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「付き合ってくれてありがとうございました」
「おう。気をつけて帰れよ」
コンビニを出て、改札前に着くと夢前川は頭を下げた。
あれから俺たちは、一言も喋ることなくただただ座って時間を過ごすだけだった。
結局、夢前川は何を確認したかったのか。
聞かれたことなんて彼女がいるかくらいで、わざわざ時間を取ってまで聞くようなことでもない。
恋愛に興味がないと豪語している夢前川なら尚更だ。
改札を抜ける夢前川の背中は、心なしか元気がないように見える。
夢前川は、決して明るいタイプの人間ではない。
積極的に誰かと話したり、みんなでわいわいするのもあまり得意ではないようで、バイトの休憩時間は俺と同じくあのスペースで休憩している。
そう言った部分は、どこか俺に似てるかもしれない。
本人に言ったら納得いかなくて罵られそうだな……。
まぁ俺が勝手に思うだけならタダだ。
そんな夢前川の背中が小さく見えた。先輩としてほっとけない。
「何かあったらまた相談しろよ。合コンは助けてやれなかったからな」
冗談っぽく、軽い気持ちで発した言葉。
先輩の助けなんていりませんよ。調子に乗らないでください。変なこと言わないでください。
そんな風に文句を言われて、いつもみたく睨まれるんだろうなんて思っていた。
でも、振り返った夢前川の表情はいつになく憂いを帯びていて、弱々しく潤んだ瞳は、こぼれそうな何かを必死に我慢してるように見えた。
「……本当ですか? していいんですか?」
「お、おう。夢前川は、後輩だからな」
「そう、ですか……。私は先輩にとって後輩でしかないんですね」
と、一度視線を足元に落とした夢前川は、目元を拭って顔を上げる。
「先輩、これは警告です」
「お、おう……?」
ビシッと俺に指をさしてクールな夢前川からは想像できないような笑顔で、彼女は言った。
「これから私は、先輩にたくさん迷惑をかけます。ずっと、ずっと……私が満足するまで。いいですか!」
「は、え? どういう──」
「いいですか⁉︎」
有無を言わさない迫力ある。
でもそれはどこか吹っ切れていて、元気が溢れていて、ずっと隠れていた夢前川の子供の部分がひょっこりと顔を出したような、明るいものだ。
「返事は!」
「は、はいっ」
勢いに呑まれて……というか、拒否することなんてできない場面だった。
首を縦に振った俺を見て夢前川は、満足そうに楽しそうに笑う。さっきまでの憂いを帯びていた表情が嘘のように。
……元気になったってことでいいんだよな?
「……夢前川もそんな顔するんだな」
「っ! い、いいじゃないですか別に! それともあれですか、私が笑ってたらおかしいですか⁉︎」
「そ、そこまで言ってないだろ」
「なら余計なこと言わないでください!」
「ごめんなさい……」
赤くなった顔を誤魔化すように咳払いをする夢前川は、「全く先輩は」とぐちぐち小言を口にしているようだ。
改札の向こう側だし、後ろを向いてるから何を言ってるかは聞こえない。
いつもの夢前川で心が落ち着くぜ。
なんて思っていると、ポケットのスマホが着信を知らせる。
こんな時間に電話してくるのは緋奈くらいだ。
帰るのが遅くなる連絡はしてあるが、さすがに遅すぎたか……。
しかし、取り出したスマホの画面に表示されたのは社奏の名前。
どうだんだろうこんな時間に。
「電話出ないんですか?」
「あ、いや……」
夢前川の前で堂々と電話に出るわけにもいかない。
後輩の前で彼女と電話するとか恥ずかしいし。
そんな考えが顔に出てたのか、夢前川は気まずそうに頬をかく。
「もしかして……彼女さんですか?」
「ま、まぁ、うん」
「出たらいいじゃないですか。私もう帰りますし」
「お、おう。じゃあな」
「はい」
軽く手をあげて小走りに改札から離れる。
長いコールだったが通話ボタンを押すと、ちゃんと電話は繋がってくれた。
『も、もしもし、拓人君? バイト中だった?』
「いや、バイトは一時間前くらいに終わったけど、ちょっと人と話してて」
『そうなんだ。邪魔しちゃったかな』
「大丈夫だ。丁度終わったところだったし」
『そっか、それならよかった』
電話越しでもほっと胸を撫で下ろしたのが伝わってくる。
奏は電話のときも、まるで目の前で対話してるかのように話してくれる。
それほど俺との電話を楽しんでくれているなんてと、勝手に舞い上がっている。
『そ、それでね、用事なんだ──』
「拓人せんぱーい! また明日!」
階段の一段目に足をかけた瞬間だった。
後ろを振り向くと、両手を口元に当ててこっちを見ている夢前川の姿があった。
ここは駅だ。人が少ないとはいえ、あの夢前川がこんなところで大声を出すなんて。それに、今名前で呼ばれたような。
気になって様子を見に来た駅員さんから逃げるように、夢前川は踵を返してホームへと消えていく。
一体なんだったんだ……。
『拓人君、今のって……?』
耳に当てたスマホから困惑の声が聞こえてくる。
「い、今のは、バイトの後輩で」
『話してたのって……女の子?』
「そ、そうだけど」
『……ふーん。二人っきりで?』
二人っきりって言い方だとなんかやましいニュアンスになるが……そうなるのか……。
「そう、です」
『…………ふーん』
「奏?」
『……』
「か、奏さーん?」
『…………』
電話を切られたのかと画面を見てみても、通話時間は一秒また一秒と進んでいる。
スマホからは奏のわずかな息遣いと、布団の上にいるのか布の擦れる音。
もしかして……怒ってる?
それから家に着くまで奏の名前を呼び続けても、返事をしてくれることはなかった。
※※※
我ながらどうしてあんなことをしてしまったのかと、羞恥で体が溶けそうだ。
まばらに人がいる車両。
席は空いてるけど、たった一駅なのでいつも座らずにドアの前を陣取っている。
電車は進んでいるはずなのに、景色はずっと変わらない。等間隔の照明が左側に走り去っていく。
「なんで私、あんなこと」
窓に映る自分に問いかけても答えはない。
だから次は自分の胸に聞いてみる。
ドクドクと脈を打つ心臓は、強くて、早くて、苦しいと感じる。
電話する先輩の横顔……。
先輩もあんなに嬉しそうな顔するんだ。
改札を通り抜けるまで私は、何もする気はなかった。
先輩のことは好き。でも、先輩には彼女がいる。
なら私が何をしても先輩は絶対に振り向かない。
私は先輩にとってただの後輩で、ただのバイト仲間で、恋愛対象ですらない。
なのに……先輩は私に優しくする。
喜んでしまった。別れ際、声をかけてくれたことに。
そんなのずるい……ずるいよ。
「……先輩が悪いんですよ」
始まるはずのなかった私の恋。
結末なんて目に見えてるのに、最後には絶対笑えないってわかってるのに、止められなかった。
だから先輩、私が満足するまで、迷惑に付き合ってくださいね?
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