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目の前に並ぶのは、緋奈が作ってくれたカツ丼と昨日の残りのみそ汁。
準備してくれたのは緋奈と和坂さんで、俺と奏は「座ってて」と二人に言われて、大人しくそれにしたがった。
奏は「手伝うよ」と食い下がったが、緋奈はそれを許すことなく淡々と調理を始め、あっという間に料理が出来上がった。
待っている間、お通夜みたいに静かにしてたぜ……。
「私の分まで。ありがとう緋奈ちゃん」
「気安く名前を呼ばないでください。一人だけないのもおかしいから作っただけです」
つーんとそっぽを向く素直じゃない妹に、正面に座る奏がぎこちない笑顔を浮かべる。
初対面の相手に緋奈がここまで嫌悪感を滲ませるなんてことは、もちろん見たことない。
性格で言えば、それこそ緋奈と奏はそっくりと言ってもいい。
素直で嘘がつけない。正義感があって、優しい。
俺にはもったいないほどの妹と彼女なのだ。
「まぁまぁ緋奈ちゃん、せっかくのご飯が冷めてしまいますから早くいただきましょう」
「そう、だね」
「すいません奏さん。今日は、私が緋奈ちゃんと料理したいとお願いしていたんです」
「そ、そっか」
「お兄さんは運ぶのくらい手伝ってくれてもよかったと思いますけど」
「……すいません」
どこかぎこちない緋奈と奏の代わりにこの場を仕切る和坂さん。
さすがは桜井女子学園中等部生徒会副会長だ。奏へのフォローもぬかりない。
俺にだけ厳しいのはこの際目を瞑ろう。
「で、緋奈」
「何お兄ちゃん」
「……この並びはおかしくないか?」
「そんなことないよ。おとちゃんもこの席でいいって」
俺の隣で可愛らしく首を傾げる緋奈。
我が家のダイニングテーブルは、一般的な四人用のものだ。
窓側に俺と緋奈が、向かい側に奏と和坂さんの並びになっている。
「社さんもいいですよね?」
「う、うん。もちろんだよ」
奏の立場からすると文句は言いにくいだろう。
緋奈のやつわかってて聞いてるな? 性格変わってない?
「ほら。お兄ちゃんは私の隣が嫌なの?」
「嫌なわけじゃないけど……」
「ならいいじゃん。早く食べようよ、いただきます」
「……いただきます」
喧嘩状態は脱せたものの、緋奈のお怒り状態が解けたわけじゃない。
和坂さんの話によると、緋奈の怒りの矛先は奏に向いているとのこと。
緋奈は別に奏のことが嫌いなわけではない。
俺と付き合っていることが気に食わないらしい。
これが一般的な妹の反応なのか、それとも……。
頭によぎる『ブラコン』の文字。
桜井女子学園中等部生徒会長が、近所で評判の良い美人姉妹の妹が、ブラコン……。
「熱っ」
ご飯を綺麗に食べる緋奈の横顔を見ながらみそ汁に口をつけると、予想以上に熱く少しだけこぼしてしまった。
「「だ、大丈夫っ⁉︎」」
ほぼ同じタイミングでガタッと椅子から立ち上がった緋奈と奏。
みそ汁をこぼした俺より二人の方が動揺してるんですけど。
「お、おう。これくらい平気だ」
「火傷とかしてない⁉︎」
「こ、これお茶っ!」
いやほんと大丈夫だから。口の中火傷したくらいですから。時間たったら上あごがでろんってなるあれなに。
奏からお茶を受け取って口の中を冷ますと、火傷したとき独特の違和感が口を襲う。
「ありがとう、奏」
「ううん。拓人君が無事でよかった」
「緋奈もあり……、緋奈?」
どうしたのだろう。隣を見やれば、不満そうに頬を膨らませた妹がそこに。
「どうした」
「……なんでもない」
「なんでもないことはないだろ」
昔からわかりやすく拗ねるのが緋奈の可愛いところだ。ふてくされた妹を無視するわけにはいかない。
そっと顔を覗き込むと、口を尖らせたままちらりと視線を泳がせる。
「私の仕事なのに……お兄ちゃんの面倒見るの」
「面倒って……。お兄ちゃんそんなにだらしないか?」
完璧には程遠いが、身の回りのことくらい自分でできると自負してるんだけどなぁ。
「……そっちの方がよかったもん」
緋奈の視線の先には、こっちを気にしてカツ丼に手をつけれていない奏がいる。
奏のことを知れば、絶対好きになってくれるはずなのに、そのきっかけが掴めない。
二人の間にある大きな隔たり。
