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俺には、二つ下の妹がいる。
名前は香西緋奈。桜井女子学園の中等部に通う中学三年生だ。
緋奈はそこそこ、いや、かなりできた妹だ。
学校では優秀な成績を収めながら二年の頃から生徒会長を務め、家では家事全般を担ってくれていて、家族全員緋奈のお世話になっている。
みんな全くやらないってわけではないのだが、余計なことをすると緋奈の邪魔になりかねないので、無駄な手出しはしない程度の気持ちだ。
家事の中でも緋奈の得意分野はなんと言っても料理だろう。
レパートリーは多種多様。和洋中なんでも作れるほどの腕前。これはもうどこに出しても恥ずかしくないな! 絶対出さないけど! 俺はもう緋奈なしでは生きられない体になってしまっているのだ……。
「どうすっかな……」
社との初デートが終わった次の日。今日は昼前からバイトが入っている。
時刻は朝の10時を少し回ったところ。いつもの休憩所でスティックパンをかじりながら、俺は天井を仰いだ。
兄弟がいる者なら必ず一度は経験したことがあると思うが……この世には兄弟喧嘩というものがある。
そもそも喧嘩というものは、どちらかに非があり、それが原因で勃発するものだ。口論になったり、罵声を浴びせたり、ときには手が出ることもあるだろう。
基本仲のいい俺たちも少ないながら兄弟喧嘩をすることがある。
喧嘩と兄弟喧嘩の大きな違い……、それは、どう転んでも兄、姉が損をするということだ。特に兄はやばい。姉と喧嘩しても男なんだからでなだめられるちゃうんだから。
まぁ小さい頃の話は置いといて、俺と緋奈は今、絶賛喧嘩中ということになっている。
緋奈の言い分によると原因は、俺に彼女ができたことを緋奈にだけ黙っていた、ということらしい。
反論というわけじゃないけど、俺は別に緋奈にだけ黙っていたわけじゃない。父さん母さん姉さんには、ただバレていただけだ。もちろんそれは説明したのだが、緋奈はそれを仲間外れと捉えてしまったらしい。
それに緋奈は『騙された』と言っていた。このことを聞いてみても詳しく説明してくれないので、俺としてはこっちの方が本当の理由だと思ってたりしている。
今までの喧嘩は、他の誰かがそれとなく仲裁をしてくれていたのだが、今回の喧嘩はなんというか、緋奈以外全員悪者だからな……。仲裁は期待できないだろう。
その中でも俺に対する怒りは相当なもののようで、休日バイトのときは必ず作ってくれる緋奈の手作り弁当を、今日は作ってくれなかった。本日の昼飯は、スティックパンにいちごオレと、いつもに比べてだいぶ質素なメニューだ。
一刻も早くこの状態から抜け出したいが、これまでの喧嘩と違って明確な理由がはっきりしていない。仲直りするのが正しいのかどうかすらもわかっていないのだ。
しかし今は、いったん時間をおくのが正解だろう。緋奈は俺の話を聞く気がないみたいだし。
緋奈に嫌われたままなんて……俺は生きていける気がしないぜ……。
最後のスティックパンをいちごオレで流し込み、ゴミを袋にまとめる。
家にいづらくて早く家を出たけど、バイトまであと一時間もある。
と、時間を確認するために取り出したスマホから着信音が鳴った。画面に表示された名前は、社奏だ。
奏はたしか今日、おじいちゃんの手伝いって言ってたような。何かあったのだろうか。
「どうした」
『も、もしもし、社奏ですっ』
「はい知ってますけど……。なんかようだったか?」
『あ、いや、その、用事っていうほどたいそうなものじゃなくて……。ただ、声が聞きたいなーって。ダメ……だった?』
「い、いや、全然大丈夫だ。急だったからな、その、なんかあったのかと心配した」
事件や事故に巻き込まれたわけではないようで安心した。むしろ俺が危ないまである。
奏からの電話に舞い上がりそうになるのをグッと抑え、平常心でスマホに耳を傾ける。
