図書委員の女の子
「お兄ちゃん朝だよ」
「……今日から学校か」
「うん。ほら起きて」
ゴールデンウィークの終わりを告げたのは、制服に身を包んだ妹の緋奈だった。
ベットの上で身動きが取れないでいる俺は、カーテンを開け「今日もいい天気だよ」と微笑み、部屋を出て行く緋奈を視界の端で見送って、深く息を吐く。
なんで休みはあっという間に終わってしまうのだろう。六月とか祝日ないし、もう学校行きたくない!
と、毎朝飽きもせず一人で駄々をこねながら、制服に着替える。
リビングに入ると、この前買ってあげたダル猫スリッパをパタパタ鳴らしながら、緋奈が弁当を作っていた。
あれ、いつもならできてるはずなのに今日は遅いな。寝坊でもしたのかね。まぁ作ってもらってる側なので気にしないでおこう。
そう思いながらソファに座って、ついていたテレビに目をやれば、現在の時間が左上に表示されている。
どうやら緋奈が寝坊したのではなく、俺が早く起こされたらしい。……なんで?
「緋奈、起こすの早くない?」
「あー、時間間違えちゃった」
わざとらしく自分の頭に手を乗せて、ぺろっと小さく舌を出した緋奈に、「そうか」と小さく笑みを返す。朝から可愛いやつめ。でも、お兄ちゃん以外にそんなこと絶対するなよ?
それにしても、朝からゆっくりテレビを見るなんていつぶりだろうか。高校に入ってからはバイトで帰ってくるのが遅いので、夜もテレビは見なくなった。見るとしても録画したアニメか、リアタイで見たいアニメくらい。……俺ってばアニメしか見てない! 最近のテレビは面白くないから仕方ないね。
チャンネルを変えても朝は似たようなニュース番組しかやってないだろうし、勝手に変えても緋奈が怒りそうだ。とりあえず占いが始まるまで待つか。
さほどあてにしていない占いコーナーを今か今かと待っていると、番組のエンタメコーナーが始まって、今女子中高生に話題の! というありがちな見出しから、流行ってるかどうかもわからないことをたらたらと流し始めた。
へぇー、都会では今こんなことが流行ってるのね。地元が田舎なのでちょっとわかんないです。
すると、そんな田舎者の俺でもわかるワードが一つ出てきた。
「壁ドンって……古くない?」
俺の中では流行っていたかも危ういしな。
まぁでも一時期SNS上では流行っていたはずだ。斗季がそれ関連の画像やら漫画やらをいいねしてくれていたおかげで、なんとか話題についていける程度の知識はあった。
「そんなことないよ! 壁ドンは女子の憧れだもん。はいココア」
「お、さんきゅー。そうなのか?」
別に緋奈に聞いたわけじゃなかったが、独り言が拾われてしまったようだ。
ダル猫マグカップに入った温かいココアを受け取って一口飲むと、口いっぱいに甘さが広がる。寝ていた脳が、パッと目を覚ました。
「うん。うちは女子校だから特に憧れが強いよ」
「ほーん。でもこういうのって結局顔だろ?」
「そうだよ」
「……お兄ちゃんは否定してほしかった」
イケメンに限るとか、二次元だけとか、よく聞いたしな。
俺的に年上の女の人に壁ドンされるのはあり。強気な年下でもありだな。まぁすることもされることもないんだろうけど。
「緋奈はされたいとか思うのか?」
「わ、私はいいよ! 恥ずかしいし……」
「誰かにされたら俺に言えよ? そいつに顔ドンするから」
「それただの暴力だよお兄ちゃん……」
暴力じゃないよ、正義の鉄拳だよ!
