ライバルで憧れ
図書室に入ると、受付に座って本を読んでいた氷上が、顔を上げてこちらに目を向けた。
「遅い。何かあった?」
「あ、いや……」
無表情のままこてんと首を傾げた氷上に、俺は、苦笑いを返す。
昼休みに、社に話を聞いたところ、どうやら社と氷上は、同じ中学に通っていたらしい。
社は、その頃からすでに人と関わることを避けて生活していたらしく、男子も女子も近寄ってこなかったようだ。
しかし唯一氷上だけは違ったらしく、あることで社と張り合っていたらしい。まぁ、その勝負で負けたことないと社は言っていたが……。
「……勉強か?」
「そう。もうすぐテスト」
氷上が読んでいた本……と言うより教科書は、担任である青倉先生の担当教科、科学の教科書だった。
たしかに五月の下旬には、高校二年になって初めてのテストが待ち受けている。俺もそろそろ真面目に授業を聞いて、テスト範囲を聞き漏らさないようにしないといけない時期だ。これさえ聞き逃さなければ点は取れる。世の中結果が全てだから!
もちろん俺のようなやつもいれば、普段から真面目に授業を聞いているであろう社や、何週間も前から勉強を始めている氷上みたいな優等生もいる。
「じゃあ手短に条件を話す」
「その前にちょっといいか?」
「何?」
「社から聞いたんだよ、氷上のこと」
「社奏から……?」
スッと目を細めた氷上は、手元の教科書を静かに閉じて短く息を吐いた。
「あぁ、すまん」
「別にいい。それで何を聞いたの?」
「氷上が同じ中学だったってことと……、テストのこと」
「……そう。そんなことまで話すんだ」
社が言うには、氷上も中学の頃、一人でいることが多かったらしい。氷上の場合は、ただ人と話すのが苦手なだけのようだが。
そんな共通点があった二人は、周りから比べられることがよくあった。運動に勉強、比べることのできることにおいては、全部。
氷上からすればたまったものじゃないだろう。あの社と比べられるというのは。
ただ氷上は、それに対して黙っているようなやつじゃなかったと、社は言った。
「すげーな」
「何が? 私は……社奏に勝ったことがない。テスト点も、通知表の成績も、運動の順位も」
「結果のことじゃない。その姿勢のことだ」
「っ……」
「俺ならとっくに諦めてるよ。好き勝手言わせて、投げ出してる」
驚いたように目を見開く氷上に、俺は自嘲気味にこぼす。
優れた姉や妹を持つと、少なからず比べられることはある。そんなとき俺は、何くそとは思わない。これが俺で、姉と妹は俺なんかと出来が違うと、自分に言い聞かせる。負けたくないとか、悔しいとか、そんな感情は一切ない。
「かーくんはバカにしないの? 惨めに思わない? こんな私を」
「思わねーよ。俺も、社も」
「……社奏も?」
「おう」
俺が短く答えたと同時、出入り口のドアが静かに開いた。
社は図書室に入ると、瑠璃色の髪を揺らし、同じ色の瞳をちらっと俺に向けると小さく微笑む。そして、その瞳が氷上を捉えると、さっきまでの温かい表情が、サーっと目に見えて冷えていく。
昼休みのときだいぶ怒ってたしな……。氷上に対して言いたいことが山ほどあるに違いない。
「氷上さん、香西君から全部聞いたよ。どうしてそんなことしたの?」
「……社奏には関係ない」
「私の秘密を脅しの材料にしといて関係ないはないんじゃないかな?」
今回の件で気になっていたのは、社の秘密で俺を脅したことである。昼休み社から話を聞いて、午後の授業中は、ずっとそのことを考えていた。
もし氷上が社に対して恨みや憎しみを持っているのだとしたら、俺を脅しなんてしないで、社を脅すか、言いふらすなりなんなりするはずだ。
どうして氷上は、俺にあんな提案をしてきたのだろう。
あくまで笑顔を浮かべる社と、純粋な疑問を持った俺の視線に、氷上は居心地が悪そうに身じろいだ。そして観念したように目を伏せると、短く息を吐いてキッと俺を睨む。え……俺?
