交換
頬を撫でる風が暖かくなってきた。お天気お姉さんが言っていた通り、今日の天気は雲ひとつない快晴だ。
ついこの間まで綺麗なピンクを揺らしていた木々も、今は新緑に染まっている。
こんな風に静かな変化を楽しめるのは、窓際の席にいるやつの特権だろう。
頬杖をついて、うつらうつらしているのは、昨日夜更かしをしたせいだ。いや、0時過ぎてたから実質今日か。
と、深夜のノリを一人繰り広げ、かろうじて寝てしまうのを我慢しているのは、ある人が登校してくるのを待っているからだ。いつもなら全然寝てる。
ちらちらと教室の出入り口を気にしていると、なんか恋をしているみたいな気持ちになる。これが女子なら可愛いなで済むんだろうけど、男子だとすこぶる気持ち悪いのはなんでだろうね。待ってるのが男子なら一部の人に評判がいいんだろうな……。
つーかまだ来ないの? もうすぐ予鈴なるんだけど。疲れたというか、眠たいというか、もう帰りたいというか……。なんで学校って着いたら帰りたくなるん?
頬杖のまま少し首を動かして視線をドアに向ける。
視界の端では、社が学級日誌に何かを書き込んでいるのが見えた。
毎日社にやらせるのも悪いな。授業の感想とか考えるのめんどくさいだろうし、一週間交代にした方がいいのかな……。
そんなことを考えていたら、不意に顔を上げた社とバッチリ目が合った。
「……うっす」
絶対聞こえてないだろうが、小さく呟いて頭を下げる。すると社は、ニコッと笑って、うっすと口パクで俺に挨拶をしてくれたような気がした。胸の前で可愛らしく握りこぶしを作ってたから間違いない。
ずっと社を見てるわけにはいかないので、照れと恥ずかしさを隠すため、さっと視線を外して、ドアの方を見やる。そこには、膝に手をつきながら肩を上下に揺らしている女子生徒がいた。
橙に近い茶髪のショートボブをツインテールにして、制服をオシャレに着崩している彼女は、我がクラスの文化委員、横山木葉である。そして、俺の待ち人でもあった。
「ッセーフ! ギリギリだったー」
「うっわー、木葉来ちゃった! 私のジュースが」
「じゃあ今日の昼ジュース奢りね」
「ちょっと私で賭け事してないで、スマホにモーニングコールちょうだいよ!」
人の目を気にせず大声で話す横山とその友人たちは、言ってしまえば、このクラスの中心的存在。社とは別の意味で目立つ人たちだ。
特に苦手なわけでも、嫌いなわけでもない。ただ相容れないだけ。水と油みたいなもんだ。いやでも水と油って実際はちょっと混ざってるとか言うやつの方が嫌い。お前のテレビとかネットで拾った知識とか誰も聞いてないから。
微妙な時間だし、要件は後回しにするしかないか。今は友人たちと雑談中だし。てか、カバンくらい置いたらどうなの?
余計なお世話だなと思いつつ、鼻から息を吐いて机に突っ伏す。机のひんやり感がたまらなく好き。
数秒して、そのひんやりが失われ始めたタイミングで、肩をバシバシと二回叩かれた。
「ちょっと、さっきまで起きてたのになんで寝ちゃうの。とっきーから話聞いたでしょ?」
顔を上げると、横山が怪訝そうに腕を組んで、俺を見下ろしていた。いやあんたが友人と話してたから気を使ったんだけども……。
しかしそれは、俺が勝手にやったことで、横山には関係ないことだ。マジ損した。
けどね横山さんよ、叩く力強すぎませんか? 肩がちょっと痛いからもっと優しくしてね!
「す、すまん。斗季から話は聞いてる。横山がこのクラスの幹事してくれるなら、そっちに任せるけど」
「うんおっけ。じゃあちょっと連絡先教えるから登録しといて。これQRコード」
「了解っす」
なんで俺が、仲良くもない横山と連絡先を交換する羽目になっているのか。それは昨日の体育の授業で斗季が言っていた、『いいこと』のせいだ。
バイトが終わり家に帰った俺のスマホには、斗季からメッセージが数件送られてきていた。
『拓人、相談だ』
『俺のクラスと拓人のクラスで親睦会をすることにした。こっちの幹事は俺がやるけど、そっちは横山さんに任せようと思ってる』
『横山さんグループ作ってくれたみたいだから連絡先交換して拓人も入れてもらえな』
『横山さん、社さんの連絡先知らないみたい。拓人知らん?』
もうほとんど決まってるじゃねぇかよ……。これは相談じゃなくて事後報告なんだよな。別にいいんだけど。
俺が横山を待ってたのは、連絡先の交換をするためなのと、もう一つ知らせなければならないことがあるからだ。
「あと、俺も社の連絡先知らん」
「え、マジ? 仲良いから知ってんのかと思ってた」
「いや仲良くないし……」
「へ? だって社さん……まぁいいや。じゃあさ、聞いといて、社さんの連絡先」
「俺より横山の方がいいだろ、社、男子と話すの苦手だろうし」
「いや私幹事でやることいっぱいあるから。それくらい香西がやってよ。つーか日誌も毎日社さんに書かせるのどうかと思うんだけど?」
「それな……」
クラス会に関しては、斗季に丸投げしたし、横山にも丸投げしたな。日誌にしても、社は俺より学校に来るのが早いから、教室に着いたら社がもう持ってるし……。
チラリと社の方を見ると、社もこっちをじっと見ててなんか気まずくなる。お前は私に日誌を書かせて女子と楽しくおしゃべりですか? と言われた気がする。
「……わかった。今日中に聞いとくから、クラス会の方はよろしく頼む」
「任せて。てかあれだね、何気に香西と話すの初めてかも」
「同じクラスになるのが初めてだからな」
「香西って普通に話せんだね。いつも寝てるから暗いやつだと思ってた」
「明るいやつではないな。それであってるぞ」
暗いか明るいかの二択だからな。いや、人間の性格は二択じゃないか。
適当に相槌を打っていたら、ケタケタと腹を抱えて横山が笑いだす。横山も目立つから周りのやつの視線が痛い。
「じゃあ頼むね」
そう言い残して横山が自分の席に座って間もなく、予鈴がなった。
クラス会のことはきっと、斗季や横山経由で、クラスのやつらはみんな知ってるだろう。知らないのは、社くらいか。
来ないにしても、知ってて来ないのと、知らなくて来ないのとでは気持ちの持ちようが全然違う。前者だと誘ってくれたのに用事があって行けないごめんという罪悪感があるし、後者だと俺誘われてないし俺抜きでなんで外食とかしちゃうん? ってなるしな。俺がバイト始めてから外食が多くなってませんか?
我が家の話はどうでもよくて、社の耳には入れておかなければいけない話ということだ。
ただ、そう簡単なことじゃないんだよな……。堂々と社に話しかけるわけにもいかないし、一人になる瞬間を見計らうのも普通にきもいし……。
息を吐いてどうするかと考えながら、もう一度社の方を見る。
「日誌のこともか……」
日誌を広げて、止まっていた手を動かしている社に聞こえない声で、俺は呟いた。
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