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「すまん社!」
「よかった……。事故とかじゃなくて安心したよ」
約束した時間から遅れること四十五分。駅に到着した俺は、改札前のベンチに座っていた社に、全力で頭を下げた。
そんな俺を怒ることもせず、安心したようにホッと息を吐いた社は、柔和な笑みを浮かべる。
「ほんと……ごめん。一応メッセージ送ったんだけど、見てない?」
「実は家に忘れてきちゃって……。こういうときのために必要なのにね」
「社は悪くない。遅刻した俺が悪いんだ。……ごめん」
「何回も謝らないで。遅刻くらい誰にでもあるよ」
社のことだ、きっと集合時間の一時間前にはここにいたに違いない。遅れた四十五分を足したら、二時間弱も待たせたことになる。
罪悪感を降り積もらせながら、そんな計算を頭の中でしていると、社が前髪を触ってそわそわし始めた。
「……すまん」
そんな社に今一度頭を下げる。
昨日から社に謝ってばっかだな、俺。このままだと愛想尽かされるのも時間の問題かもな……。
もう一度謝った俺の目を見て、社はしゅんと肩を落とした。
「……じゃあ、行こっか」
「お、おう。すま──」
「今日はもう……すまんとごめん禁止ね。私全然気にしてないから」
「……わ、わかった」
「うん、よろしい」
少し強めに言って俺の言葉を遮ると、社はふふっと笑って改札に歩いて行く。
笑ってはいるもののどこか威圧感があり、まるでつい最近までの社を彷彿とさせた。
初デートなのに何やってんだ俺は……。
遅刻した理由を説明すると、起こすと言っておきながら『気持ちよさそように寝てる我が子を起こすことはできませんでした』なんて置き手紙を残してデートに出かけた父と母がいたことと、後任で俺を起こしてくれるはずだった姉さんが、俺を起こすどころか俺と同じタイミングで起きた上に、洗面所を占領してくれたおかげで、準備に手間がかかってしまった。
元はと言えば、昨日ちゃんと寝なかった俺が悪い、悪いのだが……。このモヤモヤどうしてくれよう。
まぁ、どんな経緯であれ、社を待たせてしまったことに変わりはない。今更何を言ったって言い訳になるのだ。
「はぁー……」
ホームに上がるためのエスカレーターでため息を一つ。
何でこう失敗というのは重なるのか。今まで遅刻なんてしたことがないのに、一番遅刻したくない日に遅刻するなんて……。
とりあえず反省はデートが終わってからだな。これ以上社にカッコ悪いところは見せられない。
「電車、あとちょっとで来るみたいだね。並ぼっか」
「お、おう……」
なんて考えていると、電光掲示板で電車の時間を確認した社が、さっさと列に並んでしまう。
……やっぱりちょっと怒ってるっぽい。いやまぁうん、普通怒るよな。社、今日のデートめちゃくちゃ楽しみにしてくれてたみたいだし。
「社」
「っ! は、はい」
名前を呼ぶと、前髪を触って何やら期待のこもった視線を向けてくる社。
「……い、今から昼飯食うだろ? 遅刻したお詫びに俺が出すよ。社の好きなもん食べに行こう」
しかし俺がそう言った途端、社はまたしゅんと肩を落として、小さく頬を膨らませた。
「気にしなくていいって言ったよ? 自分の分は自分で出します」
「そ、そうか……。すま──」
今のは安直というか、悪手だったかもしれない。お金で解決しようとしたみたいで。そんなつもりはなかったんだけどね……。あと、社さんに睨まれてちょっと怖かったです。
会話もないまま数分がたち、やって来た電車に乗りドア付近を確保した俺と社は、向かい合うようにして立って同じ手すりに捕まりゆらゆらと電車に揺られている。
今回乗っているのは各駅に停まる普通電車で、遊園地のときに乗った快速電車に比べると人はあまり多くないように思う。
席はポツポツ空いているが、二人並んで座れる場所は見当たらない。
「座るか?」
「ううんいいよ。二駅だけだから」
空いてる席を一瞥して聞くと、社は小さく首を横に張って微笑をたたえる。
距離と身長差のせいで、社が俺を見上げるアングルになっており、社からちらちら向けられる上目遣いがなんとも可愛くて、心拍数が上昇しっぱなしだ。
それに、ちょっと視線を下にやれば、社の胸が目に入ってこれがまた心拍数のギアを上げている。社といると寿命が縮まっちゃうなぁ。
今日の社の格好は、ウエスト部分がリボンになったベージュ色のロングスカートに、胸元がゆったりとした白色のシャツだ。髪型も後ろでまとめて、お団子を作っている。
