少しずるく
朝の教室に漂ういつもと違う空気に、俺は息を詰まらせる。
視線が痛い。主に男子からの。
「おはようかーくん。今日もいい天気」
「……おはようさん」
全く空気を読まない氷上に小さくうなずき返して、自分の席に座る。
ここに来る間も、ちらちらと視線を向けられていることには気づいていた。……まぁ原因は昨日の放課後のことだろう。
あの社が、男と二人で話をしていた。しかもあんな目立つところで。その相手が誰なのか、ここの生徒なら気になるのは仕方ないのかもしれない。
ここは無視だ。何か聞かれるまで無視。そんで何か聞かれたら「何にもない」で突き通す。
『二人きりじゃ、いや?』
社の言葉を思い出し、カバンを枕に机に突っ伏す。
……何もなかったとは言えないぞ、これ。何も考えないようにしてたけど、あれってどう言う意味なんだ……?
社は二人でいいのか? 二人がいいのか? 女の子が異性と二人きりでって、どんな意味が込められてるんだ……。
いや待て冷静になれ。
これまで数多くのアニメ、漫画、ラノベでラブコメを学んできた俺なら、あの言葉の意味を理解できるはずだ。
あれは別にデートとか、遊びに行く約束じゃない。単なる勉強会の誘いだ。しかも社は、『今日のお詫び』と強い口調で言っていた。つまり、勘違いするなよという意味が込められているに違いない。
真面目な社のとこだ、昨日の勉強会を邪魔したことに対して、少なからず罪悪感を持っているのだろう。
しかしわからないのは、なんでわざわざあんな目立つところで言ったのか。
普段の社なら、周りの目にいっそう気を配るはずなのに、まるで見せつけていたようにも思える。
最近の社は、教室でよく横山や氷上とも話してるし……別におかしいことじゃないのか?
「香西君、うっす」
「や、社……」
どうした社奏。ここは教室だぞ。
ちらりと周りを見やれば、やはり社は注目の的で、その話し相手である俺にも視線が痛いほど突き刺さる。
ごくりとつばを飲んで、「うっす」と返す。
前にもこんなことがあったな。多分挨拶しにきただけだろう。この前みたいに言い訳できるような理由はないけど……。
しかし社は、なかなか自分の席に戻ろうとしない。
「……どうした」
「えーと、昨日の約束のことでちょっと話したくて」
「っ! こ、ここでか?」
「うん。ダメかな?」
「ダメではないけど……メールでもいいような気がしなくもないというか」
「それもそうだね。メールもいいね」
痛い、周りの視線が痛すぎるよ! しかもちょっと社さん声が大きいですね……。これだと絶対勘違いされるぞ。
「じゃあまたメールで。あと昨日も言った通り、二人で勉強しようね」
「お、おう……」
にこっと笑って胸の前で手を振った社の背中を見送る。
今、何が起きてたんだ……。本当にあれは社だったか? 横山や戸堀先輩に何か入れ知恵をされたんじゃ。
「おい香西どういうことだ」
「なんで香西が社さんと……!」
「お前あれか、なんだ、あれだな?」
と、近くにいたクラスメイト達がわらわらと俺の席によってきた。その間から見える社の席でも、似たような現象が起きている。
「俺にもさっぱり……」
俺の知ってるラブコメに、こんな展開はなかった気がする。
一体社にどんな心境の変化があったんだろうか……。
「いやぁ後輩君」
「……先輩の仕業ですか」
「うーん、何が?」
放課後、保健室に行くとカードを並べた戸堀先輩が、ニヤニヤしながら俺を迎えてくれた。
いやまぁ原因はこの人だと思ってました。
「社に何言ったんですか」
「ほほう、どうやら社ちゃんはさっそくやってるみたいだね」
丸椅子を持っていき先輩の向かいに座ると、嬉しそうに笑って並べたカードを手元に戻す。
そんな先輩にこれでもかと見せつけるように大きなため息をしたのだが、まるで気にしていない。それどころか、またカードを並べ始めている。
「その、迷惑なんですけど」
「何が」
