月くらい知らない
それは、国語の授業で。
「委員長、この辞書図書室に返しといて」
「はい」
「社か。副委員長」
「えー、はい……」
「香西よろしく」
それは、数学の授業で。
「委員長この定規、あとで職員室に持ってきて欲しいんだけど」
「はい」
「社さんか……。副委員長誰?」
「……俺ですけど」
「じゃあ香西君よろしく」
それは、日本史の授業で。
「この資料、資料室に返しといて、委員長」
「はい」
「やっぱ副委員長」
「了解です……」
それは、科学の授業で。
「香西君」
「わかりましたー」
今日一日で仰せつかった雑用はざっとこんなもんか。休み時間のたびに教室から出たのは初めてかもしれない。
昼休み、昼食を済ませた俺は、科学の先生こと我らが担任青倉清子に頼まれた雑用をこなすため、理科準備室に訪れていた。
ここから見える中庭のテニスコートでは、制服を着た生徒がテニスを楽しんでいる。
試験管やビーカー等の実験用道具一式を棚に直し終えた俺は、丸椅子に座って、ネットの上を幾度も行き来するボールの軌道をボーッと眺めていた。
正直、副委員長なんて肩書きだけだと思っていたが、その考えは甘かったらしい。
まだ、風紀、美化、図書、保体、文化の委員は役割がはっきりしているけど、副委員長は、何をする委員なのか名前だけじゃわからない。委員長が存在する時点でいらないんじゃないかと思う。
しかし蓋を開ければ、それはただの雑用係で、先生たちの授業の準備を手伝ったり、片付けを押し付けられたりするなんとも言えない仕事ばかり……。
前回のホームルームでも、委員長である社のサポートに徹していたので、決して華のある役割とは言えないだろう。いやまぁ別に派手な仕事がしたいってわけじゃないんだけどね……。
ボールがネットにかかり、続いていたラリーが中断されたところで、俺は腰を上げた。軽く伸びをすると、一緒にあくびも漏れてしまう。
午後はたしか、二時間ぶっ通しで体力測定だったはずだ。女子と合同で行われるので、斗季が喜んでいたな。
そろそろ教室に戻るか……。ついでに飲み物も買っていこう。そんなことを考えながら引き戸に手を伸ばすと、コンコンと戸が叩かれた。
ノックなんてする必要ないのにと思いつつ戸を開けると、そこには社の姿があった。今回も右手で左ひじを抱えている。
「おっす。どうした」
「あ、えーと、手伝おうかなって思って来たんだけど。香西君帰ってくるの遅いから」
「それなら、今終わって帰ろうとしたところだ」
「そっか……」
何か言いたそうな表情の社だったが、そう呟いただけで、それ以上は何も言ってこない。
そういえば社は昼休みになると、弁当を持っていつも一人でどこかに行く。一年の頃からそうだったので、今日の昼休み自分の席で弁当を食べている社を見たときは、少しだけ違和感を覚えた。
「じゃ俺、職員室に鍵返しに行くから」
だらだらと話をしてこんなところを他の人に見られるのも社に悪いし、この前のラブレターの件でちょっと気まずい。
さっさとこの場から離れたかった俺は、後ろ手で戸を閉め鍵を掛けようとしたのだが、社が閉めた戸を開け、「ちょっといい?」と言って微笑をたたえたので、その手を止めて頷くことしかできなかった。
他の人に見られないよう戸を閉め、近くにあった丸椅子を二つ手に持ち一つを社に渡すと、ありがとうと言いながら社はそれを受け取った。
触れれば折れてしまいそうなほど細い指と、綺麗な形をした爪。社は、どこを摘みとっても可愛いのかもしれない。
先に座った社から少し離れたところに座って、さして気にしていない時間を確認する。まだ昼休みの時間には余裕があった。その証拠に、中庭からは、一定のリズムでボールを打つ音が聞こえていた。どうやらラリーが再開したようだ。
「暗いな、電気つけるか?」
「ううんいいよ。私暗いところ好きなんだ」
「へぇ、そうなのか」
意外……でもないか。暗いか明るいかしかないわけだし。確率は二分の一だ。
けれどたしかに社は、華やかではなくおしとやかなイメージがあるので、ドレスよりも和服の方が似合う気がする。って、全然関係ない話だね!