そうこうしていれば、そろそろいい時間になっている。占いは五位だった。
いつものように緋奈と駅まで歩き、その背中を見送ってゆっくり歩けば、五日ぶりに登校する学び舎が見えてきた。
校門を抜け、昇降口に入れば賑やかな声があちらこちらから聞こえてくる。学校が始まったというのになぜそんなに楽しそうなのか……。
そんな様子を横目に下駄箱に向かっていると、ある下駄箱の陰から出てきた女子生徒と結構な勢いでぶつかってしまった。
「痛っ」
「いて」
その子の頭が顎に当たって割と痛かったが、その子はぶつかった勢いで尻餅をついてしまっている。
「だ、大丈夫か……。っ!」
痛みを我慢してその子に手を差し出した俺の目に、あるものが飛び込んでくる。
それは薄ピンク色をしていて、暗闇の奥から微かにこちらを覗いていた。
「平気。副委員長は?」
「お、俺も全然平気だ」
素直に俺の手を取ったその子は、もう片方の手でパッパッとスカートを叩いて、俺の目を覗き込んでくる。
今この子は副委員長と言ったか? となると、同じクラスの人ってことになるよな。
肩にかからないくらいの長さの髪をサイドテールにしていて、たれ気味の目と、口元のホクロがとても特徴てきなこの子はたしか……。
「図書委員の氷上か」
「そう。氷上雫が私の名前」
表情を一切変えず、抑揚のない声で氷上は自己紹介をした。
氷上の印象は、物静かな子だ。
恐らくだが、いつも俺より早く学校に来ており、廊下側の一番前の席で本を読んでいたような。
同じクラスってだけで氷上とは特に面識はない。委員を決めるときにちょっと話したくらいか。
まぁそれは今どうでもいいや。……なんで氷上は、俺の手を離さないんだろう。
「氷上……手を離してほしいんだけど」
「ああ」
「……離して、ください」
「副委員長に用がある。一緒に来て」
「へ?」
表情を変えない氷上は、手を掴んだまま昇降口から体育館方面に早足で歩き、体育館裏に俺を連れてきた。
プニプニした感触に終始ドキドキしていた俺は、手汗が出ていないか心配で、この状況をちゃんと把握できていなかった。
もし社にあんなとこ見られたら……。あれ、なんで社を思い浮かべたんだろう。
立ち止まった氷上はやっと俺の手を離して、そのままの距離で口を開いた。
「おはよう」
「お、おはよう」
「いい天気」
「そ、そうだな」
なんとか相槌を打ちながら、氷上の様子を伺ってみる。が、氷上はずっと無表情なので、彼女が今どんな感情を持っているのかわからない。
「副委員長に聞きたいことがある」
「お、おう」
「……さっき私のパンツ見た?」
バレてたのか……。
何事もなかったように話が流れたので、ひっそりと胸中にしまい込んだところだったぜ。女の子ってほんと視線に敏感だね!
「……すまん」
言い訳せず素直に謝っておく。すると氷上は、ポッと頬を染めて、スカートの裾をキュッと握りしめた。
「……不可抗力。仕方ない」
「ほんとごめん」
もう一度謝って頭を下げる。
「気にしなくていい。本題はここから」
まだ微かに頬は赤いが、表情に変化らしい変化はなく、声もまた、抑揚が全くと言っていいほどない。
そんな氷上が、ジリジリと俺との距離を詰めてくる。一歩、また一歩と近づいてくる氷上に対して俺は、後ずさることしかできない。
「な、何だよ」
「私は、社奏の秘密を知っている」
「え……?」
「秘密をバラされたくなかったら、私の言うことを聞いて」
社の秘密? なんだそれ。と言うかなんでそれを俺に?
ごくりと唾を飲み込んだと同時に俺は、体育館の壁に背中をぶつけた。まさか、ここに追い込まれていたのか。
逃げ場がなくなり、氷上の顔がすぐそこにまで近づいてくる。ちらっと目に入った口元のホクロ。……ん? このホクロどこかで……。
「あ……氷上、まさか」
社と遊園地に向かう電車の中の一コマが、頭の中でフラッシュバックする。
その瞬間、俺の顔の横すれすれに、氷上の手が通り過ぎていった。
後ろは壁。俺より小さい氷上は、上目遣いで俺を見つめてくる。その表情は、無だ。
てかこれ、壁ドンじゃね……?
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