野菜の擬人化
「お疲れ様でーす」
「おお香西君今日も来たね」
「いや店長シフト知ってるでしょ」
「この人香西君のこと好きだからねー」
「奥さんもお疲れ様です」
「はい、今日もよろしくね」
店の裏口から事務所に入ると、新聞を広げていた店長と、その奥さんが笑顔で迎えてくれた。
俺のバイト先のスーパーは、地元にある小さなところで、チェーン店のような大きな店構えではない。水曜は定休日だし、年始、ゴールデンウィーク、お盆もがっつり休むので、長期休暇のたびに潰れないか心配になる。
まぁバイトの俺が気にやむことでもない。休みがあることはいいことだ。店を回すにはまず人がいないとダメだしね……。
お店の経営方針は大人に任せるとして、高校生のバイトはせっせと目の前の仕事をこなすのが、関の山だろう。
更衣室で制服から着替えた俺は、担当の青果コーナーの様子をぐるりと見回る。そこには果物の品出しをしている社員の的形さんがいて、タイムセール用の値札を付け替えているところだった。
「お疲れ様です的形さん。手伝います」
「お疲れ香西。ここはいいから野菜の方頼む」
「わかりました」
的形さんは、仕事に真面目で、話しかければそれなりの返事はしてくれるのだが、少し無愛想な人だ。身近な人で言えば斗季とは真反対の人種で、声も低く、怒ってるのかな……と、初めの頃は心配することも多かった。
そんな的形さんの印象がガラリと変わったのは、俺がある日変な客に絡まれていたところを、的形さんが助けてくれたときだ。わからないことは聞けば教えてくれるし、理想の上司って感じがして少し憧れすら抱いている。プライベートな部分を隠しているのが、またカッコいいんだよなぁ……。
的形さんの指示を受け、少なくなってきた野菜を確認してバックヤードに戻り、補充分の野菜を台車に乗せて棚に陳列する。
基本的にはこれを繰り返しをしつつ、さっき的形さんがやっていた値札の取り替えや、バックヤードで野菜の選別などをするのがバイトの役割だ。
簡単そうに思えるが、野菜の種類は多いし、野菜によって保存のやり方が異なるので覚えるべきことがたくさんある。一人で閉店作業をこなせるようになるまで、かなり時間がかかった。
「んじゃ、帰るわ。あとよろしく」
「はい、お疲れ様です」
俺が働き出して一時間ほどすると、的形さんは今日の業務を終えて帰り支度始める。
まだ時間は午後の5時を過ぎたばかりだが、店長や的形さんは、朝の4時から仕入れ作業と開店作業をこなしているらしいので、帰るの早いなとは、これっぽっちも思わない。
仕事の手際同様、帰る支度もそつがない的形さんは、5分もしないうちに裏口から出て行った。
いつもはそれを見送って、帰り支度を始める店長と奥さんなのだが、今日は二人揃ってまだ事務所でお茶を飲んでいる。
「あれ、どうしたんですか」
「今からアルバイトの面接があるの」
「あー、言ってましたね」
「そう、それが今日なの。もうちょっとで来ると思うんだけど」
ちょっと前に的形さんからチラッと聞いたような……。
珍しく的形さんから話しかけてきたのであの時は驚いたんだけど、なんか半分文句みたいなこと言ってたから面接のこと忘れてた。
たしか、面接にくるのは女子高生だったような。的形さん学生時代になにかトラウマがあるのか、異常なまでに女子高生を毛嫌いしている。店に入ってくる女子高生を見るたび舌打ちするのだけはやめてほしい……。
まぁ雇用関係も大人に任せるとして、俺はフロアで野菜の陳列でもしておこう。
フロアに出て、第五六回擬人化すれば可愛い野菜ランキングを心中で開催しながら棚を整頓していると、お客さんに声をかけられた。
「あのすいません」
「はい」
「私、バイトの面接に来たんですけど」
「あぁ、こっちです」
紺色のブレザーに白を基調としたチェック柄のスカート。この制服は、桜井女子学園の高等部制服だ。去年まで姉が同じ制服を着ていたので間違いない。中等部はブレザーとスカートの色が逆で、今は妹がその制服を着て学校に通っている。
前髪を髪留めでピシッと止めてデコを出し、肩が隠れるくらいまでの長さの髪には、ゆるいウェーブがかかっている。ハーフっぽい顔立ちで、つり目気味の大きな茶色の瞳は目力があって吸い込まれそうだ。
制服を着てくれているおかげで学生と認識できるが、そうじゃなかったら確実に年上だと勘違いする自信がある。
社やうちの姉を見慣れているおかげで、ハーフの美少女を見ても胸がドキドキする程度で、全然問題ない。大ありだった。
「店長、奥さん、面接の子来ましたよ」
「ありがとう香西君。えーと、夢前川さんでいいのよね? 迷わなかった?」
極めて冷静に、平静に、安静に夢前川と呼ばれたこの子を事務所まで案内すると、奥さんが心配そうに駆け寄ってくる。
「香西……?」
「ん?」
名前を呼ばれた気がしたので、夢前川さんの方を見ると、すぐに目をそらされた。これは第一回擬人化したら可愛い野菜ランキングから一度も優勝の座を明け渡したことのないサニーレタスちゃんの方が数倍可愛いな。よく売れるのもポイントが高い。ちなみに二位はメークインちゃんだ。
「はい、夢前川ソフィアです。学校から近いので迷うことはなかったです。今日はよろしくお願いします」
流暢な日本語だがやっぱりハーフだったのか。桃色に近い茶髪も地毛なのかな。横から見ると鼻も高い。三位のオクラちゃんといい勝負なんじゃないかな!
