うまのしっぽ
昼になるまでパッとしていなかった天気のおかげで、寒かった午前中とは違い、太陽が顔を出し始めた午後の運動場には、体操服のジャージがいらないくらいの陽気が漂っていた。
体をある程度動かした非運動部からしてみれば、この気温はなかなか体にこたえる。全ての項目を測定し終えた俺と斗季は、小さな木陰に並んで入って、授業が終わるのを今か今かと待っていた。
体力が有り余っている運動部諸君は、体育倉庫から引っ張り出してきたサッカーボールでわいわいと遊んでいる。
普段の斗季なら、あの中に混じるのだろうが、隣にいる現在の彼は、喋る体力も残ってないらしい。体育座りのままひざに顔を埋めて、いつのまにかピクリとも動かなくなっていた。体力なさすぎだろ……。
まぁ俺も人のことを馬鹿にできるほど体力に自信があるわけじゃない。ただ斗季と違うのは、バイトをしているかしていないかだ。
スーパーの品出しは基本立っぱなしだし、重い物を運ぶことも多い。そのわずかな差が、今ここに現れていた。
「女子も測定終わったみたいだし誘いに行こうぜ」
「それいいな。で、誰が行く?」
「じゃんけんだろ」
心地よい風が吹いて少し眠くなってきた頃、近くにいたグループの会話が耳に入ってくる。
チラリと、遠くでハンドボール投げの測定をしていた女子たちの方を見やると、どうやら女子も自由時間になったようだ。
その中には、社の姿もあった。同じクラスだし当然ちゃ当然なんだが……。つい彼女に目をやってしまうのは、この際仕方がないことだろう。
「やっぱ社さんに声かけるか?」
「いやでも、話しかけると嫌な顔されるぞ」
「あれ地味に傷つくよな……」
社が一年間にわたって撒き続けた種は、しっかりと芽を生やしているようで、容易に彼女に近づこうとする同学年は少なくなった。
まぁ社と仲良くなりたい男子なんてみんな、下心が少なからずあるだろう。少しでも近づければ他とは差が生まれるわけだし、それがきっかけで恋に発展する可能性だってないとは言い切れない。
俺の父さんは酔うと、母さんとの馴れ初めをいつも嬉しそうに話す。決して羨ましい出会いとは言い難いが、それから結婚するまでの仲になるのだから、恋愛というものは最後までわからない。
アニメや漫画だって、お嬢様と貧乏人が恋に落ちたり、誰もが羨む美少女と目立たない地味な男子がくっついたりするものが多いし、ヒロインが複数出てくる作品だって最後まで誰とゴールインするのかわからない……。だからラブコメは読むのがやめられないんだよな! 恋に身分も性別も種族も立場も関係ないと思いました!
つまり今は男を避けている社だって、誰かを好きになることがあるかもしれないのだ。それがいつになるのかわからないだけで。
「ま、俺には関係ないか……。おい斗季、俺トイレ行くけど」
「……俺の分まで出してきてくれ」
「へいへい」
授業が始まる前とはまるで別人だな……。あのときのお前はどこにいったんだよ。
授業中の校舎内は、不気味なくらいに静かだった。体操服についた砂を払う音ですらよく響く。
トイレで用を足した俺は、昇降口で靴を履き替えていた社と遭遇してしまった。最近よく会いますねぇ。
長い髪を白色のシュシュでまとめたポニーテールは、社の雰囲気をガラッと変えていて、幼い顔立ちが少し目立っている。
「あ、香西君」
「うっす」
「うっす。どうだった? 体力測定の結果は」
「人に自慢できるほどじゃないな。社は?」
「いつも通りかな」
つまるところ結果は良かったということだろう。
遠巻きにちょくちょく見ていたが、明らかに社の動きは他の女子たちと違っていた。体育教師も、社の結果が気になってすぐ聞きに行ってたし。
上履きに履き替えた社は、小脇に抱えていたプリントの束を大事そうに胸で抱きしめる。
体操服は制服よりも生地が薄いので、社のボディラインがより鮮明に確認できた。
薄々感じていたバストの大きさも、やはり引っ込んでいるウエストも、いつもはストッキングに包まれている細く白い脚も、彼女が美少女と呼ばれるにふさわしいものだった。
俺の視線が気になったのか、小さく首を傾げた社が「何?」と、濃紺の綺麗な瞳で俺の顔を覗き込んでくる。
「……いや、何もない。社は何してんだ? 自由時間だろ?」
「うん、そうなんだけど、みんなの体育測定の結果を職員室に届けようと思って」
「それって保体の仕事じゃないっけ?」
「実は一人怪我しちゃった子がいて、保体委員の子が保健室に付き添ってるんだ。だから、私が代わりに」
「ほー、偉いな」
恐らく保体の人は、社にそんなこと頼んでないはずだ。機転を効かせた委員長の行動に全俺が感動した。
昼の質問の答えはあれで正解だっただろう。社はしっかりと委員長を務めている。
それに比べて副委員長は何をしているんだ。全く自主性のかけらもないな。誰だよ、副委員長。俺だった。
社をじろじろと見ていた償いをして、素直に社を褒めると、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべる。
「褒めても何も出ないよ?」
「期待してないから大丈夫だ。じゃ、気をつけてな」
「うん、ありがとう」
揺れるポニーテールを見送って、運動場に戻ろうとした俺だったのだが、昇降口の手前付近に、こっちを射るような視線で睨みつけていた友人を見つけてしまった。
「体力は回復したのか」
聞きながら近づくと、斗季は俺の肩に手を置いてキメ顔を作った。なんじゃこいつ。
「今ので全快だ。いつのまに社さんと仲良くなってたんだ?」
「仲良くねぇよ。まぁ委員の関係でちょいちょい話すくらい」
「あの社さんがね……。俺なんて全く相手にされないんだが」
「下心に敏感なんだろ」
「なんだ、それだと拓人に下心がないみたいじゃないか」
「ねぇよ。社だぞ? 余程自分に自信がなけりゃ近付こうともしないだろ」
「バカだな。夢みろよ! 一度きりの青春だぞ」
「その青春を苦い思い出にしたくないんだよ」
斗季の手を払い先に歩き出すと、同じ歩調で斗季も隣にやってくる。
見てくれはいい斗季ですら相手にしない社の徹底ぶりは、なかなかに肝が座っていると思う。
実際斗季は、中学の頃からモテていた。話は面白いし、人当たりもいいし、とにかく壁がない。懐に入り込むのが上手いやつだなと感心する。
夢を見れるのは、力のあるやつだけ、才能のあるやつだけだ。俺は自分の限界を知っている。だから、夢は見ない。
「堅実なやつだなー……。あ、そうだ、いいこと考えた」
「悪巧みか?」
「おいおい、人聞きの悪いこと言うなよ。みんながハッピーになれることだ」
「胡散臭いな……」
「ま、期待してろ」
すっかり元気になった斗季は親指を立ててウインクをすると、そのまま駆け出して、サッカーをしていたグループに混ざっていった。
まぁ斗季の考えることなら、特に心配はないだろう。なんせ斗季は、俺の姉にすら気に入られるようなやつなのだから。
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