「社奏の邪魔をしないで」
「邪魔……?」
「そう。高校一年の途中から社奏は変わった。孤高で誰の手にも届かない場所で咲く一輪の花のような社奏が、かーくんを見てるときは、普通の女の子になっている。そんなの社奏じゃない。そんな社奏に勝っても私は嬉しくない! 社奏にこれ以上近づかないで!」
俺たち以外誰もいない図書室に、氷上の声が響いた。
視界の端にいる社は、それを聞いたとたん顔を真っ赤にして口をつぐみぱちぱちと目を瞬かせている。
そんな社を無視して氷上はさらに続ける。
「社奏は望んで一人だった。でも私は、小さい頃からずっと一人。そんなこと気にしたことなかったのに、社奏と比べられるようになって私は……一人がかっこいいと思うようになった」
「か、かっこいい……」
「そう。何もかも完璧な社奏との唯一の共通点だった。だから私も社奏のように一人でなんでもできるようになりたい思った」
「ちょっと待てな。いろいろ確認したいんだが……氷上は、社のことをどう思ってるんだ?」
「社奏は、憧れでライバル」
目を輝かせながら答える氷上を見て、俺はがくっと肩の力が抜けてしまった。
どうやら根本が間違っていたらしい。氷上は社のことが嫌いなのではなく、むしろその逆。
だからこそ社の変化に敏感で、社との唯一の共通点がなくなるのを阻止しようとしたのかもしれない。
「でも氷上、電車の中でいいもの見れた……みたいなこと言ってなかったか?」
「それは、社奏の変化の原因がかーくんだとわかったから」
それで社じゃなく俺を脅してきたってことか。
「俺と付き合ってって言ったのは?」
「かーくんに彼女がいれば社奏も手を引くしかない。そうなればまた元通り」
「壁ドンは?」
「朝テレビでやってたのと、私の趣味」
「おい」
ポッと頬を染め目をそらした氷上は、手に持っていた教科書で顔を半分隠した。
俺は深くため息をついて、手近な椅子を引き腰掛ける。
どおりで氷上の考えていることがわからないはずだ。だって意味がわからないから。
つまり氷上は、社の変化を止めたくて、その原因である俺を社から遠ざけようとしたってことだよな。ただそのやり方がややこしいだけで……。
「か、壁ドンって何?」
「……気にするな」
まだわずかに頬が赤い社が、咳払いを一つして俺に聞いてくる。
そういえば途中から全然喋らなくなってたな。なんで?
「社奏」
「は、はい」
「……私を、惨めに思わないってほんと?」
「う、うん。私も氷上さんはすごいなって思ってた。私も負けるわけにはいかないなって」
「……そう」
社に褒められた氷上は、嬉しそうに微笑んでいる。
昼休みに社は、氷上のことを褒めもしていた。周りに何を言われても自分を曲げない氷上のことを。
ただ今回は別の件が本題だ。それが社がここにきた理由である。
「でも氷上さん、好きでもない男の子に簡単に付き合うとか言っちゃダメだよ?」
「たしかに。朝のことは悪かった。ごめんなさい」
「お、おう……。俺もすまんかった」
社に言われてぺこりと頭を下げた氷上に、俺も頭を下げ返した。何に謝ったのかよくわからないけど。
「それで、社奏とかーくんはどういう関係?」
「友達だな」
「友達だよ」
「……なら、私とも友達になってほしい」
「……そのこころは?」
「私は社奏に勝ちたい。同じ条件で」
彼氏になれの次は友達か。順番が明らかにおかしいんだよなぁ……。
まぁでも、氷上も氷上で頑張っていると知ってしまった。少し……いやだいぶ理解しがたいところはあるが、事情を知ってしまったら憎めない。
「俺でよければ」
「……ありがとう。いずれは彼氏に昇格させてみせる」
……はい?
「そうすれば、社奏に勝ったことになる。私は負けない」
何そのラブコメ展開……。
ちらりと社に目をやれば、口を突き出して半目で氷上のことを睨んでいる。
あのね氷上さん、何でもかんでも競わなくていいからね?
二人に挟まれる俺は、まるでラブコメの主人公みたいだった。
まぁ二人から好意は全然感じないんだけどね……。
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