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鏡に映るのは、あいも変わらず眠たそうな顔だ。
毎朝見ている自分の顔だが……今日は、いつもよりひどいな……。
「……寝れなかった」
その原因を呟いて、目をこじ開けようと水で顔を洗ってみても、特に効果はない。
せめて、うっすらと浮かんでいる目の下のくまをどうにかしないとな……。
「はぁー……」
デートが始まる前からこんなんでいいのだろうか。
そんな心配をして、脇に置いてあったタオルで顔を拭き、改めて鏡を見た俺は、静かな洗面所で盛大なため息をつくのだった。
社と付き合い始めてから、今日でちょうど一週間がたつ。
先週も、勉強会で社と一緒にいたけど、そのときの関係と今の関係には、天と地ほどの差がある。
昨日、あまり眠れなかった理由は、デートに対する緊張と……、昼休みの失敗があったからだ。
社の期待を裏切ってしまった罪悪感で、胸が蟠っている。
ちなみに今日の予定は、昼前に駅に集合して、電車でショッピングモールに向かい、ご飯を食べたのち、店を見てまわる予定だ。
あそこにはいろいろあるし、ぶらぶらするだけでも十分楽しめるだろう。
現在の時刻は、朝の6時。平日より起きるのが早い。というか、ほぼ寝ていない。
布団の中でじっとしてられずリビングに降りてきたのはいいものの、休日のこの時間は、さすがに誰も起きてないようだ。
父と母はがちがちの公務員で、土日はもちろん祝日も休みで、有給休暇も月一頻度で使っているらしい。
実は俺も、公務員を目指していたりする。
姉の茉里は大学生なので、休日どころか平日も起きるのが遅い。なんで大学の長期休暇はあんなに長いのか。
妹の緋奈はみんなと違って、休日も起きる時間は変わらないらしく、みんなの分の朝ごはんを準備してくれているらしい。
俺は朝ごはんを食べない派なので、残念ながらその恩恵は受けていない。
「あれ、お兄ちゃん早いね」
「おはよう緋奈」
なんて考えていたら、緋奈がスリッパを鳴らしながらリビングにやってきた。先客がいたことに驚いているのか、目を見開いている。
寝癖のついている緋奈が新鮮で、じろじろ観察していると、緋奈は恥ずかしそうに髪を両手で押さえ込んだ。
「もう、そんなじろじろ見ないでよ」
「あぁ……悪い」
「寝癖なおしてくる!」
緋奈も女の子だな…….。お兄ちゃんは妹の成長に涙ですよ。
待つこと数分、ばっちり髪型を整えてきた緋奈は、キッチン横のラックに干してあるお気に入りのエプロンを装着して、朝食の準備を始めた。
「お兄ちゃんがこんなに早いなんて珍しいね」
「寝つきが悪くてな」
「えー、大丈夫? バイトのしすぎだよ、絶対」
「そうかもな……」
バイトしすぎってのは否めないが、別にそれが原因なわけじゃない。
緋奈は、俺がバイトを始めてからというもの、俺に何かあると、やたらとバイトのせいにする。
元々緋奈は、俺がバイトするのに反対してたからな。親二人は賛成で、姉さんは無関心でした。
「三年生になったらやめるんだよね?」
「その予定だな」
「それまでに何かあったら……」
「心配すんなよ。大きな怪我するような仕事でもないんだし」
「油断大敵だよ。この前も帰ってくるの遅かったし……」
それもバイトのせいじゃないんだよなぁ……。
夢前川の話を聞いてただけだ。あれからちょくちょく連絡してくるけど、あの子、明日の合コン大丈夫かしらん?
