勘違いしてもいい
「じゃあな拓人ー」
「おう」
「社さんも」
「うん、さようなら」
一足先に靴を履き替えた斗季が、手を振って昇降口から出て行った。どうやら斗季は、今から遊びに行くらしい。テスト前なんですけど……。
そんな斗季を見送って、俺と社は、昇降口で立ち尽くす。
グラウンドに目をやれば、運動部が声を出しながら練習をしている。もう数日するとテスト前休みに入るので、この声や校内に響く楽器の音も聞こえなくなるだろう。
「すまんなテスト前に」
「ううん。戸堀先輩とお話しするの楽しかったから」
「……そうか」
隣にいる社に軽く頭を下げると、社は小さく頭を横に振って微笑をたたえる。
戸堀先輩も俺や斗季と話すときより、社と話しているときの方が実に楽しそうだった。時折俺に向けてくる視線は気になったが、やはり同性の方が話しやすいのだろう。
「また戸堀先輩のとこ行くから、そのとき誘ってもいいか?」
「え……い、いいの?」
「おう。社こそ迷惑じゃないか?」
「私は全然!」
戸堀先輩には世話になってるしな。まだ社と話足りなそうだったから連れて行ってあげよう。……テスト終わったらだけど。
さて、そろそろバイトに向かわないと遅刻してしまう。社会人の基本は時間を守るところからだ。
「……」
「……」
そう思いつつも、俺の足は動かず、社との間に沈黙が流れる。ちらりと社を見やれば、社もちらちらとこっちの様子を伺っているようで、何度も目が合ってはそらされている。
この状況は、一緒に帰るべきなのだろうか……。
いや待て落ち着け。例えば相手が、横山や氷上ならその選択肢を簡単に選択できる。
しかし今回は社だ。もし仮に、一緒に帰っているところを誰かに見られようもんなら、社の学校生活に多大なるご迷惑をおかけする可能性がある。氷上の件でもちょっと迷惑かけてるし。
でも、ここでじゃあばいばいは、素っ気なさすぎる気がしなくもない。俺は別に社に嫌われたいわけじゃないからな。好かれたい願望もないけど。
こう悩んでいる時間も、社にとっては命取りだ。早く、早く決めなければ……!
「か、香西君」
と、うだうだ考えている俺の隣で、社が目を泳がせながら俺の名前を呼んだ。
そして、一呼吸置いて上目遣いになると、肩をすくめて笑顔を作る。
「私たち友達……だよね」
「お、おう」
「なら……一緒に帰っても、おかしくないよね?」
おかしくはない、な。
「でも、いいのか?」
「……私、勘違いされてもいいよ。香西君となら」
その瞬間、心臓が強く脈を打つ。それってどういう意味なんだろう。
勘違い? なんのだ。俺とならって……?
頬を染めて目を見つめてくる社が、冗談を言っているようには思えない。……これってもしかして。
「…………。友達って、みんなに知られてもいいってこと」
「あ、あぁ。そ、そうか」
あっぶねー! 危うくラブコメが始まったのかと勘違いするところだったぜ!
うんうん、ありえないありえない。社とラブコメはないと思ってました!
