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放課後になっても雨は衰えることを知らず、遠巻きから見てもグラウンドにはたくさんの水たまりが出来ていた。
活気溢れる運動部諸君の姿はグラウンドに見当たらない。今日は休みになったのか、それとも横山が所属するバドミントン部のように校内のどこかで室内練習やミーティングをしているのかもしれない。
「俺には関係ないか……」
中学のときも部活をやってなかった俺にとって、放課後の天気は晴れでも雨でもどっちに転んでも支障は特にない。晴れが好きなわけでも、雨が嫌いなわけでもなく、ただその環境を受け入れるだけ。そうすれば争いは起きないのです……。
いかんいかん、手を合掌して悟りを開きかけた。思っている以上に緋奈との喧嘩が俺の中で応えてるようだ。……早く緋奈と仲直りしたいよぅ。
「お待たせ拓人君」
「おう。日誌すまんな」
そんなことを思いながら傘片手に昇降口を出てすぐのところで立っていたのは、学級委員長としてのお役目を果たしていた奏を待っていたからだ。
これからお互いに予定がなければ一緒に帰ると、奏と昨日決めたばかりで、今日はその初日。
下駄箱付近からは雨の音に紛れてこそこそと声が聞こえてくるが、さすがに内容までは掴めない。
昨日の食堂はやっぱりまずかったかな……。
「拓人君」
「ん?」
「周りは気にしないで私だけ見てて。私もそうするから」
「お、おう……」
奏は背筋を伸ばして堂々と俺の隣に立つ。綺麗で凛々しい姿は、最初に抱いていた奏の印象を彷彿とさせた。
目が合うと睨まれていたちょっと前とは違い、今は見惚れてしまうほどの可愛い笑顔を俺に向けてくれている。
「帰ろっか」
「だな」
俺はその笑顔を見てるだけでいい、そう思うとちょっとだけ気が楽になった。
と、傘を広げた俺の隣でカバンを漁る奏が「あれ?」と小さく声を上げる。
「どうした」
「折りたたみ傘持って来てたはずなんだけど……」
焦る奏を見つめながら俺は考える。……雨の降る日に奏が傘を忘れるなんてことがあるのだろうか、と。
「ちょ、ちょっと待ってね」
「別に急かしてるわけじゃないからな。ゆっくりでいいぞ」
たとえ優等生の奏でも忘れ物をすることくらいあるかもしれない。が、いくらなんでもこのタイミングは露骨すぎる。
ラブコメをこよなく愛している俺には、放課後雨天時の定番イベントを容易に思い浮かべることができてしまう。
つまり何が言いたいのかというと、これは誰かの差し金だ。もう犯人に目星はついている。横山だろ。簡単すぎて頭脳が大人の名探偵も鼻で笑っちゃうに違いない。
そうとわかれば奏の傘を早く返してもらおうじゃないか。
スマホで横山にメッセージを送ると、部活中のはずなのにすぐ返事が送られてきた。
『私知らないけど。たっくん明日覚えといてね?』
あれ、おかしいな。予期せず明日の楽しみが生まれてしまったんだが?
『ほんとに取ってないのか?』
『私でも黙ってそんなことしない。かなも忘れ物くらいすんじゃないの。じゃあ私部活だから』
『おう。すまん』
横山が関与してないとなると、もうこの事件はお蔵入りだ。じっちゃんの名前をかけちゃう名探偵も顔面蒼白である。
いつの間にかしゃがみこんでカバンの中にあるはずの折りたたみ傘を探している奏。
もしかしてもしかすると、ほんとに奏がただ忘れただけかもしれないが……俺はまだ諦めてないぜ!
