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デートの時間は過ぎていき、空の模様がオレンジと紺に変わり始めたところで、俺と社は帰路についた。どうやら社には門限があるらしい。
駅の南側。冬の時期ならすでに街灯がついていてもおかしくない時間帯だが、もう夏はそこまで来ている。日が長くなればなるほど、それが感じられるようになってきた。
「……」
「……」
電車に乗るまで途切れることのなかった会話も、電車を降り改札を抜けてからは、ぱったりとなくなってしまった。一度静かになると、どうしたらいいのかわからなくなる。
「……今日はいい天気だったな」
なんだそれ。会話に困ったときにふる話題でも一番役に立たないやつじゃねーか。しかも過去形て。もっと気の利いた話題があっただろ。
「うん、だね」
こんな話題にも、視線を上に向けた社が微かに笑って同調してくれる。
「その……今日はありがとな。今思ったら結構急な誘いだったよな」
「そんなことないよ。嬉しかったし、今日は楽しかった。香西君は……今日のデート楽しかった?」
「ああ、うん。出だしがちょっとあれだったけど……、楽しかった」
「私も。じゃあ今日は初デート記念日だね」
なんかちょっと彼女彼氏っぽい会話だな。いや実際そうなんだけど……。まだ実感が湧いていないのが本音である。
「……社は、俺のどこを好きになってくれたんだ?」
話題に困った結果、ふと思ったことを口にしてしまった。
少しの間が空いて出たこの質問は、いつかの放課後、社に聞こうとしていたことだ。
こんなこと無理に聞くようなことでもないとわかっている。だが、自分を客観的に見たとき、俺は異性を惹くような部分を持っていない。
勉強も運動も中途半端、友達は少ないし目立つような特技だってない。
もし俺が女の子なら、こんなやつ絶対に好きにならないだろう。だから、社に好かれた理由が、俺にはわからないでいた。
「え、えーと」
「ないなら無理に言わなくてもいい。むしろないのが当たり前だし」
あの日勢い余って告白しちゃった! ってパターンかもしれない。
だとすると俺の勘違いでここまで来てしまった訳であって社は被害者だ。これは命をもって償うしかないな。
「あ、あるよ! 香西君の好きなところ、いっぱいある」
そんなことを思う俺をよそに、一度キュッと口を結んだ社。続いて目を瞑りふぅーと息を吐く。
「いや何というか、聞きたくて聞いたんじゃなくて、頭に浮かんだことが口に出てただけで──」
「香西君は言ってくれたもんね。私もちゃんと言う。言わせて」
「お、おう……」
それからもう一度短く息を吐いた社は、近くにあった公園のベンチに俺を案内してくれた。まだ門限までの時間はあるみたいだ。
「お先にどうぞ」
社に言われベンチの真ん中からやや左寄りに腰掛ける。そのすぐ隣に社も座った。
「……私が香西君のことを好きだなって思い始めたのは、実は、一年生のときの文化祭からなんだ。このことに気づいたのは最近なんだけどね」
間を置いてポツリと社が口を開く。
「去年の文化祭……?」
「うん。多分そのときじゃないかな、香西君と初めてまともに話したの」
たしかに文化祭の前や準備期間中、社と何回か話した記憶はある。緊張のせいで事細かに一言一句を覚えているわけではないが。
「香西君って一年生のときから授業中ぼーっとしてるし、休み時間は寝てたから、すごく目立ってた。だから最初はおかしな人だなー、なんて思ってた」
「マジか……」
社が俺のことを目立つと言ってたのはこれが原因だったのか。
思い返してみれば、青倉先生によく注意されてたな。これは過去じゃなくて今もだった。
クスッと笑った社は、「授業は真面目に聞かなきゃダメだよ?」と、俺の目を覗き込んでくる。
「頑張ります……」
「でも、だから、文化祭のときの香西君がすごく印象に残ってる。香西君、私を助けてくれたでしょ?」
「俺が社を? そんなこと俺にはできないと思うんだが……」
あれは助けたんじゃない。ただ単に演劇が嫌だっただけだ。
元々押しつけられた文化委員を真面目にやるつもりなどなかった。本当にそれだけなのだ。
……それに、俺は誰も助けられない。
「香西君は私を助けてくれたよ。文化祭のときも、遊園地のときも。しっかりしてなさそうで、しっかりしてるのが香西君だよ。きっと、青倉先生は最初からそれがわかってたんだと思う」
「いやあの人はそんな風に思ってないだろ……」
いいカモを見つけたくらいじゃないかな? あの人本当に教師なの?