早死にはしたくないので落ち着けと心中で唱えながら、ガラスに映る顔とにらめっこを繰り広げる。誰この眠たそうで面白みのない顔。……俺か。俺だね。
しかしながら、ぐっすり寝たおかげで気になっていた目の下のくまはすっかり消えてなくなっていて、父と母が心配していた社の面目は保てているはずだ。まぁ、社に対する俺の面目が保ててないんだけど。
それにしても社さん、さっきからやけに俺の顔を見てきますね……。
気にしないふりもそろそろ限界が近いっす。
「……どうした?」
「っ! え、えーと……、な、何でもない……」
「そ、そうか」
前髪を触りながらぽそぽそと口にした社だったが、言葉とは裏腹にまだちらちらと目を覗いてくる。
「……顔、変か?」
急いで家を出たからな、まだ寝起きの顔に近い。元から眠たそうな顔してるから変わらないんだよな……。
社の視線に苦笑いで応えると、胸の前で小さく手を振った社は、わずかに頬を染め上目遣いで呟くようにこぼした。
「ううん……、かっこいいよ」
「…………」
予想だにもしないことを言われ、固まってしまう。
言った本人が恥ずかしそうに目をそらしたのと同時、俺もカァーッと顔が熱くなっていった。
今、絶対顔赤い。頬をかきながら顔を背けて、天井からぶら下がっている広告に視線を逃す。
その瞬間、車内アナウンスと共に減速を始めた電車が横に揺れた。
手すりに捕まっていた手にグッと力を入れて耐えた俺の腹部に、ふにっと柔らかい感触が襲う。
「っ……!」
そちらに目をやれば、瑠璃色の綺麗なお団子がすぐそこにあった。
爽やかなシャンプーの匂いに気を取られていると、胸のあたりがもぞっと動く。どうやら、社の手がキュッと俺のシャツを掴んでいるようだ。
「だ、大丈夫か?」
「あ、う、うん! ちょっと大丈夫じゃないけど……、その、ごめんなさい……!」
平静を装って声をかけると、社はパッと手を離して元の位置に戻る。
ぎこちない笑みを浮かべる社の顔は、驚くほど赤い。多分だけど、俺も同じくらい赤い。
今のって、社の……。やめろ何も考えるな!
それにしても、このままでは二人とも爆発しかねないな……。
「ごめんは禁止じゃなかったか?」
「……あ」
場を和ませるため咳払いをしてできるだけ軽い感じで言ってみせると、社は手で口元を隠して目を見開いた。
「い、今のは……。で、でも、香西君だってさっき言いかけてた」
スッと目を細めて予想外の抗議を飛ばしてくる社に、「おう……」と情けない声を漏らす。
おかしいな。俺はただこの空気をなんとかしようとおどけたつもりなんだが……。
「だから、まだ引き分け」
「はい……」
いつから勝負になったのかしらん……。マジトーンだったから思わずはいって返事しちゃったよぉ……。
完全に停止した電車は人の乗り降りを済ませたあと、次の駅に向け走り出す。次が俺と社の降りる駅だ。
さっきのような事故を未然に防ぐため、社はくるりと半回転して、俺に背中を向けている。
いつもとは違うお団子ヘアーのおかげで、首元が涼しそうだ。うなじが特にいい。
「あ、あの香西君、そんなにじろじろ見ないで……。恥ずかしい」
なぜバレた⁉︎ まさか社のこのお団子には目がついているのか? と、一瞬マジで思ったが、どうやら窓越しに見られていたらしい。見つかり方が危なすぎる。電車の中では気をつけないとね……。
「あー、す……」
っと、危ない。いつもの癖で謝りそうになってしまった。今思えば俺にとってなかなかきついルールだな、これ。
窓越しに社の目を見返して、ごまかすように俺は、社にまだ伝えてなかったことを口にする。
「……似合ってるな、服と髪型。その、可愛い……ぞ」
「っ! あ、ありがと……」
本当は、今日社を見つけたときから言いたかったんだけど、自分遅刻してるんで。その分際で言ってもね……。ほら社も、前髪を触りながら俯いてしまった。
その様子に軽くショックを受けつつ、電車のアナウンスに耳を傾ける。
もうすぐ俺と社の初デートの舞台に到着だ。
出鼻はつまずいたがここからが本番。昨日立てた、あの目標はなんとか達成したいところである。
「ふふっ、そっか……」
そう気合を入れている俺の目の前には、小刻みに肩を揺らしている社の姿があった。
やっぱり怒ってるのかしら……。
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