。

 枕元の時計は、まだ午前の六時前。

 決して早起きなわけではなくて、ただこの時間に目が覚めてしまっただけ。

 カーテンの隙間からは、早起きな太陽の光が差し込んでいて、漂う埃をキラキラ輝かせている。


「熱だな……」


 いつ以来だっけなぁ。

 中学? 小学生? それ以降は記憶が曖昧だ。

 どちらかといえば病気とは全く無縁の人生を歩んできた。

 大きな怪我もしたことがないし、虫歯だってできたことがない。

 これは遺伝なのか、父も母も姉も妹もみんな健康的な身体をしている。

 しかしそれも限界を迎えてしまったようだ。

 連日のバイト、徹夜、加えて猛暑。身体を壊すのにこれ以上の理由はいらないだろう。

 前兆らしきものはあった。

 昨日のデート中気づくとぼーっとしてたり、その帰りもやけに疲れが溜まっていた。

 病気をしないという油断と慢心。体力がない自分のステータスの低さ。

 風邪なのも相まってか、マイナスの思考ばかりが募っていく。


「とりあえず水」


 今日はバイトがある。

 昼まで寝て少しでも良くなれば、マスクでもしてバイトに行く。

 良くならなければ、休みの連絡をして、夢前川にシフトを代わってもらうしかない。

 やるべきことはこれくらいか。

 こんな状態なのに意外と冷静なのは、誇るべきことなのかもしれない。


「っ⁉︎」


 自分でも思った以上に重症のようだ。

 ドアを開けた瞬間視界が揺らいで、思い切りこけてしまった。

 全身が痛くてどこが痛いのかわからない。

 呼吸も荒いし、力も上手く入らない。

 このまま死ぬんじゃないか……なんて、極端な思考に陥った自分を軽く笑ってしまった。


「誰? こんな時間に大きい音立てて、びっくりしたよ」


 と、斜め向かいにある部屋のドアが開き、そこからひょっこり顔を覗かせたのは、妹の緋奈だ。


「お、お兄ちゃん! どうしたの⁉︎」


 廊下に寝転がった俺を見るや否や、部屋から飛び出した緋奈は俺の元へ駆け寄ってくる。


「すまん、起こしたか?」

「今ちょうど起きたとこだよ! それよりなんでこんなところで倒れてるの!」


 倒れてるなんて大袈裟な。ただこけただけなんだが……。


「ちょっとつまずいてな。どこも痛くないし、心配はいらない。大丈夫だ」


 重くてだるい身体に鞭を打って無理やり立ち上がろうとしたのが間違いだった。

 そのままよろけて壁に激突。ずるずると壁に体重を預けてへたり込む。

 それで様子がおかしいと勘付いたのだろう。緋奈は、すぐ隣で膝をつくと俺の顔を両手で押さえて、でことでことをくっつけた。


「熱い……。全然大丈夫じゃないじゃん」

「……手でよくない?」

「病人は静かにしてください。はい、戻りますよ病人さん」


 やれやれとため息をついた緋奈に力を借りて立ち上がった俺は、緋奈に言われるがままベッドの上にとんぼ返り。

 数分して部屋にやって来た緋奈の手には、水と体温計が握られていた。

 ありがたく水を頂戴して、昨日も奏に水を貰ったななんて呑気なことを考えていたら、緋奈がおもむろに俺のシャツを脱がそうとしてくる。


「体温測るだけなら別に脱がす必要ないと思うが……」

「服着たままだと上手く脇に挟めないから」

「それくらいなら自分で出来るぞ」

「いいの私がやる。病人は安静に!」


 何故俺は今怒られたのか。

 緋奈が持っている体温計が凶器に見えて仕方がない。

 これ以上何を言っても無駄だ。それに今は、言い合う元気も体力も底をついている。

 なのでここは素直に緋奈に従っておこう。


「はい手を上げてくださーい」


 楽しそうだな。俺は病人ですよ。

 上半身裸になった俺の脇に体温計のひんやりとした感触が襲う。体温が高いからなのか、その冷たさがやけに気持ちいい。

 数十秒もすれば体温計が測定完了の音を鳴らして、緋奈がその数値を確認する。


「39.4度だって。お兄ちゃん最近不規則な生活してたからだよ」

「……全くその通りです」


 ぐうの音も出ないとはまさにこのこと。

 机の上に積まれた新刊の山。夏休み中には読んであげるからね……。


「今日はアルバイトお休みしないとダメだよ。お兄ちゃんのことだから、ちょっとでもよくなったら行こうって思ってたでしょ。本もアニメも禁止だからね」

「わかってます」


 病人というより子供扱いされてるような気がしなくもないが、本格的に辛くなってきた。

 返事もそこそこに服を着直した俺は、まだ温かさの残る布団の中にもぞもぞと潜り込む。

 冷えピタや着替えを準備してくれた緋奈はいつのまにか制服にメタモルフォーゼしていて、どうやら俺は少しだけ寝てたみたい。


「すまん緋奈、朝っぱらから……助かった」

「これくらいは妹の務めだよ。本当は一日中看病してあげたいけど……今日はどうしても外せない用事があるの。でも、なるべく早く帰ってくるからね!」

「おう……。行ってらっしゃい」


 緋奈が部屋からいなくなると、急に心細くなる。

 父も母も今日は仕事で、姉も昨日から旅行に出掛けた。

 別に一人が嫌でも怖いわけでもない。むしろ好きだし、愛してるまである。

 いつもの俺ならこの状況を楽しめるのだが……病気になると心身共に弱るらしい。一人がすごく寂しく感じてしまう。

 枕元のスマホのトップ画面は、奏との初デートで撮った写真。

 寂しさを紛らわすために昨日のデートの写真を見返したり、メッセージのやり取りをスクロールして眺めてみる。


「奏がいてくれたらな……」


 病気も悪くない、なんて。


「あー、夢前川に連絡しないと」


 変な妄想する前に現実を見なければ。

 友達の欄から夢前川の名前をタップして電話をかける。

 まだ朝早いし繋がらないかもな、なんて心配してたが2コールで繋がった。


『も、もしもし』

「すまん朝早く。もしかして寝てたか?」

『い、いえ、ちょっと前に起きてました』

「おー、よかった」

『何か用ですか? それと、声がいつもと違う気がしますけど』

「実はな……」


 熱になったことを簡潔に説明して、バイトを代わってもらえないかと相談したところ、どうやら今日は夢前川もシフトに入ってるらしい。


『ちゃんとシフト確認してください』

「すまん……。まぁそういうことだから、多分今日は一人になると思う」

『わかりました。わざわざありがとうございます。私から的形さんには連絡しておくので、先輩は早く休んでください』

「すまん……助かる」

『いいですよ、これくらい。じゃあ……また』

「おう、またな」


 これでやるべきことは終わった。

 今日はもう大人しく寝てよう。

 緋奈、早く帰ってこないかな……。



 ※※※


「香西先輩なんですけど、熱でバイトを休むそうです。辛そうだったので私が代わりに」

『了解した』


 先輩との電話が切れてからすぐに、私は的形さんに連絡した。

 社員の人たちは朝早くから働いていて、この時間にはもう開店準備は終わってるはずなのでいいタイミングだった。

 それだけを伝えて電話を切るだけなのに、私の口はこんなことを聞いていた。


「あの、香西先輩の住所教えて下さい」


読んでいただきありがとうございます!


ブクマ、評価感謝です!

誤字報告毎回ありがとうございます。

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