何で期待しちゃうんでしょうね……。ラノベとアニメの見過ぎかな? 控えようかな? それは無理だな。
動揺がバレないよう一つ咳払いをして、社の目を見返せば、口をつぐんだ社にツーンと目をそらされる。
あれ、なんか怒ってるのかしらん……。
「戸堀先輩の占いって当たるんだね」
「そうだな。先輩の占いはたしかに当たる」
ちなみに、社も何を占ってもらっていたのか先輩に聞いている。
「……鈍感さんだ」
「え、悪口?」
「うーん……。そうだよ」
「え……」
言って、先に歩き出した社の背中に小さく声を漏らす。悪口なんだ……。
その背中を追ってとぼとぼ歩いていると、立ち止まった社が振り返って、細めた目で俺を射る。
「今週の土曜日、香西君は暇ですか?」
「テスト前の土日は、バイト休みだな」
「なら、一緒に勉強をしましょう。今日のお詫びです」
「ま、マジか」
社に教えてもらえるのか。それは助かる。
でも、何でこんな目立つところでそんなことを……。会話の内容までは聞かれてないだろうが、グラウンドからは視線を感じる。それに、語尾にやたら力がこもってるのと、敬語なのがちょっと怖い。
「じゃあ決まり」
「斗季も呼ぶか?」
「…………きり」
「え?」
「二人きりじゃ、いや?」
この会話のあと、俺は社とどう帰ったのか、どうやってバイトに行ったのか、よく覚えていない……。
「先輩どうしたんですか?」
「うん?」
気がつくと、バイトが終わっていた。
事務所から出た俺を待ってくれていたのは、バイトの後輩、夢前川ソフィアだ。
「うん? じゃないですよ。今日は一日中心ここにあらずって感じでしたけど」
「あ、あぁ……ちょっとな」
「何ですかそれ」
呆れたように短く息を吐いた夢前川は、駅に向かい歩き出す。
その少し後ろをついて歩きながら、足元に視線を落とすと、放課後のあの光景が頭に浮かぶ。
「夢じゃないのか……」
「え、呼びました?」
「あ、いや……あ」
肩越しに振り返った夢前川の顔を見て、俺はあることを思い出した。
がさごそとカバンの中を漁って、自分なりに丁寧に畳んだハンドタオルを夢前川に差し出す。
「この前はありがとな」
「……別に気にしなくていいって言ったのに」
「そういうわけにはいかんって言ったろ」
「……ありがとうございます」
小さく頭を下げた夢前川は、ハンドタオルを受け取ってカバンにしまうと、「で、今日はどうしたんですか?」と、首をかしげた。
心配してくれているのだろうか。いや、夢前川に限ってそんなことはないな。隙あらばバイトやめさせようとしてくるしな、この子。
「何でもない」
「……私にはあれこれ聞いてくるくせに」
目をそらして呟いた夢前川に、ちょっとした罪悪感が生まれる。
まぁたしかに、聞くだけ聞いて答えないのは悪いか。でも、今日のことは夢前川に話すようなことじゃない。
「今日のことは夢前川に教えるほどのことでもないからな。他のことなら答える」
「そうですか。なら、いつバイトやめるんですか?」
「いややめないからね?」
「どうすればバイトやめてくれるんですか?」
「え、何、俺のことそんなに嫌い? さすがに泣くよ?」
「……なんだ、いつもの先輩じゃないですか。心配して……あ、いや、なんでもないです」
どうやら、今日のバイト中の俺は相当やばかったようだ。……気をつけないとな。
ふっと息を短く吐いて、前を歩く夢前川の背中に声をかける。
「夢前川の学校も、もうすぐテストだろ? 夢前川は成績いいのか?」
「高校のテストは初めてですよ。中学のときはまぁ……いい方だったんじゃないですか」
「……夢前川も勉強できる美少女かよ」
「びしょっ……何を言って……」
社に妹の緋奈、姉さんも勉強できるし、社のことをライバルって言ってる氷上も勉強はできるって言ってたな。戸堀先輩も頭いいし……。ちょっとくらい頭のよさを俺に分けてくれないだろうか……。
でもあれだな、横山は絶対勉強できないよな。そうであってほしい。
「……どうした」
そんなことを考えている俺を、頬を染めながら睨む夢前川に苦笑いを返す。
「先輩ってほんと……」
「ん?」
何か言いかけた夢前川だったが、俺と目が合うと咳払いをして、悠然とした態度を見せる。
「先輩は成績どうなんですか?」
「テストはそこそこ。通知表は基本的に3が並んでる」
「3って、私見たことないですよ」
「お前マジか……」
「マジです」
まぁ俺の妹の通知表には5しか並んでないけどね! と、危うく身内の自慢をしそうになってしまった。俺の小物感が火をふくところだったぜ……。
聞かれてもない自慢話はやめような。高校の悪い先輩自慢とかだぞ。
そんな話をしていたら、あっという間に駅に到着した。
改札を通る夢前川に、「今度勉強教えてくれな」と、冗談交じりに手を振る。
すると夢前川は、振り返って胸の前で小さく手を振りながら、小さく笑った。
「いいですよ。じゃあまた明日」
いいんだ……。冗談のつもりだったんだけどな。まぁどうせ忘れるだろう。
そんなことを思いながら、可愛くない後輩の姿が見えなくなるまで、改札の前で手を振った。
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