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制止が間に合わず、なんてことなく和坂さんがそう口にすると、穏やかだった奏の表情に暗雲が立ち込める。
「……どうしてそうなるの?」
まるで時間が止まったように店内は静まり返り、降り続く雨の音がやけに大きく聞こえてくる。
言った和坂さんだけでなく、中途半端に口を挟んだ俺にも目を向け、奏は不安そうに眉尻を下げた。
そんな奏の反応を見て、和坂さんは不思議そうに俺と奏を交互に見やる。
「もしかしてお兄さん、奏さんに教えてないんですか?」
「ま、まぁ……」
「な、何を?」
「お兄さんと緋奈ちゃんの喧嘩の理由ですよ。てっきりお兄さんから聞いているものだとばかり……。驚かせてしまいすいません」
奏に対して丁寧に頭を下げる和坂さん。しかし、俺を見る目はライオンのごとく冷ややかで鋭い。
「拓人君、もしかして……妹さんとの喧嘩私が関係してるの?」
「あぁ……えーと、だな」
「んんっ! お兄さん往生際が悪いですよ」
「拓人君……」
奏に教えるつもりはなかったが、この状況じゃはぐらかすには無理がある。観念して話すしかないか……。
「実はな、緋奈……妹が怒ってるのは、その、俺に彼女が出来たからなんだ」
「そう、なの?」
「あ、あれだぞ? 奏が悪いってわけじゃないからな? 多分誰が相手でも変わらなかったと思う。だから……気にする必要ないぞ……?」
喧嘩の理由を教えるにしても、最悪の教え方だ。
話しを聞く奏の背中がどんどん丸まっていく。
「そうですよ。奏さんが気にする必要などないのです。お兄さんと別れてほしいなんて半分冗談ですよ」
「半分は本気なのか……」
「お兄さんはちょっと静かにしててください」
「えぇ……」
和坂さんの雑すぎる態度は少し気になるが、どうやら別れるという提案以外にも何かありそうだ。
情けない話、和坂さんのその提案に期待するしかない。
「奏さん、実はもう一つ提案があります」
「……何、かな?」
「緋奈ちゃんはこう言ってました『私より凄いかつ、私が認めるくらい素敵な人じゃないと、お兄ちゃんと付き合うなんて認めない』と」
今、緋奈の真似した? 上手いんですけど。
そんでもって緋奈は何を言ってるの?
「そんな小姑みたいなこと……」
「実際、緋奈ちゃんの立場は小姑に近いですからね。言っておきますが、私は緋奈ちゃんの味方ですよ。……少なくともお兄さんの協力者ではありません」
隣の奏を気にしてるのだろうか。少しくらいこの状況を作り出したことを悪いと思っているようだ。
「なので決めてください。お兄さんと別れるか、緋奈ちゃんを認めさせるか」
緋奈がどこまで本気なのかはわからないが、明確な解決案があるなら、それを達成するに越したことはない。
でも、それが俺ではなく、奏に委ねられるとなると話は別だ。
奏には、すでに違う形で迷惑をかけてしまっている。これ以上手を借りるわけにはいかない。
「奏は関係ないだろ。別の方法を探そう」
「他にいい案があると? 見つからないからお兄さんも悩んでるのではないですか?」
「それは……」
「それに、奏さんは先ほど何でもやると言いました。その気持ちを無下にするのですか?」
「お、俺はただ奏に──」
「ちょ、ちょっと待って!」
再び店内を静寂が包む。
大声を出したのは、他でもない奏だ。
数秒の沈黙が続き、俺と和坂さんは冷静さを取り戻す。
「和坂さん、拓人君とお話ししたいから、ちょっとだけ時間くれる?」
「わ、わかりました。終わったら連絡が欲しいので連絡先を交換しましょう。あと、おととお呼びください。お兄さん……少し熱くなってしまいました。すいません」
「こ、こちらこそ、ごめん」
連絡先の交換を終えて、和坂さんは運転手の人と一緒に店を出て行った。
窓から見える車に乗り込む姿を確認して、正面の奏を見やる。
視線はやや斜め下を向き、しゅんと落ちた肩からは覇気を感じられない。
やはり、別れてほしいと言われたことを気にしてるのだろうか。
「……私、別れないよ。別れたくない。た、拓人君は?」
「俺もだ。別れる気なんてない」
少なくとも、俺から別れを告げることはない。
「そ、そっか、よかった。……どうして言ってくれなかったの? 拓人君は気づいてたんだよね?」
「……言う必要がないと思ったからだ。別れる気はないし、無駄な心配をかけたくな──」
「私は」
不安そうな上目遣い。潤む瞳からは、水滴が溢れそうだ。
「私は……拓人君の心配がしたい。拓人君が困ってるなら助けたい、元気がないなら励ましたい。拓人君は、私にそうしてくれたでしょ? だからね、関係ないなんて、言わないで」
奏が気にしてたのは、和坂さんの言葉なんかじゃない。
俺が奏に、何も言わなかったことだったのか。
「わがままだって思う。私なんかじゃ拓人君の力になれないかもしれない。でも、それでも、何かしたいの。拓人君のために。……ダメ、かな?」
俺は別に、奏を助けたなんて思ってない。
自分のためにそうしただけ。たまたまそこに、奏はいただけ。
なら、ラッキーで済ませばいい。そのことを気にする必要なんてない。
……でも、彼女は、奏は、自分のことだけを考えるなんてできない子なのだ。
委員長になったときも、俺の仕事が多いと気にしていた。
打ち上げのときも、自分が行って大丈夫なのかと心配していた。
遊園地のときも、わざわざ早起きして弁当を作ってきてくれた。
今回の喧嘩も、誰よりも早く俺の異変に気付いてくれた。
その優しさに、俺は惹かれた。
こんな悲しそうな表情をさせるために、奏と付き合ったわけじゃない。
「……いいのか? こんなめんどくさいこと。弁当だって作ってもらってるし。奏は……気にしなくてもいいことなんだぞ?」
「気にするし、したいの。拓人君にしてあげられることは、全部やってあげたい」
俺の彼女が自分に厳しくて俺にだけ激甘な件について……。
これは優しさでいいのだろうか? いやまぁうん今回は気にしないことにしようかな!
「じゃあ……手伝ってくれるか?」
「もちろん! 妹さん……緋奈ちゃんに拓人君との交際を認めてもらう。そうすれば仲直りできるんだよね」
「聞いた話だとそうだな」
簡単そうに言ってるが、きっと一筋縄ではいかないだろう。
何より『緋奈より凄い』ってのは、かなり高い壁だ。
俺の妹は何でもできるからな……。
「見ててね、拓人君」
まぁでも、俺の彼女も負けてない。
「あと、他の人と付き合ってたらなんて冗談でも言わないでね?」
「……はい」
その後、和坂さんを呼び戻して、緋奈と奏を鉢合わせる作戦を立てた。
結果、俺の家で遊ぶことになった。
え、ちょっと待って。俺、家の場所奏に嘘ついたままなんですけど……。
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