落し物
懸念していた委員の選出は、青倉先生の推薦の効果により、つつがなく進行して、委員長、副委員長の他にあった五つの委員は、それほど時間もかからずに決まった。
二時間とられていたホームルームの時間割だったが、丸々一時間は自習となり、俺は放課後まで寝て過ごした。
朝、社に渡されたプリントの記入を終えて、先生に提出しに行くと、「自習時間は寝る時間じゃないわよ」なんて注意をされたが、自習と決まった瞬間、軽い足取りで教室を出て行ったこの人に言われたくないなと思った。それになんで俺が寝てたこと知ってんの? 教室に隠しカメラでも付いてるのかな?
「あーこれか……」
先生の愛の重さに限界を覚えた俺は、職員室近くのトイレに入って、真実を知ることになる。
洗面台の鏡には、生まれつきの眠そうな目が、寝ていたおかげでさらにとろんと垂れ下がっているのと、右頬にばっちりついた、寝跡が映っていた。
水で顔を洗って、ハンカチで顔をゴシゴシと念入りに拭いても、寝跡は取れない。今からバイトがあるのに……。まぁそのうち消えるか。
寝跡を消すのを諦め、あくびを一つして職員室の前を通り昇降口に向かっていると、階段から社が降りてくるのが見えた。どうやら彼女も今帰りのようだ。
腰あたりまで伸びた瑠璃色の髪が、歩調に合わせてゆらゆらと揺れている。遠くから見ても、その綺麗さは異彩を放っていた。
別に見たくて見てるんじゃなくて、たまたま視界に入ってるだけだからね? と、自分に言い訳しつつ、社に追いつかないよう歩調を緩めて歩く。
朝にああ言った手前、俺から社に話しかけることはできない。社にとっても迷惑だと思うし。
すると、社が何かを落とした。本人は気づいてないみたいで、落し物を残したまま遠ざかっていく。
おい気づけよ。この状況は見て見ぬ振りできないって……。
歩調を戻して、社が落とした物を拾い上げる。
それは、白い便箋だった。表には、『社さんへ』と書かれている。開けられた様子はなく、中に入っているであろう手紙はまだ読まれていないようだ。
こんなんもん落としていくなよ……。これってあれでしょ、ラブなレターでしょ? 今どき珍しいな。
まぁでもあれか、社は男を寄せ付けないことを徹底してるから、社の連絡先を知らないのかもしれない。なら、告白の手段はこれか直接言うかのどちらかになる。
これは正しい判断だぞ。姉も妹も、メールとかで告白してくる男子はありえないって言ってたからね!
その勇気に免じて中を見るのはやめてやるぜ……。全然興味ないけど。
昇降口に消えた社を追って、駆け足で廊下を進む。
昇降口についた瞬間に飛び込んできたのは、靴を履き替えている社の姿だった。屈んだ姿勢だったので、スカートの中が見えそうになっている。なんでそんなスカート短くしてるん? 見えても文句言えないぞこれ。ストッキングがなんかエロいし。
目をそらして咳払いをすると、社が小さく声をあげた。学年色である青の上履きを揃え、指の間に挟んで持ち上げている。
「すまん、驚かせた」
「あ、うん、驚いた……かな」
上履きを持ってない方の手で頬をかく社は、何度か瞬きをしたあと、下駄箱に上履きを入れた。
社の際どいところを見てしまったせいで、意味もなく緊張してしまっている。さっと落し物を返すだけなのに、何をしているんだ俺は……。
「……まだ、帰ってなかったんだ」
「あ、あぁ、朝のプリントを先生のとこに提出しに行ってたから。社も遅いな、部活か?」
「部活はやってないよ。まぁちょっと用事があって」
「そ、そうか」
視線を落としながら小さい笑みを作った社の様子から察するに、このラブレターはついさっき貰った物なのだろう。
異性に好意を持たれたことのない俺からしてみれば羨ましいかぎりなのだが、社の表情はどこか浮かない感じだ。
ラブレター貰うなんて羨ましいなこのこのー、なんてうざい友人のノリは通用しないなこれ。まず友じゃないので、ただのうざい人なんだよなぁ。
社にどうこのラブレターを返すか考えていると、俺の顔をじっと見ていた社が、ぷっと吐き出すように笑った。
「香西君、寝跡がすごいことになってるよ」
「あぁ……これな。そんな目立つか?」
「うん。まだ当分は残りそう。自習になってすぐ寝てたもんね……。あの時間は、寝る時間じゃないよ?」
「先生にも同じこと言われたんですけど」
バイトまでに治るだろうか……。ちょっと不安になってきた。
というか、なんで俺が寝てたのを、社は知ってるんですかね。なんか恥ずかしい。
……って、そんなことはどうでもいい。俺の目的はこのラブレターを社に返すことだ。長い時間話すのも社に悪いし早く返してしまおう。
余計な言葉はいらない、さっき見てるはずだし渡せば気づくはず。社の大きな瞳から目をそらして、スッとラブレターを差し出した。
「これ」
「……え」
「手紙」
「え、え? 香西君から……?」
手紙と俺の顔を交互に見て頬を染めた社は、右手で左ひじを抱くと、半身をそらして俺と距離を取った。
いやいや距離取る前にこれ受け取ってね?
腕を伸ばしてラブレターを近づけると、目を泳がせていた社は、体を強張らせてそれを受け取る。
なんでそんなに動揺してるんだよ……。一回貰った物なんじゃないの? と、社の反応に違和感を覚えた俺は、ただならぬ誤解を社に与えてしまっているのではないか、という結論にたどり着いた。
「……あ、それ俺からじゃなくて、落し物だから」
「……へ?」
危うく告白してないのに振られるところだったぜ……。
平静を装って、誤解を解くよう足らなかった言葉を付け足すと、社はそのラブレターに視線をやって、さらに頬を染めた。どうやら見覚えはあったらしい。
目的は達成できたので、これ以上ここにとどまる理由はないんだけど……、何も言わずに去るのも、雰囲気的にいい選択ではない気がする。……しかし、こんな気まずい状況は、未だかつて経験したことがない。
俺、振られた方がよかった?
うーん……と、心の中で唸っていたら、短く息を吐いた社が顔を真っ赤に染めたまま、ラブレターをカバンの中に丁寧にしまい込んだ。
「……ありがとう香西君。落し物を拾ってくれて」
「まぁその、気をつけて。じゃあまた」
「……うん、また」
俺は半ば逃げるように、社に背を向けてその場を離れた。
変な誤解を生まないよう、これからは言動に気をつけないとな。つーか、社も社だろ。ラブレター落とすなよ。元を辿れば告白したやつが悪い。ちっ、中見て掲示板に貼っときゃよかったぜ。
靴を履き替えながら、小さな声でぶつくさ文句を言ってる俺の頭の中は、社が見せたあの笑顔を思い出していた。
寝跡、そんな目立ってるか……。
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