とまぁ、こんなことを考えてないと動揺を隠せないほど動揺している……。さっきの社は……なんかよかった。
「で、なんか用か?」
声がうわずらないよう心がけそう切り出すと、膝の上に置いていた両の手で、スカートの裾をぐっと握った社は、上目遣い気味に俺を見つめてくる。
「香西君って……私のこと、どう思う?」
「……どう、とは?」
「頼りなく見える?」
「あぁ……そ、そうだな」
焦った……。可愛いとか好きだとかそっちの話かと思った。
ほんとやめてほしいよね、彼女できたか? とか、あの子に話しかけてみろよとか言ってくるの。簡単に出来るわけないし、話しかけられる側のこと考えて発言しろ。
バイト先の愚痴を心中でぶちまけながら、心配そうに見つめてくる社の質問の答えを必死に考える。
頼りなく見えるかと聞かれたら、その答えはイエスになるだろう。
華奢な体つきだし、どこか儚げで、守ってあげたくなるような雰囲気は、城に囚われたお姫様のよう。
もちろんそれは外見の話で、勉強も運動もできる完璧人間だと知っていたら、少なくとも頼りないという印象は抱かない。むしろ俺よりも遥かに頼りになるはずだ。
「頼りない……ってことはないんじゃないか? だから青倉先生も、社を委員長に推薦したんだろ。実際、この前のホームルームはテキパキしてたし」
「そうかな……。でもほら、最近、授業終わりに仕事任されるの香西君の方が多いし」
「それはあれだろ、社にはもっとふさわしい仕事があるからだ。雑用は俺の仕事ってことだろ」
「それだと、香西君の負担が大きい気がする……」
「いやいや、人に言われて動く方が楽だぞ。将来の予行練習」
学校は勉強をするだけの場所じゃない。目上の人の命令に慣れておく場所だ。青倉先生に出会えてよかった!
「香西君って……変わってる?」
「いやいや俺が普通。むしろ社会人としては優れているはず」
「私たちまだ学生だよ……」
「副委員長の俺でそれなんだから、委員長の社はもっと優れてるだろ。だからその……心配しなくても、頼りにはされてるんじゃないか?」
どうして社がそんな心配をするのか俺にはわからないが、質問の答えはこれでよかったのだろうか。
頬をかきながら言った俺に、社はクスッと笑顔を見せた。
暗い部屋にいるはずなのに、社の笑顔はよく見える。
社はきっと月のような女の子なのだろう。暗いからこそよさが際立つ。そして、ころころとその形を変えるように、社も表情が豊かだ。
「そう言ってもらえると嬉しい。でも、やっぱり、香西君だけには任せておけない」
「俺そんな頼りないですかね……」
「ち、違うよ! 香西君だけに任せるのは悪いって意味! だから、今度からは二人で一緒にやろう」
「……いいのか?」
「うん、もちろん」
俺が聞いたのはそっちのことじゃないんだが……。
まぁでも、委員長と副委員長って肩書きがあるし、距離感さえ気をつければ迷惑にはならないか。
中庭から聞こえていたボールの音はいつのまにか消えていて、雲間から差した光がちょうど窓から入ってくる。
「あ、そう言えば、次の時間体育だから早く戻らないと」
「そうだな。鍵も返さないとな」
「じゃあ早く行こう」
「いやこれは一人でやるけど……」
「じゃあ私が一人で行くよ」
「いやそれは……」
「そういうことだよ?」
俺はきっと社奏のことを全然知らないのだろう。
陽の光に照らされた彼女の笑顔も、それはもう、魅力的だった。
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