「社のことです。俺は周りにどう思われようが構いませんけど、社はダメなんですよ。いろいろあったみたいですし……」
もしまた社に何かがあったら、俺はきっと何もすることができない。
俺のせいで社が変な目で見られたり、後ろ指をさされたりしたらどうすればいい。
すると、戸堀先輩は、並べたカードをめくりながら静かに口を開く。
「たしかに私は、社ちゃんにアドバイスをした。どこかの誰かさんが鈍感なせいでね、するしかなかった。でも、行動に移したのは社ちゃんだよ。後輩君と一緒で、社ちゃんも周りにどう思われてもいいんじゃない? ただその一人がいれば。おっと、これは……」
社がそんなこと思うのだろうか。一年間、いやそれ以上の年月をかけて人を遠ざけていたのに。
カードをめくりながら先輩は続ける。
「後輩君はさ、よくラブコメのアニメとか漫画を見るよね?」
「はい。好きなんで」
「即答だし真顔なのがちょっとキモいよ……。まぁいいや、その物語に出てくる女の子ってさ、基本成長するでしょ」
「まぁ、そうですね。可愛さとかめっちゃ成長します。いやでも小さい子は成長しちゃダメですよね。あと、胸とか」
「後輩喧嘩売ってる? と言うか私が言ってるのは見た目じゃなくて中身のことだから」
さりげなく足を踏んでくる戸堀先輩の抜かりのなさに、全俺が感動した。
でも、先輩が何を言いたいのか全くわからない。
「つまりどう言うことですか」
「なんでわかんないかな……。まぁそれが後輩か」
短く息を吐いて、先輩は最後のカードをめくる前に、俺に言った。
「人が変わる理由なんていろいろあるけどさ、女の子が変わる理由なんて意外と単純だよ。それまで積み上げてきたものがどうでもよくなるくらい、後輩君のことが……これ以上は、言わなくてもわかるよね」
「……」
「これくらいしないと、君は気づかないから。多分だけど、社ちゃんも相当頑張ったと思うよ」
さすがの俺もそこまでヒントをもらえれば、答えにたどり着く。
でも、だから、わからない。社が、俺を好きになる理由が。
俺は何もできないやつだ。そんな俺と違って社はなんでもできる。勉強も運動も料理も、なんでもだ。
……そんな社にしてやれることなんて何もない。できるとすれば、社を遠くから見守ってやることくらい。後ろを振り向きたくなったとき、そこにいてやれるくらいだ。
「言ったでしょ。単純なんだよ、きっかけなんて。後輩君はどうなの、社ちゃんのこと」
「……そりゃまぁ」
俺の表情を見て、先輩が畳み掛けてくる。
多分俺は、社のことが好きだ。
一年前、社のことを見たときは何も思わなかったのに。
「後輩の素直ところは評価してる」
「それ以外にも……いや、ないっすね」
自嘲気味に笑って、先輩の手元に目を落とす。
「めくらないんですか?」
「あぁ、そうだね」
「というか誰占ってたんですか」
「そりゃ後輩君だよ。昨日占ってなかったからね」
言いながら最後のカードをめくった先輩は、そのカードを見てこてんと首を傾げた。
「何か?」
「あ……いや、間違えたのかな……。まぁいいや、とりあえず後輩君の恋愛運は今最高潮。誰に告ってもいい返事しか聞けないね、うん」
「ちょっとずるい気がするんですけど」
こんなの答えを先に見て、途中式を考えるようなものだ。
それに俺は、今すぐどうこうしようって気は全くない。テスト前だしな。
「恋なんて少しずるいくらいがいいよ」
「恋じゃなくて占いのことですよ」
「私の占いにけちつけるなんていい度胸だね。表出な、私は出ないけど」
「それただ締め出してるだけだから」
こうして俺は、意外な形で社の気持ちと自分の気持ちに気づかされた。……本当にずるいと思う。
それにしても社って俺のこと好きなのか……。これって、やばいよな。
しかし俺の恋愛運は、最高潮らしい。
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