まぁ緋奈の過保護は今に始まったわけじゃないし、適当にあしらっておこう。
「なるべく早く帰ってくるようにするよ」
「うん! 約束だからね!」
さいばしをビシッと俺に向けて、ニコッと笑う緋奈。……ちょっと、怖いよ緋奈さん。
それにしても、よくこっちを見ながら手を動かせるな……。包丁とかで手切らないでよ? 俺も大概過保護でした。
緋奈が朝食を準備し終えると、父さんと母さんは、それを見計らったように起きてきた。いや、多分緋奈が二人に合わせたのだろう。
「おはよ緋奈……と、拓人?」
「あれ、まだ寝ぼけてるのかな」
「おい失礼だな」
「本物だよ二人とも」
色違いのパジャマを着て、お互いに頬をつねり合っている。朝からラブラブですな。
正直、親のそんな姿なんてできれば見たくないのだが、緋奈は気にもとめず、朝ごはんをテーブルに並べていく。どうやらこれは日常の風景らしい。
「あれ、父さんと母さんの分だけ? 緋奈は食べないの?」
「うん。今日は生徒会の仕事があって、お弁当にして学校で食べるんだ」
「土曜日なのに大変だね」
「もうちょっとで三年生は引退だし……それに、ちょっと頑張らないといけないこともあるから」
父さんと話している途中で、一瞬だけ俺に視線を向けた緋奈。しかし用があるわけではないようで、エプロンを外し、それを元あった場所にかけ直すと、父さんに醤油瓶を渡してリビングを出て行った。
「そっか、緋奈も来年で高校生になるのか……」
「そうね、早いわね……」
「まだ中三になったばかりだろ……」
隣同士で座る父と母は、俺のことを無視して遠い目をしている。いいからはよ食え、はよ。緋奈が準備してくれた飯が冷めちまうだろうが。
それから数分後、自室で制服に変身した緋奈が、リビングに舞い戻ってきた。
キッチンに置いてあった自分の弁当と、お気に入りのマグカップを持って俺の方にやってくる。
「はい、ココア」
「おー、悪いな。でも、このマグカップ緋奈のだろ?」
「いいの、お兄ちゃんが買ってくれたやつだし。今日は冷たいのにしてみました」
「……うん、美味しい」
「えへへ、よかった。じゃあ私は学校に行ってくるね」
「おう、いってらっしゃい」
「お父さんとお母さんも、今日は楽しんできてね!」
「ありがとう緋奈、気をつけてね」
「いってらっしゃい緋奈」
「行ってきまーす!」
朝から大活躍の緋奈を見送って、作ってくれたココアをちょびちょび飲み進めていく。
さすがは俺の妹、今日も今日とて好みの味に仕上がっている。
「よし母さん、そろそろ準備しようか」
「もう、母さんじゃないでしょ?」
「あはは、そうだったね。詩さん」
「おっちょこちょいな、昇さん」
息子の前で名前呼びはやめろ。そんでそれは今の俺にダメージを与える行為だ。
「そう言えば拓人、こんな時間に起きてるなんて珍しいわね」
「今更かよ……。まぁ、ちょっと寝れなくて」
「あら、体調でも悪いの?」
「そういうわけじゃ……っ!」
すると母さんは、俺の隣に座ると、自分のおでこと俺のおでこをくっつけて「うーん」と唸った。
「熱は……ないみたいね」
「そ、そういうわけじゃないって言ったろ! 恥ずかしいからやめろよな!」
「もう、照れちゃって可愛いんだから、ふふ」
平気でこういうことしてくるんだもんな……。力任せに振り払えないから困る。
そんで父さんよ、そんな羨ましそうな目でこっち見ないでくれ。
姉さんと緋奈を見てわかるように、母さんもとびきりの美人であり、その母さんを射止めた父さんも、顔は普通にかっこいい。
この二人のDNAから姉さんと緋奈が生まれてくるのはわかるが……、ほんと神様ってイタズラが好きな。
「それでー? 今日はどうして早起きなの?」
「……寝れなかったから、起きてるだけ」
「私はてっきり、今日のデートが楽しみで早く起きちゃったと思ったんだけど……」
「なっ、なんで知って……あ」
「言質いただいたり〜。昇さん! ついに拓人に彼女ができたようですよ!」
「さすが詩さんだね。そして拓人、おめでとう」
抜かった……。
昔から母さんは、恋愛ごとについて中々の鋭さを持っている。
幼稚園のときに好きな子を見抜かれたのが二回、小学生は四回、中学は一回、そして今回……。
「一体いつから」
「うーん、一週間前くらいから」
ドンピシャでぐうの音も出ない。
え、俺そんなわかりやすかった? 母さんが鋭すぎるだけだよね?
「多分、付き合い始めてから間もないと思うし、今日が初デートかな?」
「……お察しの通りで」
「どんな子なのか気になるけど……今日は私たちもデートだから、いろいろ聞くのはまた今度ね。あ! ダブルデートする?」
「するか!」
初デートに親同伴って、どんな地獄だよ。
「でも拓人、デートが楽しみなのはわかるけど……さすがにその顔じゃ、母さん恥ずかしいわ」
「そうだね」
親に見放された……わけではなく、目の下のくまのことを言ってるのだろう。だよな?
「起こしてあげるから、少し寝たら?」
「父さんもそれに賛成。恋人の身だしなみは、相手の印象にも繋がるからね」
俺は周りからどう思われてもいいが、俺のせいで社の評価を下げるわけにはいかない。
緋奈のココアのおかげで少し眠くなってきたし、ここは親に甘えさせてもらおうかな。
「……じゃあ、お願い」
「任せなさい!」
頼りになる両親だな……。
しかし、その数時間後、俺はこの選択を後悔することになるのだった。
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