『ううん何にもないよ。もうすぐお稽古が始まるから、今しか時間なくて拓人君に電話したんだ。拓人君ももうすぐバイトだよね?』
「おう。俺はまだちょっと時間あるけど」
『よかった間に合って』
スマホの奥でホッと息を吐いた奏。今奏がどんな表情なのか想像すると、自然と頬が緩む。
いかんいかん、誰もいないとはいえここは外だ。油断してると誰かに見られるかもしれない。
小さく咳払いをして気を引き締めるも、奏の声を聞くと昨日のことが脳裏によぎる。
『……拓人君? どうかした?』
「あ、いや、なんでもない。そういえば、まだ写真送ってなかったな。今から送る」
『あ、ありがとう! 拓人君のプレゼントが嬉しくて忘れてた』
「そ、それはよかった」
ダメだ。奏の一語一句に胸打たれてしまう。声が上ずらなかった自分を褒めてやりたい。あと、俺も緋奈と喧嘩して忘れてました。ごめんなさい。
通話を切らずささっと撮った写真を送る。全部で三枚あったが、俺とダル猫の写真を送る必要はないだろう。
『……拓人君、これで全部だっけ?』
「え、いや、あと一枚あるけど……俺しか写ってないやつだぞ?」
『で、でも、デート中に撮ったやつだから、私もほしいな』
「お、おう、送ります」
結局全部送ることになった。最後の写真が届いた瞬間、奏が微かに笑ったような気がする。そんな変な顔だったかな……。いやまぁ笑われるのには慣れてるからいいんだけどね。
『あ、昨日のデート中の勝負のこと覚えてる?』
写真を保存していたのか、少し間が空いて、さっきよりも明るい奏の声が耳に届く。
「あー……謝ったらダメってやつだ」
やってましたねそんな勝負。常敗無勝と名高い俺だからな、勝負の結果は聞く前からわかっている。負けず嫌いなところも奏のいいところだよ!
『そうです。それでその、一応私の勝ちだったんだけど……。あの、やっぱり、勝負ってことだから、負けた方は勝った方に何かするのがいいんじゃないかな……なんて』
「……また横山になんか言われたか?」
『っ! べ、別に、横山さんは関係ないよ! 昨日のデートのこと詳しく聞かれたり、電話してみたらなんて言われたりしてないから! うん!』
奏さん全部言っちゃってるよ? 嘘が下手とかそのレベルじゃないんですけど。横山も横山で奏に変な入れ知恵をしよってからに。素直に聞いちゃう奏も奏なんだよな……。そんな奏の純心を弄ぶ横山に裁きの鉄槌を下さなければ。
「まぁ、負けは負けだからな。俺にできることなら何でも」
『え……いいの?』
「言ったのそっちだぞ……」
『じゃ、じゃあ、これから考えます! 楽しみにしてて下さい!』
いや一応罰ゲームの類だからな、楽しみにするのは違う気がする。うん? 待てよ。奏からの罰か……、いやこれ想像以上に楽しみだな!
「これが電話した理由か」
『ううん、拓人君の声が聞きたかったから。ほんとにそれだけなの』
「っ……。そ、そうか、まぁ、うん……」
目を逸らしたら、両手で顔を押さえられて無理やり目を合わせてきた。そんな気持ちだ。
これが奏の距離の縮め方なのか。これに応えようと思ったら心臓への負担が凄そうだな……。
『あ、私そろそろおにぎり作らないと』
「おう、手伝い頑張れ」
『拓人君もバイト頑張って』
「じゃあ、また学校でな」
『うん、また学校で』
バイト前にいい時間が過ごせた。今日のバイトは頑張れそうだな。
「……」
『……』
「……切らないのか」
『……拓人君は、ちょっとだけいじわるだと思いました』
奏はそう言い残して、電話を切った。
多分気づいたのだろう。通話中俺が、奏の名前を呼んでないことに。
やっぱりまだ恥ずかしいんだよなぁ……。
「どうすっかな……」
学校ではどっちで呼ぶべきなんだろうか。
あと、緋奈との喧嘩もだな。
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