先に言われた
駅周辺と打って変わって、図書館はとても静かだ。
俺たちと同じ目的でここを利用している人もいるようで、テーブルに教材を広げているグループがちらほら見受けられる。
「よく来るのか?」
「昔はよく来てたんだけど、最近はテスト前に使わせてもらってるくらいかな」
眉根を寄せて小さく笑った社に「そうか」と返して、空いていた席を確保する。
「よし。ここからはちゃんと勉強します」
「よろしくお願いします」
時刻は昼の1時43分。俺と社は、月曜から始まるテストに向けて、本格的に勉強を始めた。
俺は社に数学を重点的に教えてもらいながら、配られたプリントや教科書に載っている問題をひたすら解き続け、社は俺の様子を見てくれながら、自分の勉強を進めていく。
集中力が途切れとぎれの俺と違って、社の集中力は凄まじく、これまで学年首席を譲ったことがない理由がなんとなく理解できた。
社と二人で勉強か……。ほんと、高一のときには考えられなかったことだよな……。
たしか俺と社が初めて会話らしい会話をしたのは、高一のときの文化祭がきっかけだ。
文化委員だった俺ともう一人の女子とで司会をしていたホームルーム。その日は文化祭の出し物を決める日だった。
『演劇がいいと思います』
クラスの男子が演劇をしたいと申し出た。
演劇自体はいい案だと思うし、文化祭らしいとも思ったのだが、目的は演劇を楽しむためではないとすぐにわかった。
『主役は、社さんで』
『だよね』
『社さんがやるなら俺も劇でたい』
『お客さんいっぱい来るよね』
ただ、社を目立たせたかっただけ。きっと悪気はなかったんだと思うけど、その行為を善なのか悪なのかを決めるのは、社だ。
社の様子を見た感じだと、明らかにやりたくなさそうだった。
社の意見を聞かず、どんどんと話が進んでいって、危うく演劇に決まりかけた。
『まぁとりあえず、他にも意見ちょうだいな。演劇とか準備大変そうだし、もっと楽なやつの方が文化委員的にはありがたいでーす』
クラス全員が本気でやる気ならもちろん俺も本気でやる。でも、今回のこれはそうじゃない。
その日は結局、出し物が決まらず次回のホームルームに持ち越された。俺の適当さにクラスからブーイングは起こるし、青倉先生にも軽く怒られたからな。
そして、放課後の昇降口で、初めて社と話した。
『あ、か、香西君』
『お、おぅ……社奏』
『あの、さっきは、ありがとう』
『……いや、俺は何もしてないけど。普通に嫌だったからな』
『そ、そっか』
『そうだ。……じゃあな。明日またホームルームあるから何やりたいか決めといてくれ』
半分社から逃げるようにして帰ったっけな。今思うと相当愛想が悪かったかもしれない。
しかし、間近で見る社はこれまで見てきたどの社よりも、はるかに可愛かったのを覚えている。
その社が今、ひじが当たってしまいそうなほど近くにいて、俺の隣で勉強をしている。
長いまつ毛を瞬かせ、桜色の艶やかな唇を微かに動かし、はらりと揺れる瑠璃色の髪を耳にかけなおしている。
言い訳にはしたくなかったが、俺が中々集中できない理由の一つはこれなんだよな……。
先に座った俺の隣に社があとから座ってきて、あれ? って思ったもんね。
『お、教えながらだから、隣の方がいいかなって……。ダメ、かな?』
社の言い分も納得できなくはない。そもそも教えてもらう側だし文句なんて言えない。
そうしてなるべく社に合わせようとした結果、この距離である。
まぁ非常階段でご飯を食べるときは隣に座るし、遊園地のときもこれ以上に近づく場面は何度かあった。この程度の試練、幾度となくぐってきたのさ……。
でも、それまでは社を意識しないようにと心がけてきたから乗り越えられていたわけで、好きになってしまった今では、それまでの状況とまるで違う。戸堀先輩の情報があるから余計にだ。
