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暦が八月になり、うだるような暑さが続く今日この頃。
昼前の日差しがアスファルトを照らせば、遠くに陽炎を漂わせ視覚的にも暑さを感じさせる。
夏になると駅前に設置される水のミストを噴出する機械の前には、スーツ姿の人、子供連れの人、部活帰りの中高生がバスの到着を涼みながら待っていた。
そんな人たちを横目に駅の構内に足を踏み入れる。
吹き抜けになっている構内は適度に風が入っていて、日向よりは幾分マシな涼しさだ。
夏休みとはいえ平日。人もそこまで多くない。
だから、集合時間の一時間前なのにもう集合場所にいる奏を見つけるのは難しくなかった。
「……うっす。お待たせ」
一瞬だけ目を輝かせた奏だったけど、思い出すようにしてぷいっとそっぽを向く。
そんな奏の態度に軽く傷つきながら、胸の前にあげた手を俺はゆっくりとさげた。
あの日の電話以降、奏のご機嫌がよろしくない。
連日のバイトで会えないのに加えて、電話のタイミングやメッセージのやり取りがうまいこと噛み合わないのが要因だろう。
長期休暇に入り完全に夜型になってしまった俺の生活リズムは、規則正しく生活している奏と最悪の相性と言ってもいい。
緋奈にも毎日注意されてるけど……積んでる本とアニメがあるんだよなぁ。
今日のために昨日の夜は早く布団に潜ったが、楽しみで結局寝る時間は変わらなかったし。
元々体力がないおかげで、妙に体が重い。
「拓人君」
「ん?」
「大丈夫? ちょっと顔色が悪いけど」
怒っているはずなのにそんな気遣いをしてくれるってことは、愛想を尽かされたわけではないようだ。
近くで見る奏はやっぱり可愛くて、こんなに暑いのに汗一つかいていない。
暑さを和らげるためなのか髪型はポニーテールで、前髪を編み込んで横流しにしている。
会うたびに見たことない奏の姿を見れるのはこの上なく幸せであり、こんな子が彼女なんだと嬉しい反面、俺なんかがこんな子の彼氏でいいのだろうかという不安がどうしても拭いきれない。
「昨日寝るのが遅くなったからだな」
「もう。緋奈ちゃんに注意されてるの知ってるよ」
じとっとした視線に苦笑いを返すと、カバンの中から水を取り出して俺に差し出してくれる。
緋奈のやつ奏と仲良くするのはいいけど、余計なこと言ってないだろうな……。いやもう言ってるなこれ。
「暑いんだから体調管理はちゃんとしなきゃダメだよ」
「……すまん。お金は返すから」
「いいよ、それくらい」
受け取った水はまだ冷たくて、さっき買ったばかりのものだろう。
それにしても今日は本当に暑い。
小さい頃はこの暑さの中を平気で走り回って遊んでいたんだから、若いって素晴らしいよね。
大きくなるにつれてそれが少なくなっていくのは、出来ることと考えることが増えるからなんだろう。
そんなことを考えながら捻ったキャップはすんなりと空いて、冷たい水が喉を潤せば体全体に染み渡る。
「……あっ」
と、目の前で小さく声を上げた奏。
カバンの中から出てきたのは、俺が今持っている水と同じものだった。
奏がペットボトルのキャップを捻ると、カチっと音がする。
ゆっくりと顔を上げる奏の耳は、日焼けしたてみたいに赤い。
「どうした?」
「そ、その水……私の」
指さしたのは俺が持っている水だ。
「っ⁉︎ すまん気づかなかった……」
「ううん! 私も、その、間違えちゃったから……」
結構飲んでしまったんですけど。というか、俺が飲んだものを返すのはダメだよな。
「そっち新品だろ? 交換でいいか?」
ちらちらと視線を泳がしながら頬を染めていた奏だったのだが、俺がそう提案するとピタリと固まってしまった。
赤らんだ頬はさっと引いていき、またしてもそっぽを向かれてしまう。
あれ、嫌だったのかな……。
「か、奏?」
「……もう電車の時間だよ。早くいこっ」
先に改札へ向かう奏。
その背中を追いかけた一歩でよろついて、ペットボトルを落としてしまった。
なんてみじめなんだ……。
「拓人君の鈍感っ」
それから奏が口を聞いてくれるようになったのは、電車を降りてからだった。
久しぶりのデートも終わりが近づいて、あれだけうるさかったセミもポツポツと声を休ませ始めている。
駅に向けた足は、この時間を惜しむように自然と重くなって、繋いだ手も強力な磁石でくっついたみたいに離れようとしてくれない。
少しだけ力を入れれば、それに応えるように奏も握り返してくる。
「ごめんな、上手いように時間取れなくて」
「それはしょうがないよ、バイトが大事なのもわかるから。それでも……寂しいのは寂しいけどね」
眉尻を下げて小さく笑う奏。また握る手が強くなった。
「あの……拓人君。その、答えたくなかったら答えなくていいんだけど!」
「お、おう」
「ご、ごめんなさい、声が大きくなって……」
正直めっちゃびっくりしたけど、そんな前置きをされるとなにを聞かれるのかが気になる。
「その……バイト先の後輩さんって、どんな子なのかなって」
「あぁ、電話で声聞こえてたもんな。そうだな……仕事熱心で真面目なやつって印象だ」
「その子は、拓人君に彼女がいるって知ってるの?」
「うん、教えたから」
「そ、そっか。なら、いいんだけど」
そう言いつつも、どこか不服そうな奏の横顔。
よくよく考えてみれば彼女がいるのに他の女の子と二人きりって……ダメじゃない?
もしも奏の機嫌が悪い理由がそれだとしたら……。
「あ、あれだぞ、別に何もないからな! 俺は奏一筋だし、それ以外眼中にないというか、奏しか見てないというか!」
急な焦りでそう捲し立てると、前髪を触りながら「うん」と小さく頷いた奏。
今日一日一緒にいて、一番の笑顔かもしれない。
「すまん……気づかなかった」
「ううん。拓人君と会えなくてちょっとだけ気が立ってただけだと思うから。友達なら大切にしないとダメだもんね」
「いや、友達じゃないぞ。そこまで仲がいいわけじゃないしな」
あくまでバイト先の後輩。
夢前川も俺のことなんて友人とすら思ってないはずだ。
むしろそれくらいの関係性の方が、俺と夢前川にとっていいまである。
「そ、そっか。安心な反面、複雑な気持ちも少なからずあるよ……」
奏の不安が解消できたならよかった。
今後は、夢前川との付き合い方も考えていかないとな。
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