遠い目をする俺のシャツの袖に、わずかな違和感が襲う。
細い指で袖口を掴む社は、頬を染めて上目遣いになった。
「多分、香西君が思ってるより、私、香西君のこと好きだよ。全部好き、まだ好きになるし、なりたいの。優しいところ、メリハリがあるところ、面白いところ、紳士的なところ、誰にでも壁がないところ。もっと知って、もっと好きになりたい。……こんな気持ち、初めてなの」
「っ……。そ、そうか」
自分のことを一番知っているのは自分で、自分のことを一番知らないのは、きっと自分なのだろう。
誰かに自分の短所を聞かれたら、ほとんどの人がすらすらと答えることができる。それは自分の嫌な部分を理解しているから。
でも長所を聞かれたら、ほとんどの人が答えに困る。それは自分のいいところを理解していないから。
こうやって好きだと言葉にしてくれる人がいて、初めて自分の知らない自分が見えてくるのだろう。……まぁ、恋は盲目とも言うし多少評価が甘くなる部分もあるかもしれないけど。
「私も好きになってもらえるように頑張る。初めてのことが多くて、まだよくわかってないんだけど……」
「俺もだ。だから……二人で少しずつ頑張ろう」
社は、無理までして俺との距離を縮めようとしてくれた。
きっとそれじゃダメなんだ。俺が社の歩幅に合わせないと。だから、これはその一歩目だ。
ポケットからダル猫ショップで買ったプレゼントを取り出し、社に差し出す。
「これは……?」
「今日のお詫びと記念にプレゼントを買ったんだ。写真もそうだけど、形に残るものとかがいいかなって」
「……開けてみていい?」
「おう」
包みを丁寧に剥がして中身を確認する社。
さすがに指輪やネックレスには手が出なかった。高いし、重い。
「これって……!」
「ダル猫のキーホルダーだ。いっぱい持ってるかもしれないけど、これしか浮かばなくてな」
「これ、高いやつだよね? う、受け取れないよ!」
社のことだからそう来ると思っていた。
小さく首を振る社にさらに追い討ちをかける。
「もらってくれると嬉しい……、か、奏のために選んだから」
「……え?」
瑠璃色の大きな瞳が俺をとらえる。
タイミング間違えたか、名前はあってるよな? やっぱりきもいか、名前呼びなんて。
「……すまん」
「ち、違う! 驚いた、だけ……。き、聞き間違いじゃないよね?」
奏は、もう一回呼んでほしい。そう、目で訴えかけてくる。
「…………奏のために、選んだ」
「っ……。そんなこと言われたら、受け取らないわけにはいかなくなっちゃうよ」
渡したキーホルダーを袋ごと胸に抱いて、奏は笑みを浮かべる。
「ありがとう拓人君、これも大切にするね」
出だしが残念だった初デートは、お互いに一歩距離を縮めて、僅かながらに恋人に近づくことができ、忘れられない二人の思い出になった。
奏を家の近くまで送る間に、意味もなく名前を呼び合ったことは……二人だけの秘密だ。
奏とのデートを終え家に帰ると、気のせいか廊下の温度が低く感じた。リビングに近づくにつれてさらに寒くなっていく。もう、夏はそこまで来てるはずなのにな。
「ただいま」
「……おかえり、拓人」
「あれ、父さんたちもう帰ってきてたんだ。……え、何」
ソファに座っている父さんと母さんの様子がおかしい。二人が喧嘩……するわけないか。今日だってデートしてたはずだし。
すると、キッチンの方から、包丁がまな板を叩く音が聞こえてきた。キャベツを千切りにでもしているのだろうか、やけにいい音だ。
「ただいま緋奈。今日は何作ってくれるんだ?」
我が家の副料理長、香西緋奈に声をかけると、動かしていた手を止めゆっくり顔を上げる。
「おかえりお兄ちゃん。私を騙してまで行ったデートは、楽しかった?」
冷え切った表情、まるで感情が感じられない冷徹な声色。
包丁を持って微かに口角を上げる妹の姿に、背筋を凍らせずにはいられなかった。
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