集中している社に声をかけるか迷ったが、俺はトイレのため静かに席を立つ。
「どうしたの?」
「あぁすまん邪魔した。トイレだ」
「そっか。私も休憩しよっかな」
シャーペンをノートの上に置いて、社はうーんと伸びをした。体を少しそらすだけで胸が強調され、社のスタイルの良さが浮かび上がる。
さっと視線を外し、机の上のスマホで時間を確認すると、勉強を始めてから四時間もたっていた。まぁ俺が勉強してたのは二時間くらいなんだけど。
社はその間一回も休憩を取ってなかったし、この辺で休ませておいた方がいいだろう。
「ちょっと外出るか」
「うん」
この図書館には中庭がある。
石畳で、大きな池があって、その中心に休憩する場所がある。
そんな目立つ場所で休憩する必要もないので、池の周りにあるベンチに腰掛け、トイレに行ったときに買った飲み物を社に手渡す。
「あ、お金」
「これは今日のお礼だから気にするな。安すぎるかもだけど」
「そんなことないよ。でも……本当にいいの?」
「おう」
「……じゃあ、いただきます」
ほぼ同時に缶の蓋を開けて、冷たいミルクティーを一口煽る。
「甘いの平気か?」
「うん。美味しい」
社は缶を両手で持って微笑んだ。社が出てるCMまだ? 箱買いしたいんですけど。
動揺を隠すため、さらに美味しくなったミルクティーを一気に飲み干す。
「今日は役に立てた?」
「おう、マジ助かった。今回のテストも乗り越えられそう」
「それはよかった。授業中の香西君は、寝てるか窓の外をぼーっと眺めてるかだもんね」
「……バレてるのか」
いやまぁこれっぽっちも隠してはないんだけど、まさか社に見られているとは……。
苦笑いを浮かべた俺に、社はふふっと笑いかける。
缶を軽く左右に振り、空になったことを確かめた社は、足元を見ながらぽつりと呟いた。
「もうすぐ閉館だから、帰らなくちゃね」
「……だな」
「まだこんなに明るいのに」
五月も下旬になると、日が長くなる。まだ気温は上がりきらないが、夏はもうひょっこり顔を出している。
「まぁあれだ、また頼むかもしれない」
「え?」
「勉強教えてくれって。次のテストとか、その次とかも」
我ながら恥ずかしいことを口走ってしまった。
社にとって迷惑かもしれないのに、ちゃんと自分で勉強して授業もちゃんと聞けと怒られるかもしれないのに。
顔を上げてパチパチと目を瞬かせた社は、優しく微笑んで、「うん、いいよ」と、うなずいてくれた。
「今日は私が誘ったから、次は香西君が誘ってね」
「任せろ、死ぬ気で頼むから」
「そんな責任は負えないよ……」
まだ、確信のない約束をした。
次のテストが来るまでに、もしかしたら、俺と社の関係は大きく変わってるかもしれない。
一つ言えることは、今のままではいられないということ。
テストが終わったら、社に告白する。
その結果次第で、次があるのかないのかが決まるのだ。
「帰るか」
「うん」
『友達』の社と過ごすのは、きっと今日で最後になるだろう。
だから、オレンジ色の光が照らす社の横顔を俺は、目に焼き付けることにした。まぁ社にはすぐバレるだろうから言い訳を考えないとな……。
「香西君」
「っ……はい」
ほらね。
「私ね、香西君のことが好き」
遠くでカラスが鳴いている。ラノベに出てくる難聴系主人公でも、はっきりと今の言葉は聞こえるはずだ。もちろんそんな属性を持ち合わせていない俺にはしっかりと聞こえた。
オレンジに負けないくらい顔を染めた社が、真剣な眼差しを俺に向ける。
……予想外でしかない。告白しようと思っていた相手に、告白を先越されるとか聞いたことないんだけど。
はぐらかしたり、答えを先伸ばすようなヘタレにはなりたくない。
社の告白を真摯に受け止め、俺は答えた。
「俺も、社のこと好きだ」
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