思い返せば俺と奏も最初はこんな感じだった。
どうやって話をしたっけな……。
「奏さんは食べないのですか? 冷めると美味しさも半減しますよ」
「あ、う、うん、いただきます……」
「緋奈ちゃんもお兄さんも。お話は食事が終わってからにしませんか?」
「……うん」
「あぁ、そうだな」
和坂さんがいてよかった。
俺と奏だけじゃきっと、この舞台に立つことも出来なかっただろう。
一週間ぶりだ。緋奈と一緒にご飯食べるの。
食事を終えてすぐ、奏が「片付けは私が」と手を上げた。
「いいですよ。お客さんにそんなことはさせられませんし」
聞く耳を持とうとしない緋奈は食器を順番に重ねていく。
最後の奏の食器だけは、なぜかじっくりとその中を確認していた。
「ならせめて一緒に……」
「いいですから。座っててください」
「私はどうしましょう?」
「おとちゃんも休んでて。片付けは私がやるから」
奏に対する流氷のような冷ややかな表情から一変、和坂さんに見せる満開の桜のような暖かな笑顔。
露骨すぎる態度の違いに奏もショックを隠し切れず、しゅんと肩を落とす。
感情をすぐ表に出すところも二人は似てるんだよな……。
「か、かな──」
「んんっ! お兄さん、スマホが鳴ってますよ?」
「……誰だ?」
休みの日に電話?
可能性があるとするなら斗季からか、バイト先からだろう。履歴はその二つと奏で埋め尽くされてるからな。
しかし俺の予想はハズレていて、画面に表示されてる名前の人物をちらりと見やる。
「あ、緋奈ちゃんの部屋にハンカチを忘れてしまいました。取りに行って来ますね」
「はーい」
そう言ってさっさとリビングを出て行く和坂さん。
数秒後電話が切れると、和坂さんからメッセージが送られてくる。
『お兄さんの部屋にいますので抜けて来てください。奏さんと緋奈ちゃんに余計なことを言わずにですよ』
文面から伝わる異様な殺気。
早く行かないと殺されそうなんですが……。
「お、俺もちょっとトイレに……」
「え……」
腰を上げた俺に、行かないでと濃紺の瞳で訴えてくる奏。
今の状況で緋奈と二人きりにするのは心痛むけど、今日は和坂さんの言うことを絶対に聞くと約束している。
心中で奏にごめんと謝り、急いで部屋に向かう。
「お兄さん、とりあえずそこに座ってください」
「……はい」
部屋の中に入ると、ベットに腰掛け脚を組む和坂さんが、あごで床に座るよう指示を飛ばしてくる。
ここ俺の部屋だよね? 嫌どころか、少し心がおどっている俺はきっともう戻れないんだろうなと思いながらそれに従う。
「今とても寒気がしましたが……まぁいいです。お兄さん、さっきのは愚行ですよ」
「ぐ、愚行……?」
「考えの足りないバカげたおろかな行いという意味です」
「いや言葉の意味じゃなくてなんのことかを聞いたんだけど」
中学生に正座させられた上に、バカにされる男子高校生がそこにはいた。と言うか、俺だった。
やれやれと首を振る和坂さん。脚を組み替えるその仕草はとても中学生とは思えない。
「奏さんを慰めようとしましたよね? 今、お兄さんが奏さんの肩を持つのが一番ダメです。緋奈ちゃんとまた喧嘩したいんですか?」
「そ、それは嫌だけど……奏が可哀想で」
「私も同じ気持ちですが、今は我慢のときです。奏さんにはちゃんと言ってありますから、お兄さんはとにかく口を出さないでください」
なんだかんだで奏のことも考えてくれてるんだな。
「わ、わかった。でもどうするんだ? 緋奈はあんな感じだけど」
奏のことを認めさせるどころか、話すら聞いてもらえていない。
あの調子だと、今後奏と会わせるのは不可能だろう。だから、勝負は今日しかない。
「大丈夫ですよ。作戦はありますし。それに……お兄さん知っていますか?」
心配が募るばかりの俺とは違い、和坂さんは顔色一つ変えることなく余裕の笑みを浮かべるだけ。
すると、まるでタイミングを見計らったようにカーテンの隙間から光が差す。どうやら雨が止んだようだ。
和坂さんはおでこをきらりと輝かせ続ける。
「好きな人のために頑張る女の子は強いんですよ?」
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