「……あ」
と、何かを思い出したのか、奏はピタリとその手を止める。
「部屋に置いて来ちゃったかも……」
どうやら事件は解決してしまったようだ。ホームズ君も地団駄を踏んでいるに違いない。
ゆっくりと視線を上げて、子猫のような瞳で一人探偵ごっこをしていた俺を捉えた奏は、泣きそうな声で「ごめんなさい……」と謝った。
「別に悪いことはしてないだろ……。忘れ物くらい誰にでもあるからな」
「お弁当忘れないようにしてたら傘忘れちゃうなんて……私何やってんだろ……」
両手で顔を覆って本気で落ち込む奏。見る人が見たら俺が奏を泣かせてるみたいになっちゃうから早く立ってほしいなんて言えない雰囲気。
「拓人君……先帰っていいよ。私、雨止むの待ってるから」
「なんでそうなる。それに今日は多分止まないぞ」
この空模様だ、夜まで止むことはないだろう。
奏もそんなことはわかってるはずなのに、傘を忘れたことが余程ショックなのか、冷静な判断が出来ていない。
たしかにこれまでの学校生活で、奏の失敗らしい失敗は見たことがない。忘れ物もしなければ、遅刻も居眠りも欠席だってしてないはずだ。
だから俺も、奏が持って来てたはずと言ってた時点で、それを疑うことはなかった。
まさか傘を忘れただけでこんなに落ち込むなんてな……。自分に厳しすぎるだろ……。
「……それでも待つ」
背けた顔を膝の間に半分埋めたまま、駄々をこねるように奏は呟く。
さっきまでの凛々しい彼女はどこへやら。奏ならほんとに止むまで待ちそうだ。これはどうにかしないとな……。
「奏が待つなら……俺も待つけど」
「そ、それはダメ! 拓人君を私の失態なんかに巻き込めないよ」
勢いよく立ち上がった奏は、きゅっと口を結ぶと不満そうな視線を俺に向ける。
えぇ怖い。これには俺も苦笑いである。
奏には奏のこだわりがあるんだろうけど……、雨の中奏を置いていくなんてできないしな。
「……一緒に入るか、傘。大きめの傘だし」
「拓人君の傘なんだから拓人君が……一人で……。……えーと、それってつまり……」
広げたままの傘を奏に傾けながら言うと、俺の誘いに気づいた奏は、途端にしおらしくなりぱちぱちと目を瞬かせ、前髪を触りながらそわそわし始める。
あー……さすがにこれはきもかったか。相合傘なんて奏も嫌だよな。
「……すまん忘れてくれ」
ドサっと重い音が足元で鳴った。どうやら奏がカバンを落としたらしい。
でも、今はそれより、引いたはずの傘を持つ俺の手が、柔らかく温かい奏の両手で包まれていることについてだ。
しかし、それはたった一瞬のことだった。すぐに手を離した奏は、落としたカバン拾い上げそれを思い切り抱きしめる。
「……帰ろ、拓人君の傘で」
半分顔を隠す奏は、目をそらしてポツリと呟く。
一方俺は、あの一瞬で心臓が信じられないほど早く脈打ち、顔が信じられないほど熱くなっている。奏の手の感触がまだ残っていることがほんとマジ信じられない……。
「あ、あと、今のはなし! また今度、その、ちゃんとお願いするからっ」
「……お、おう」
正直全然聞こえてなかったけど、奏は俺と一緒に傘に入ってくれるようだ。
肩が触れてしまいそうなほどの距離に、カバンを抱いたままの奏が並ぶ。俺の顔も赤くなってるはずだが、奏の耳も引きを取らないくらい真っ赤だった。
「……ごめんね。私が傘忘れたせいで」
「そ、それは気にしなくていい。弁当忘れないようにしてたってことは、俺のせいでもあるわけだからな。と言うか俺のせいだ」
そうか、そもそも俺の弁当がなければ、奏は傘を忘れてないのか。ちゃんと俺のせいじゃん……。
「ううん私の不注意だよ。もう二度としない」
自分に言い聞かせるように奏は目をつむり二回ほど頷く。
「でも……拓人君とこうやって帰れるなら、悪くないって思っちゃった」
傘を打つ雨は、いつまで降り続けるのだろう。
天気なんて関係ない俺の放課後。でも今は、今だけは、この雨がずっと止まなければいいのになんて、彼女の照れた横顔が俺にそう思わせた。
「あ、やっと来ましたか。お兄さん」
……なんで幸せな時間ってのはあっという間に終わっちゃうんだろうね。
歩くこと数十メートル。校門の前にたたずんでいた一人の少女が、柔和な笑みを浮かべて俺の前に立ち塞がる。
いや間違えた。少女の笑顔はこれっぽっちも柔らかくなどない。
笑顔の奥底に隠された背筋が凍るような敵意。
そのおかげで、少女の顔と名前がパッと頭に浮かんでくれた。
「和坂おとさん……?」
「はい、お久しぶりです。拓人お兄さん」
その少女は、笑顔を崩さないまま冷えびえとした声で、俺の名前を呼ぶのだった。
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更新遅くてすいません。