「じゃあ戻ります」
「はい、最後までよろしく」
奥さんに夢前川さんを預けて、フロアに戻った俺を待ち受けていたのは、鮮魚コーナーのエプロンを着た俺よりも少し背の高い茶髪にパーマをかけた、ここでのバイト歴五年を迎えようとしている大学生の立野さんだった。
年上の人のことはできるだけ尊重することを心がけている俺だが、はっきり言ってこの人は苦手だ。
「よーす、香西君。彼女できた?」
「昨日の今日でできないですよ……」
「まぁできないよね。髪黒いし。染めれば?」
開口一番それってこの人の頭の中にはなにが入ってるのかな? なにも入ってない説が濃厚。そんで茶髪のあんたには彼女いるんですかね……。
この数秒でストレスがマッハで蓄積されていく。おい、魚触った手袋をつけたまま四位の南瓜ちゃんに触れるな! ……ごめんよ……守れなかった俺を許してくれ……。
立野さんが汚した四分の一サイズの南瓜を大事に抱え、気持ち強めに反論を言っておく。
「校則があるんで簡単には染めれないんですよ」
「校則って破るためにあるんだぜ?」
この人とは会話にならないな……。早くお魚さんのところに戻ってくれ……。
そう目で訴えたつもりだったのに、立野さんはこれが本題だと言わんばかりに、手袋をはめたまま俺の肩に手を乗せた。最悪だ……。
「さっき来た子、バイト?」
「……面接ですよ。受かるかどうかはわかりませんけど」
「受かるっしょ。遠くから見ても可愛かったし、何よりひとが足りてないしね。鮮魚に来ないかな」
「可愛いか可愛くないかは関係ないですよ。店長に直接聞けばいいんじゃないですか」
言いながら小さく肩を引いて手をどけろとアピールする。
それが通じたのか、すんなり手を離した立野さんは、「それもそうだな」と、呟いた。
この人の相手してるの、俺と店長くらいだからな。的形さんなんて完全無視だし、あの温和な奥さんですら顔をひきつらせるほどだ。こんな風にはなりたくない。
「あの子の名前なんて言うの?」
「知らないですよ。来たばかりなんですから」
「普通聞くっしょ? だから彼女できないんだよ?」
お前には教えねぇってことだよ。彼女作ってから言えよ。その前に友達作れよ。てか仕事しろよ。
なんで俺はこの人より時給が低いんだ。俺の時給は上げなくていいからこの人の時給下げて欲しいんですけど? というかもう来てもらわなくてもいいんですけど?
「おいこら立野、なにサボってんだ」
「うっ、部門長……。さ、サボってるわけじゃないっすよ?」
「嘘つくんじゃねぇよ! 鮮魚のやつが青果に用なんてないだろ!」
「す、すいません! 戻ります!」
「すまんな、香西君。いちいち相手にしなくていいからな、あいつは」
「は、はぁ……」
限界を迎えようとしていた俺の精神を助けてくれたのは、肌が焼けた、やたらガタイのいい鮮魚コーナーの部門長さんだ。
強面で、外見だけはマジ怖い。けどこう見えて、二人の娘さんを溺愛している優しいパパさんで、写メも見せてもらったことがある。
立野さんがここで働いてられるのは、部門長さんのおかげでだと、全バイトが思っている。
やっと立野さんから解放された俺は、南瓜のラップを剥がして、新しいラップに貼り直す作業をしていた。
すると、奥の事務所から、店長と奥さんに続いて面接を終えた夢前川さんが出てきて、二人にぺこりとお辞儀をしている。
「あ、香西君、夢前川さん青果部門で採用だから、よろしくね」
「そうなんですね。わかりました」
「よろしくお願いします」
「うん、よろしく」
「夢前川さんこう見えてまだ高一なんですって、大人っぽいわよねー」
「え、てっきり年上かと」
「……失礼な人」
「いや褒めてる……すいません」
冷ややかな目で睨まれたので、素直に謝っておく。そんな様子を見た店長と奥さんは声を上げて笑っていた。
とりあえず、立野さんと同じ部門じゃなくてよかったね!
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